「俺、明日のオーディション諦めるよ」
お兄ちゃんは唇を噛み締めてずっと泣くのを我慢していたけれど、大粒の涙が一つ流れると零れるように言った。
やっとママたちが許してくれたのに。やっと皆と一緒にできるって喜んでたのに。
「わ、わ、私、私が代わりに出る。お、兄、お兄ちゃんのふりする!」
こんな私でも、何かできるのならば。
自分で言ったくせに足が震えて、喉がカラカラと急激に乾いた。
けれど私は、前言撤回するつもりは絶対にない。
絶対にお兄ちゃんの夢は私が守る。
***
その日は、とっても空が綺麗だった。
どうして綺麗って思ったんだろう。雲が一つもなかったからかな。
風が気持ちよくてポカポカと暖かかったからかな。
それとも……とても綺麗な歌声が聴こえてきたからだったかな。
「おい、亜空(そら)、はやくしろよ、皆待たせてるじゃん」
兄にそう言われて始まった朝のレッスン。
学校をずる休みしがちな私には、一歩を踏み出す大事な始まりだった。
「お、お、おおお兄ちゃん、待ってよ」
シューズのひもを結ぶのにもたついていたら、兄がさっさとケースを持って飛び出した。
私のケースまで持ってくれてるから重いはずなのに。
「待ってるじゃん。お、今日は珍しくもう皆来てるじゃん」
「ま、ままま待って。まっまって」
兄が私の手を掴むと、転ばない程度に速度を上げて走っていく。
走っていく先は、家から一番近くにある公園。
バスケのコート内にあるベンチでは、ボールを指先で回している人と本で顔を隠して爆睡している人と、歌を歌っている人が兄を待っていた。
うっ。
空がとても綺麗だと思ったのは、どうしてだったか少しだけ思い出した。
兄の友人三人があまりにも全員格好良すぎて、直視できなくて空を見上げたからだ。
いつも顔を上げて見上げたことがなかった空は、雲が流れるのが早くて風が心地よくて、とても綺麗だと思ったんだった。
「亜空ちゃん、海晴(かい)にいじめられてない? 大丈夫?」
「だ、っだだ大丈夫です。優しいしい、いま今だって、ケースケースをはこ運んでくれて」
歌を歌っていた紅喜(こうき)くんが、私と兄のケースをベンチに運んでくれた。
地毛らしいけど染めているみたいな茶髪に、百七十センチ超えた身長。外国の王子様みたいな紅喜くんは、ケースを開くと中のトランペットを持ち上げた。
「すげー! 俺も触りたい触りたい」
ボールを放り投げて駆けつけてくれたのは、那津(なつ)くん。
スポーツ全般が得意で、兄曰く猿みたいにちょこちょこ動き回るらしい。
バスケが一番得意ですでに有名な大学から指名もらったりしている。
「おい、トランペットは高級なんだからな。汗で汚くなった手で簡単に触れるなよ」
「いてっ。カイ! 継(けい)がなんか重たそうな本で叩いた!」
さっきまで本を顔に乗せてねてたはずの継くんが、本を手に持って足を組み替えながらこちらを見てくる。
継くんは成績優秀で常に学年トップ。幼少期に受けたテストがあまりにも良くてギフテッドと認められてるとかなんとか。
「お前らなあ、せっかく俺と亜空のトランペット聴かせてやるってのに。朝からうるさいなあ」
兄がケースを開けようと触ると、皆が近づいてくる。
「うるさいのは那津だけだよ」
「俺ええ?」
「そう。僕は夜遅くまで勉強したたけど、わざわざ来てあげてるんだから。那津だけ注意してよ」
「ひどいよ。俺が聴きたいって言いだしただろ! 感謝してよ!」
皆の会話から仲がいいのが伺えて居心地が悪い。
こんなに仲のいい皆と私が一緒に居ていいのか不安。
仲のいい兄の妹だから歓迎してくれているだろうけど、私にも優しくしてくれるからつい甘えてしまう。
「亜空ちゃんも吹けるんだ」
継くんが私のピカピカの新品のトランペットを持ち上げる。
「ま、ままだ、練習中です」
「あ、やっぱそう? 海晴よりは使い込まれてないよね」
使い古されてないトランペットを興味津々に見ている継くんの横顔に思わず見とれてしまう。
鼻が高くて、銀のフレームの眼鏡と艶やかな黒髪は清潔そうでストイックで、イケメンすぎる。
「亜空ちゃんは俺と一緒に歌おうよー。歌って吃音出にくいんでしょ」
「きゃ、きゃあ」
後ろから抱き着かれて思わず飛び跳ねると、再び継くんの本の角が那津くんの頭に命中する。
「痛いってば。これ以上馬鹿になったら責任とれよ!」
