*
旅館の外は薄暗くなってきていた。
僕は静かに鏡の前へと移動すると明かりを点け、化粧をして、旅館の浴衣から床に脱ぎ捨ててあった女性用の着物に着替える。
仕上がった鏡の中の『その女性』はたしかに気味が悪い、と思えた。
人ではない、『人形』に限りなく近いもの。
──先輩は、お菊ちゃんはいつだって素敵です。
思い出して苦しくなったけど、心は少し軽くなった。
旅館の人に母を呼び出してもらい「お爺様のお屋敷にもどります」と告げると、母は特になにも言わず「では車を呼びましょう」と手配した。
お爺様との茶事のことは、ほとんど記憶にない。
お屋敷内での僕は本当にただの人形だった。声も発さない。表情もない。
お爺様はそれをとても嬉しがり、その夜は前夜よりもさらに長くなった。
だけど、僕は腹の中で決めていた。
「これで最後だ」と。
日付けを超えた茶事の終わりに、深々とお辞儀をしながら自らの低い声でお爺様にこう申し出た。
「……『お菊』を、終えさせてください」
下げた額はもう畳に付いていた。
声を発したこと、辞退を申し出たこと、どんなにお怒りになられるか。殴られるかもしれない、と覚悟していた。
けどお爺様は「ははん、それでか」と納得しただけだった。
「顔、あげんさい」
言われてゆっくりと頭を上げる。僕を見てお爺様は「うん」と頷くと「おおきにな」と笑った。
