3 私の帰る場所
それは長い長い不思議な夢。
木漏れ日の暖かさ。心地よく吹く風。緑が生い茂る木の下、私と姉様は共にトランプをしている。
穏やかな、ゆっくりと流れる時間。もうすぐ訪れる三時のお茶会に心を躍らせながら、トランプを見つめる。手元にハートのキングがいた気がしたけれど、トランプの柄は薄れて消えてしまった。ペアを見つけようとも、真っ白なカードでは見つけてあげることが出来ない。困った私は、ちらりと姉様の手元のカードを見る。
姉様のブラウンの髪が風になびいて煌めいた。目を奪ったその眩しさに、思わず瞼を閉じる。
目を開けると姉様は消えていて、広がっているのは光の世界。
最初は太陽の眩しさに目がくらんだのかと思った。けれどいつまでも視界が戻ることはなくて、不安がじわじわと浸食していく。
ふと、ひとりの男の子が、こちらを見つめていることに気づいた。そこではっとした。
追いかけなきゃ。また、彼は消えてしまう。
彼が私に気付く前に足を踏み出す。
『お願い、行かないで!』
不安で不安でたまらない。光の先へ、どんなに眩しくても、どんなに足が折れようと。必ず貴方を捕まえてみせる。
『貴方を、貴方を消させはしない!』
行かせはしない。
男の子との距離は縮まって、見えたのは懐かしい男の子の姿。
伝えなきゃ。忘れてしまっていた気持ちが胸に灯る。
ずっとずっと伝えたかった。何百回も私達が繰り返してきた言葉。心に刻まれている言葉。
行かないで欲しい。貴方の傍にいたい。
これはアリスの気持ちだけれど、私は私として貴方の傍にいたいと願った。
追い付けない。追い付けなかった。心を埋めた後悔の念と、悲しさや寂しさを力に変えて、彼の腕を掴んだ。掴んだ小さな手はいつも私の手を引いてくれた手の温もり。
「チェシャ猫! 私は!」
そこで声が響いた。
『目を覚まして、アリス。貴女の帰る場所は此処よ』
振り向くとお姉様が立っている。ブラウンの髪が風に揺れて、淡い水色のドレスがこちらへと誘ってくる。
私の、帰る場所?
「アリス!」
目を覚ますと、心配そうにこちら見下ろすリズの顔が視界に飛び込んだ。
いつもの花畑で、花達の歌声を聞きながら寝てしまったのだろうか。ふと視線を動かせば、見慣れた天井がある。繊細な薔薇の模様が刻まれた天井に、ピンクのドレッサーとカーテン。私のお気に入りで埋め尽くされたこの部屋は、私が十四年間過ごしてきた部屋だ。
身体を動かすと、柔らかな羽毛が私を優しく包み込んでいた。そこでやっと、ベッドの上にいることに気付く。握られていた手に、ぽたりと雫が落ちた。
「良かった、無事に帰ってきてくれて」
黒い瞳が涙を溢して笑っていた。面倒見の良くて優しい私の親友。ずっと長い間、離ればなれだった気がする。
「リズ、私、帰ってきたの?」
「そうよ。ここはハートの城。貴女は世界の崩壊を止めて帰ってきた。お帰りなさい、アリス」
帰ってきた。その事実に渇いたはずの涙が溢れた。
『君は必ず此処に帰って来る。だからほら、言うことがあるだろう? 君が言わないとお帰りが言えないよ?』
出発の時にチェシャ猫が言っていた言葉が脳裏を過る。繋がった、この瞬間の為にチェシャ猫の言葉があった。
「ただいま!」
リズの細い腕が私を包み込む。別れた時は不安で怖くて仕方なかった。弱音を吐いてきっと心配させた。けれど、リズの身体から私を信じていてくれたことが伝わってくる。
「ありがとう、リズ。私のことを信じてくれて。待っていてくれて」
大好きなリズ。私の大切な親友。
「もう、女王様がアリスを捕らえるって命令を出した時は、心配でお店のお手伝いも出来なかったのよ」
リズの言葉でふわりとした喜びが吹き飛んでいく。私は女王様と敵対してしまった。最終的に協力してくれたけれど、関係は修復されていないままだ。
気になることが沢山ある。時計を止めてから、私はどうやって此処に帰ってきたのだろう。皆はどうなったんだろう。
「私はどうしてここに? ウサギ達は無事なの?」
覚えているのは、チェシャ猫の胸に飛び込んだところまでだ。疑問と不安な私の心を見抜いたのか、リズが回した腕を解いて安心させるように笑った。
「女王様は世界の崩壊が止まった後、アリスを連れ帰るようチェシャ猫に命じたの。チェシャ猫は最初抵抗したみたいだけれど、女王様にアリスを捕らえる意志がないのを感じ、此処に連れ帰ってくれたわ」
「皆は、白ウサギや黒ウサギは!」
「城にいるわ。貴女が心配だからって、外で待っているわよ」
その言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。けれど悠長にベッドを出ることは出来なかった。まだ全てが終わったわけじゃない。
私が飛び起きると、予想していたのか靴を足元に置いてくれた。私は地面の固さを噛み締めて、もう一度身体に力を込める。
「私! 行ってくる! ごめんね、リズ!」
「話はまたあとでゆっくり、ね。旅を最後まで終わらせてきて」
