桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~

五章 剥奪された世界


「アリス!」
 閉ざされた穴の入り口に向かって、声を張り上げ叫ぶ。当然声はこの暗闇の中で反芻するだけで、アリスに届くことはない。
「くそ!」
 深く、深く、落ちていく。手を伸ばしても、穴に落ちてしまっては、元の場所に戻ることは出来ない。心の内で焦りと後悔が渦巻く。もっと早く、アリスを穴へ逃がしていれば良かった。今さら後悔したって遅い。多勢に無勢と言ってもおかしくないあの戦場に、アリスとチェシャ猫は取り残された。
 ハート兵が加勢したが、戦況が不利なのは変わりない。だが。
 俺の心を変えたアリスなら、このピンチを乗り越えている。願いではない。これは予感だ。
「俺がこんな風に、アリスを信じるようになるなんてな」
 敵視していたアリス。逃げて、逃げて、本当は出会うことも関わることもないはずだった。こんな、アリスを案ずることなんて、ましてや俺が、生きたいと願うなんて思いもいなかった。いや、もう願っていたんだ。諦めて、うやむやにしても、心の奥でずっと願っていた。
 それを気付かせてくれたのはアリスだ。
 いずれ消え失せる命。生きられるのは数年の短い時間。それを知りながら生きることは、苦痛でしかなかった。
 育ての親を失った日から、その感覚は日を追うごとに増していっていた。どんなに苦痛でも、俺は生きなければならない。世界を留める存在として、アリスが白ウサギを選ぶ時まで。
 見えない圧力に胸を圧迫され、首を絞められる感覚。
 苦しくて、辛くて、嫌になって。本当は心のどこかで、生きたいと願っていたのに。最後にはもう生きることを諦めていた。諦めるしかなかった。
 自分の手に残されていたのはたった一人の大切な存在。白ウサギ。自分と同じ使命と苦しみを、分かち合う片割れ。同じ苦しみを持っているというだけで、一人ではない気がした。この不幸で不平等な境遇を強いられているのは、白ウサギもまた一緒なのだと思うと、会ったこともないのに同じ身体を共有している錯覚になった。
 白ウサギを出し抜いて、自分が助かろうかと頭を掠めた時、予感があった。白ウサギが消えれば、自分も消えるのだと。それならば、自分だけが消えればいい。
世界にとって、アリスにとって、最も特別で大切な存在。そして俺にとっても大切な存在。俺の片割れ。生きたい、生かしたい。いつしか望みはねじ曲がった。
 白ウサギを守る。そう決めていた。本心を偽り、俺を家族と言った友さえも捨てて、守るのだと。
 だけど今は。
「本心を偽る必要も、友を捨てる必要もない」
 まだ呪いが消えたわけじゃない。けれど気分はやけにすっきりしていて、不思議とそう思える。
「あいつが、気付かせてくれたんだ」
『お願い。その時計を、生きて、守って』
「生きて、守る。必ず」
 ポケットにある懐中時計を取り出し強く握る。
 懐中時計は俺の体温が移ったのか、それとも俺の意志に反応しているのか、熱を持っている。足掻く。足掻いて足掻いて、白ウサギを消させはしない。例え俺がこの先、消えるとしても。