那津くんもちょこまかしてて表情がころころ変わるし、まつ毛も私よりも長くて一見可愛いんだけど、私に一番話しかけてくれたり気を使って隣に並んでくれると、頭一個大きい。
可愛いんだけど、ちゃんと私には格好いいお兄ちゃんみたいな人だ。
「ほんっとうにデリカシーのない馬鹿でごめんね」
「あいつ、馬鹿なこと以外は良いやつなんだけどさ」
「ひでえな! もう歌のレッスンの時、教えてやんねー」
「ごめんってば」
継くんと紅喜くんが必死で謝るが、那津くんの頬は膨れたままだった。
プォーッ
「ん。準備できた。お前ら、静かに聴けよ」
兄が私の隣に並んで息を吸い込む。
私も急いでトランペットを持って息を吸い込んだ。
「~~」
兄と一緒にトランペットで演奏しているのは、『アンフィニ』というアイドルグループの新曲「ひまわりの放課後」だ。
演奏が始まるとじゃれるのをやめて三人はベンチに座って一緒に左右に揺れ出した。
『アンフィニ』は高校生三人からなるアイドルグループで、今私たち若い世代から大人まで虜にしちゃうイケメン三人グループだ。
ポップなダンスと一度聴いたらずっと口ずさんでしまう歌で、学校に行く生徒が聴いてるのはもちろん、電車やファッションビルのモニターでも毎日のように流れている。
プライベートはヒミツが多い三人だって紹介されることが多いけど、学生だから事務所が色々と配慮してくれているだけだ。
だって。
だってね。
『アンフィニ』って、今、目の前にいる兄の幼馴染三人なんだもん。
その事実を知っているのはとっても少ないけど、同じ学校の人にバレたらきっとアイドルではない私でさえ紹介してって追いかけまわされそう。
普段の三人は、まったく有名人ぶることのない優しい兄の友人らなんだけどね。
「さいこう! やっぱ海晴しかいねえ!」
「またうまくなったんじゃない? 練習した?」
兄がトランペットを撫でながらくしゃくしゃに笑う。
「まあな。やっと親から許可が下りたんだ」
「学年十番以内キープに親が決めた大学を出ることを条件、ねえ」
「お前みたいに教科書読んだだけで理解する頭じゃねえからな」
「そうじゃなくて、こんなに才能があるのにそこまで厳しくする必要あるかなってこと」
三人は不満そうに口ごもっている。
三人が私の両親に不満を持っているのは、二年前から知っている。
三人で玄関で頭を下げて、うちの両親にお願いしていたんだ。
『アンフィニ』には兄が必要だって。
『アンフィニ』は四人で作ったから四人でデビューしたいって。
兄の方を見ると、くしゃくしゃに笑っていたのに、今にも泣き出しそうな笑顔に変わっていた。
「わ、わわ私、私、私のせいなの。こ、こ、こんなこんな遅くなってご、ごめんなさい」
「亜空。違うから、俺が親の納得いけるほどの実力がなかっただけだから」
兄はかばってくれるけど私は納得できなくて俯いた。
兄と紅喜くんと那津くん、継くんは、同じダンススクールの仲間だ。
私が下の階の音楽教室に通うことになったときに出会った幼馴染四人組。
そのダンススクールの先生が、芸能事務所と提携していてバックダンサーとして地方のステージや小さなイベントで踊っていたところ四人で芸能界にスカウトされた。
四人でスカウトされたのに、うちの親は高校受験を理由に断った。
芸能事務所の社長が未成年である兄たちの学業や安全を保障すると説明してもダメだった。
『もし亜空のことまで騒がれたら、可哀そうでしょ』
兄と両親の言い争いの中、一度だけ私の名前が出てきたことがある。
私は生まれつき、吃音が酷くて体質的なものだと医者の先生は言っていた。
幼少期で完治する場合がほとんどなのだけど、中学一年になった今も私はまだ治っていない。
同じ単語を何度も繰り返したりどもったりして、会話していても相手が迷惑そうにしたい怖がって泣き出したり、話しかけてこなくなる経験は沢山してきた。
別にパニックでもないし怒ってもないし、泣いてもいない。
感情に左右されているわけでもない吃音は理解されにくい。
どんどん内気で人見知りになる私に、両親は音楽教室を見つけ出して週三回のピアノと歌のレッスン、そして吃音矯正のリハビリで友達との関係に悩まなくていいように忙しくしてくれた。
両親は私のために色々してくれがその反面、何でもできる兄を放任し過ぎていたんだと思う。
高校受験で首席で入学したある日。
私より先に帰っていた兄は、締め切った暗い部屋の中、テレビの前に座っていた。
