桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~

 まだ声変わりのしていない幼い声が、僕の名前を呼んだ。きっと、僕の気持ちを察したのかもしれない。一人きりを知る夢魔は、寂しさに敏感だ。それに夢魔には、夢の中で僕の呪いを知られてしまっている。
「アリスに、言ってないんだね。知ったら、悲しむって分かるけどさ」
 鏡の中の夢魔が苦い顔でこちらを見つめていた。言葉の最後を言い切ると、気まずそうに視線を斜め下に反らす。
「でも、アリスは皆の呪いを解くんでしょ? なら、チェシャ猫の呪いも解けるよ」
「そうだね」
 そうだとどれだけ良いか。けど、きっと間に合わない。世界の崩壊が止まったら、僕の存在が、消えるんだから。


 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、助けて、愛している、ごめんなさい。
 濁流みたい。想いが、記憶が溢れて流れてくる。洪水が起こって、その中に巻き込まれてしまった。息が出来ない。肺が苦しい。アリスの記憶が脳に響いて頭が痛い。
 懐中時計が見せる、記憶と想い。身体をつんざくような記憶なんて、今までなかったのに。握った懐中時計は燃えているように熱くて、私に強く訴える。
 助けて、助けて、彼を助けて。消さないで、消えないで、どこにも行かないで。
 懐中時計は熱いのに、繋いだはずの手の温もりは消えていて、身体がどんどんと冷え込んでいく。助けてって叫びたいのに、声を発することは許されない。
 ――あぁ、助けて、お願い、彼を助けて。消えないで、どうか。
 想いに引っ張られて、記憶の渦に巻き込まれていく。どんどんと堕ちていって、映像が入り込んできた。それは、アリスさんの記憶。
 映画を早送りしているみたいに、前回、前々回、と懐中時計が見せた十三代目アリスさんの記憶が甦る。
『――待って! 黒ウサギ!』
『アリスは白ウサギだけ追いかければいいんだ!』
『行かないで! 私は貴方の事が』
 一つ目は、アリスさんが黒ウサギを追いかける記憶。
『僕は君が好きだよ。アリス。いつだって君を思っている。だから、だから君は黒ウサギを選ぶんだ』
『行くんだ、アリス。黒ウサギの元へ。僕は、僕が消えるとしても君を恨んだりしない。アリス。黒ウサギが君を待っている』
『さようなら。愛しいアリス』
二つ目はアリスさんに別れを告げた白ウサギの記憶。
『黒ウサギでいいの?』
『私は黒ウサギぎに消えてほしくないわ。白ウサギにも消えてほしくないけれど、黒ウサギが消えてしまうのはもっと嫌』
『好きなの。黒ウサギが好きなの。一緒にいたい』
『なら、黒ウサギを追いかけるぞ。三月ウサギはもう殺されたされた。時間がない』
『どうして、どうしてなの。お姉様』
 三つ目は、アリスさんとチェシャ猫の会話。
 四つ目の早送りが終わると、下降を辿った意識はそこで止まって緩やかに流れ始める。
 ウサギを選んだアリスさんは、城の最上階の部屋にいた。女王様が立ち入りを禁止した部屋だ。好奇心旺盛な私は、一度だけ忍び込んだことがある。
 女王様の赤の壁に金色の模様がある部屋とは真逆の、藍色の壁に金色の模様が入った壁。アリスさんを表すような青、白、金をベースに彩られた部屋。青が寒さを感じさせそうだけれど、アリスさんの部屋はどことなく暖かみがあった。
 白いカーテンがついたお姫様ベッド。深い藍色に金色の刺繍の入った布団。その上にアリスさんは座っていた。アリスさんは懐中時計を胸に握っている。
 いつの間にかアリスさんの前に立っていた私は、アリスさんの顔を真っ正面から見つめる。頬には涙があった。
『さぁ、契約です』