桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~

 女王様は一度だけ視線を惑わせると、真っ赤なドレスを翻す。長い金の髪がさらりと舞って、女王様の表情を隠した。
「私は女王。この国を好きにする権利がある。私は、私たちは目を覚ました時から女王と王だった。あなた達と違って、私に幼少の時代はない。歳をとることもない。目を覚ましたころから私は私。そして、私の国だった。私が賑やかな街がほしいと願えば、次の朝には人々が踊り、楽しげに暮らす街ができた。妹が欲しいと願えば、妹と呼んでいい存在が現れた。原理なんて知らない。知らなくていいと思った。知ってはならないと、警報が鳴るのよ」
 かすかに震える女王様は、自分の体を抱きしめる。知ってしまえば、身に恐ろしいことが起こると信じているようにみえた。
「暗黒の魔女が現れた時、私はなぜか意識を失っていた。目が覚めた時には、国が悪夢へと様変わりしていたわ。絶望している私に魔女は言った。国はいまだお前が好きにする権限があると。けれど鏡を割れば、呪いから解放されるのと引き換えに……」
 振り向いた女王の瞳が絶望に染まっていて、私たちは息を飲んだ。
 千四百年、女王様は何を恐れているのか。何が女王様をこんな闇に染めてしまったのか。聞かなければならないと思うのに、私も白ウサギも聞くことが出来なくなってしまった。この闇は、暗黒の魔女を呼んでしまう気がする。でもそれ以上に、その先を聞くのが怖いと思ってしまった。
「それが理由よ。身勝手で、欲にまみれた独裁者だと、断罪すればいいわ」
 なんて言葉をかければいいのか分からない。でも、白ウサギは違った。
「それこそが暗黒の魔女が貴女にかけた呪いなのでしょう。僕は、女王陛下を許せるわけではありません。でも、女王陛下を断罪して、この国が幸せになるとは思えません。まず何より、アリスが幸せになりません」
 白ウサギの力強い声に、言葉に、涙が出そうになる。
 白ウサギがいてくれて良かった。
「誰かを犠牲にして得る幸せなんて、もう誰もがまっぴらごめんです。屍の上で生きた人生がどれほど悲しく、辛いものであったか。僕らは知りすぎている。女王陛下が罪を償いたいのなら、今がその時です」
 誰かを犠牲にして得た先。受け継いできた記憶が、脳をしびれさせるくらい拒絶する。
 黒ウサギを犠牲にして生き残った白ウサギの想いを目の当たりにしてもなお、女王様は恐れている。
「私は、私が私でなくなるのが怖いわ」
「なら、私が女王様を取り戻すよ」
「アリスが消えてしまう可能性だってあるのよ」
「消えない。抗ってみせる」
 女王様の瞳に、光が戻っていく。
「なら、抗ってちょうだい」
 女王様が私の手をとり、大きく息を吸う。
「不思議の国はアリスの国、アリスが女王。……女王の権限を貸すわ。望みなさい、呪いのない世界を。ウサギが共にあることを」
「望む、だけでいいの?」
 とても簡単なことに思えた。望むだけなら、女王様でもいいはずだ。私ではない他のアリスでも、出来たはず。
「望んで、その願いに向かって駆け抜けることが出来るのは、今ここにいる貴女だけです」
「暗黒の魔女が恐ろしいわ。鏡を割った先に起こる不確かな未来が恐ろしい。私だけでなく、何代ものアリスが、誰もが恐ろしさに震えたのよ。私の心では、暗黒の魔女に敵わない。でもアンタは、抗うのでしょう?」
「うん」
 女王様は王冠を外すと、私の頭にのせる。想像していたよりも、重い。
「アンタ、似合わないわね」
「む。ちょっと悔しい、けど、これは女王様のだからだよ」
 不思議なことに、王冠をのせたら、何でも出来るような気がしてきた。でも、きっとこの権限で願いを叶えるのは一度きりだ。
 ウサギが共にあれることを願う。私は白ウサギと黒ウサギ、どちらも犠牲にしたくない。選ぶなら、二人を選ぶ。二人を選びたい。
 私は、呪いを解きたい。暗黒の魔女に、負けたくない。
「アリス! 白ウサギが消えてしまったわ」
 周囲を見渡すと、白ウサギの姿がなくなっている。王冠が消えてしまったのか、頭が軽くなっていて、それが私に確証を持たせた。
「白ウサギはきっと、黒ウサギのところにいる。だから、大丈夫。私、いかなきゃ」
 扉を開けて、待ち構えていたチェシャ猫の腕の中に飛び込む。
「おかえり、アリス」
「ただいま! 早速だけれど、チェシャ猫、白ウサギと黒ウサギのところに行こう!」
「白ウサギはさっき一緒に入っていったんじゃないのか?」
「察しが悪いからダメグリフォンなんですよぉ。ほら、僕らも行きますよー」
 説明をしていないのに、海ガメはグリフォンの寝首を引っ張って、廊下を歩いていく。その先には、ウサギの穴があった。
「さぁアリス、行こうか」
「うん」
 もう何度目かわからない、差し出された手を握る。ずっと変わらない暖かい手。私より一回り大きい手をぎゅと握って、穴に落ちるのはこれが最後であることを願った。
「あー! にゃんこばっか狡いっ! いいもんっ、私はアリスに抱き着いちゃうっ!」
「きゃ、メアリー!」
「ビルもビルも!」
 メアリーとビルに後ろから抱き着かれる。きっと最初で最後のチャンスだって気がするのに、皆がそばにいれば、不安なんて消えていく。
「皆、呪いを解きに行こう」
 全員が頷いて、穴へと飛び込む。これが最後。最後にする。
 待っていて、黒ウサギ、白ウサギ――