それは長い長い不思議な夢。
木漏れ日の暖かさ。心地よく吹く風。緑が生い茂る木の下、私と姉様は共にトランプをしている。
穏やかな、ゆっくりと流れる時間。もうすぐ訪れる三時のお茶会に心を躍らせながら、トランプを見つめる。手元にハートのキングがいた気がしたけれど、トランプの柄は薄れて消えてしまった。ペアを見つけようとも、真っ白なカードでは見つけてあげることが出来ない。困った私は、ちらりと姉様の手元のカードを見る。
姉様のブラウンの髪が風になびいて煌めいた。目を奪ったその眩しさに、思わず瞼を閉じる。
目を開けると姉様は消えていて、広がっているのは光の世界。
最初は太陽の眩しさに目がくらんだのかと思った。けれどいつまでも視界が戻ることはなくて、不安がじわじわと浸食していく。
ふと、ひとりの男の子が、こちらを見つめていることに気づいた。そこではっとした。
追いかけなきゃ。また、彼は消えてしまう。
彼が私に気付く前に足を踏み出す。
『お願い、行かないで!』
不安で不安でたまらない。光の先へ、どんなに眩しくても、どんなに足が折れようと。必ず貴方を捕まえてみせる。
『貴方を、貴方を消させはしない!』
行かせはしない。
男の子との距離は縮まって、見えたのは懐かしい男の子の姿。
伝えなきゃ。忘れてしまっていた気持ちが胸に灯る。
ずっとずっと伝えたかった。何百回も私達が繰り返してきた言葉。心に刻まれている言葉。
行かないで欲しい。貴方の傍にいたい。
これはアリスの気持ちだけれど、私は私として貴方の傍にいたいと願った。
追い付けない。追い付けなかった。心を埋めた後悔の念と、悲しさや寂しさを力に変えて、彼の腕を掴んだ。掴んだ小さな手はいつも私の手を引いてくれた手の温もり。
「チェシャ猫! 私は!」
そこで声が響いた。
『目を覚まして、アリス。貴女の帰る場所は此処よ』
振り向くとお姉様が立っている。ブラウンの髪が風に揺れて、淡い水色のドレスがこちらへと誘ってくる。
私の、帰る場所?
「アリス!」
目を覚ますと、心配そうにこちら見下ろすリズの顔が視界に飛び込んだ。
いつもの花畑で、花達の歌声を聞きながら寝てしまったのだろうか。ふと視線を動かせば、見慣れた天井がある。繊細な薔薇の模様が刻まれた天井に、ピンクのドレッサーとカーテン。私のお気に入りで埋め尽くされたこの部屋は、私が十四年間過ごしてきた部屋だ。
身体を動かすと、柔らかな羽毛が私を優しく包み込んでいた。そこでやっと、ベッドの上にいることに気付く。握られていた手に、ぽたりと雫が落ちた。
「良かった、無事に帰ってきてくれて」
黒い瞳が涙を溢して笑っていた。面倒見の良くて優しい私の親友。ずっと長い間、離ればなれだった気がする。
「リズ、私、帰ってきたの?」
「そうよ。ここはハートの城。貴女は世界の崩壊を止めて帰ってきた。お帰りなさい、アリス」
帰ってきた。その事実に渇いたはずの涙が溢れた。
『君は必ず此処に帰って来る。だからほら、言うことがあるだろう? 君が言わないとお帰りが言えないよ?』
出発の時にチェシャ猫が言っていた言葉が脳裏を過る。繋がった、この瞬間の為にチェシャ猫の言葉があった。
「ただいま!」
リズの細い腕が私を包み込む。別れた時は不安で怖くて仕方なかった。弱音を吐いてきっと心配させた。けれど、リズの身体から私を信じていてくれたことが伝わってくる。
「ありがとう、リズ。私のことを信じてくれて。待っていてくれて」
大好きなリズ。私の大切な親友。
「もう、女王様がアリスを捕らえるって命令を出した時は、心配でお店のお手伝いも出来なかったのよ」
リズの言葉でふわりとした喜びが吹き飛んでいく。私は女王様と敵対してしまった。最終的に協力してくれたけれど、関係は修復されていないままだ。
気になることが沢山ある。時計を止めてから、私はどうやって此処に帰ってきたのだろう。皆はどうなったんだろう。
「私はどうしてここに? ウサギ達は無事なの?」
覚えているのは、チェシャ猫の胸に飛び込んだところまでだ。疑問と不安な私の心を見抜いたのか、リズが回した腕を解いて安心させるように笑った。
「女王様は世界の崩壊が止まった後、アリスを連れ帰るようチェシャ猫に命じたの。チェシャ猫は最初抵抗したみたいだけれど、女王様にアリスを捕らえる意志がないのを感じ、此処に連れ帰ってくれたわ」
「皆は、白ウサギや黒ウサギは!」
「城にいるわ。貴女が心配だからって、外で待っているわよ」
その言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。けれど悠長にベッドを出ることは出来なかった。まだ全てが終わったわけじゃない。
私が飛び起きると、予想していたのか靴を足元に置いてくれた。私は地面の固さを噛み締めて、もう一度身体に力を込める。
「私! 行ってくる! ごめんね、リズ!」
「話はまたあとでゆっくり、ね。旅を最後まで終わらせてきて」