ダンススクールの幼馴染三人がテレビで歌ったり踊ったりしているのを見て、兄が静かに泣いているのを見て私は後悔した。
兄は色々諦めてくれていた。ずっと我慢してくれていた。
「お、お、お兄、お兄ちゃん」
気づけば私はカバンを放り投げて兄に抱き着いてわんわん泣いていた。
お兄ちゃんごめんねって、うまく言えないから泣いた。
代わりに親にお願いした。
お兄ちゃんのことも見てって。
お兄ちゃんが沢山我慢して私がここにいるんだよって。
沢山泣いて、お兄ちゃんも泣いて、うまく話せないから手紙にしたりメッセージにして両親にお願いした。
両親も私に掛かりっきりだったことに負い目を感じていたんだと思う。あんなに反対していたのに学業に支障無い範囲でと約束して認めてくれた。
だけど今や大人気になってしまった『アンフィニ』にいきなりただの高校生である兄がすんなり入れるわけがない。
なので大々的にオーディションをして二名の新しいメンバーを募集することにした。
審査員には三人は勿論いるので、兄は絶対に選ばれる。
というか途中から入る兄のためのようなオーディションでもあった。スカウトした時点では兄もメンバー候補だった。
だから私は何も心配していない。
一応、出来レースにならないように本気で入りたい学生のためにメンバー募集は二名にしたらしい。
「オーディションで特技を見せてって言われるらしくて、トランペットにしようと思うんだがどう?」
「いいじゃん」
「格好いい!」
「お前らしいんじゃね?」
兄がくしゃくしゃの笑顔で笑うんだ。
オーディションの許可が下りた時から、家でもくしゃくしゃに笑うようになった。
でもきっと、三人の前ではもうずっと前からこうやって笑っていたんだと思う。
三人もアイドル活動に学校にと忙しいのに、兄のためにこうやって時間を作って一緒に練習を見てくれる。
「亜空ちゃんもオーディション応募してくれた?」
「わ、わわたし?」
トランペットのケースを閉まっていたら那津くんがそう言ってくれたので驚いていると、継くんのチョップが飛んできた。本の角じゃなくてとうとう手が伸びてきた。
「いって」
「俺らアンフィニは男の子限定だろ」
「だからって殴らなくていいじゃん!」
「あれ、募集要項に男限定って書いてたっけな」
紅喜くんがタブレットを取り出してチェックし出したので、兄も来て四人で覗き込んでいる。
「流石に十八歳未満の男の子って書いてるじゃん」
兄が指さしていてちょっとだけ安堵した。
私にはこんなキラキラした世界、怖くて無理だよ。
「えー、だって亜空ちゃん、かあいいからさ、マスコットにほしいじゃん」
今度は全員から怒られていた。
那津くんってどこか不憫だ。
でも場をいつも明るくしてくれる。
確かに私の吃音は、考えてから話し出したり歌っているときは出にくい。
でも出にくいからってアイドルになりたいかといえば、ノーだ。
私は今、自分の生活でいっぱいいっぱいだ。
中学になって吹奏楽部に入り、トランペットを練習しているだけでも必死なのに、アイドルなんてやれる器用さも、そして四人みたいなキラキラさもない。
そして出来れば今は、私は兄に迷惑をかけないように、兄の負担にならないように生きていきたい。
「よーしじゃあ今日の練習はもう終わり。俺さ、あれ考えたい」
那津くんが私の隣に座って、皆に座るように促す。
「なにー? 俺、このあと犬の散歩だよ」
「僕も塾の勉強するよ」
「なんでだよ! 皆で考えようよ、海晴のメンバーカラー」
「ぷはっ。 お前、早すぎ」
兄が嬉しそうに那津くんの髪を両手でくしゃくしゃっとすると、皆で爆笑した。
兄のオーディションは三日後の土曜日。
オーディションが終われば兄はきっと人気アイドルグループで活動する。
テレビで兄が踊っている姿を見られると思うと、今からとっても楽しみだった。
ああ、なるほどだからだ。きっと兄を応援しているから今日は空が綺麗なんだ。綺麗に見えるんだ。
お兄ちゃんは唇を噛み締めてずっと泣くのを我慢していたけれど、大粒の涙が一つ流れると零れるように言った。
やっとママたちが許してくれたのに。やっと皆と一緒にできるって喜んでたのに。
「わ、わ、私、私が代わりに出る。お、兄、お兄ちゃんのふりする!」
こんな私でも、何かできるのならば。
自分で言ったくせに足が震えて、喉がカラカラと急激に乾いた。
けれど私は、前言撤回するつもりは絶対にない。
