桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~

 迎えに行くと決めた。チェシャ猫が一人きりにならないように。私が想いを伝える為に。
 口にしたら、ボロボロと涙が零れる。私、私はこんなにもチェシャ猫に会いたいんだ。泣かないって決めたのに、まだ私は泣き虫だ。
「そうね、なら行きなさい。早く会いたいのでしょう? 家族に甘えていていいの? 立ち止まっていていいの? ロリーナも困ってしまうわよ」
「まぁ、黄金の魔女様は時にお厳しいのね」
「マルガレーテは余計なこと言わないで。リティアはこんなに優しいのよ」
 夫人に口を尖らすと、リティアは私の前に立つ。今度はロリーナお姉様が背中を押すように、私の手をガラス扉の前に向けてそろりと離した。
「これ、忘れ物よ。桃色のアリス」
 リティアがどこからともなく差し出してきたのは、ガラスの中に閉じられ、置物として装飾と足を添えられたあのアネモネの花だった。チェシャ猫がくれた花。チェシャ猫の想いが詰まった花。
「ありがとう、リティア」
 ジャックさんが渡してくれたはずなのに、こちらで目を覚ました時には消えていたアネモネ。私が使命や不思議の国を思い出した後に探してみたけれど、見付からなくて酷く落ち込んだ。
「探していたの。リティアが持っていてくれたんだね」
 ほっと胸を撫でる。そして、改めてチェシャ猫の想いを再確認する。チェシャ猫は、ずっと私を想っていてくれた。きっとそれは、あの雨の日、チェシャ猫を傘に入れたあの時から。
 鮮烈なほど赤く、永遠に咲くであろうアネモネを見つめていると、想いが溢れそうになる。せっかく凪いだ心が、感情の高波に荒ぶっていく。
「それと、もう一つ忘れ物。さぁ、貴女の色を魅せて」
 するり、とリティアの手が私の髪を撫でると、淡い光が私を包んだ。空の色が変わっていくように、毛先から桃色に変化していく。ふわりふわりと髪が揺られて、最後はリズが結ってくれているみたいに、リボンでくくられた。ハリーお兄様が選んでくれた水色のドレスが、桃色に染められていく。
 不思議の国でのアリスに戻った私は、ガラス扉を目の前に振り返る。お姉様は今の私のことも優しい眼差しで見つめてくれていた。
「あらあら、本当に可愛いピンクちゃんなのね。チェシャ猫の言っていた通りだわ。ピンクちゃん、いえ、アリス。チェシャ猫は中庭にある薔薇のアーチをくぐった先にいるわ」
「ありがとうございます、マルガレーテ夫人。リティアもありがとう。行ってきます、お姉様」
 ウサギの時計を止める為に城を出た時のことを思い出す。あの時もこんな風に、私を大切にしてくれた人達が見送ってくれた。だから今度も私はただいまと言うために。
「いってらっしゃい、アリス」
 三人の視線を背中に感じながら、ガラス扉を押す。草花の香りが鼻腔に広がって、よくお昼寝をしていた花畑を思い出した。あの花畑の花達は世界の崩壊が止まった今、歌っているのだろうか。
 薔薇だけが植えられた城の庭とは違い、マルガレーテ夫人の庭は多彩だ。空に向かって真っ直ぐと咲くチューリップ。思わず恋占いをしたくなるマーガレット。太陽と仲良しのデイジー。多様で彩り鮮やかな庭が広がっている。館の十倍はありそうな庭の面積に、ただただ驚いてしまう。花を見ながら歩くのであれば、一時間近くは楽しめそう。
 十本ほど歩いた先に、マルガレーテ夫人が教えてくれた薔薇のアーチがある。庭を全体的に見渡すと、そこだけぽつんと、まるで不思議の国の城の風景を切り取ったかのようにアーチは佇んでいて。アーチの向こうには、赤、白、紫のアネモネが花畑を作っている。