絶対にお兄ちゃんの夢は私が守る。
***
その日は、とっても空が綺麗だった。
どうして綺麗って思ったんだろう。雲が一つもなかったからかな。
風が気持ちよくてポカポカと暖かかったからかな。
それとも……とても綺麗な歌声が聴こえてきたからだったかな。
「おい、亜空(そら)、はやくしろよ、皆待たせてるじゃん」
兄にそう言われて始まった朝のレッスン。
学校をずる休みしがちな私には、一歩を踏み出す大事な始まりだった。
「お、お、おおお兄ちゃん、待ってよ」
シューズのひもを結ぶのにもたついていたら、兄がさっさとケースを持って飛び出した。
私のケースまで持ってくれてるから重いはずなのに。
「待ってるじゃん。お、今日は珍しくもう皆来てるじゃん」
「ま、ままま待って。まっまって」
兄が私の手を掴むと、転ばない程度に速度を上げて走っていく。
走っていく先は、家から一番近くにある公園。
バスケのコート内にあるベンチでは、ボールを指先で回している人と本で顔を隠して爆睡している人と、歌を歌っている人が兄を待っていた。
うっ。
空がとても綺麗だと思ったのは、どうしてだったか少しだけ思い出した。
兄の友人三人があまりにも全員格好良すぎて、直視できなくて空を見上げたからだ。
いつも顔を上げて見上げたことがなかった空は、雲が流れるのが早くて風が心地よくて、とても綺麗だと思ったんだった。
「亜空ちゃん、海晴(かい)にいじめられてない? 大丈夫?」
「だ、っだだ大丈夫です。優しいしい、いま今だって、ケースケースをはこ運んでくれて」
歌を歌っていた紅喜(こうき)くんが、私と兄のケースをベンチに運んでくれた。
地毛らしいけど染めているみたいな茶髪に、百七十センチ超えた身長。外国の王子様みたいな紅喜くんは、ケースを開くと中のトランペットを持ち上げた。
「すげー! 俺も触りたい触りたい」
ボールを放り投げて駆けつけてくれたのは、那津(なつ)くん。
スポーツ全般が得意で、兄曰く猿みたいにちょこちょこ動き回るらしい。
バスケが一番得意ですでに有名な大学から指名もらったりしている。
「おい、トランペットは高級なんだからな。汗で汚くなった手で簡単に触れるなよ」
「いてっ。カイ! 継(けい)がなんか重たそうな本で叩いた!」
さっきまで本を顔に乗せてねてたはずの継くんが、本を手に持って足を組み替えながらこちらを見てくる。
継くんは成績優秀で常に学年トップ。幼少期に受けたテストがあまりにも良くてギフテッドと認められてるとかなんとか。
「お前らなあ、せっかく俺と亜空のトランペット聴かせてやるってのに。朝からうるさいなあ」
兄がケースを開けようと触ると、皆が近づいてくる。
「うるさいのは那津だけだよ」
「俺ええ?」
「そう。僕は夜遅くまで勉強したたけど、わざわざ来てあげてるんだから。那津だけ注意してよ」
「ひどいよ。俺が聴きたいって言いだしただろ! 感謝してよ!」
皆の会話から仲がいいのが伺えて居心地が悪い。
こんなに仲のいい皆と私が一緒に居ていいのか不安。
仲のいい兄の妹だから歓迎してくれているだろうけど、私にも優しくしてくれるからつい甘えてしまう。
「亜空ちゃんも吹けるんだ」
継くんが私のピカピカの新品のトランペットを持ち上げる。
「ま、ままだ、練習中です」
「あ、やっぱそう? 海晴よりは使い込まれてないよね」
使い古されてないトランペットを興味津々に見ている継くんの横顔に思わず見とれてしまう。
鼻が高くて、銀のフレームの眼鏡と艶やかな黒髪は清潔そうでストイックで、イケメンすぎる。
「亜空ちゃんは俺と一緒に歌おうよー。歌って吃音出にくいんでしょ」
「きゃ、きゃあ」
後ろから抱き着かれて思わず飛び跳ねると、再び継くんの本の角が那津くんの頭に命中する。
「痛いってば。これ以上馬鹿になったら責任とれよ!」
那津くんもちょこまかしてて表情がころころ変わるし、まつ毛も私よりも長くて一見可愛いんだけど、私に一番話しかけてくれたり気を使って隣に並んでくれると、頭一個大きい。
可愛いんだけど、ちゃんと私には格好いいお兄ちゃんみたいな人だ。
「ほんっとうにデリカシーのない馬鹿でごめんね」
「あいつ、馬鹿なこと以外は良いやつなんだけどさ」
「ひでえな! もう歌のレッスンの時、教えてやんねー」
「ごめんってば」
継くんと紅喜くんが必死で謝るが、那津くんの頬は膨れたままだった。
プォーッ
「ん。準備できた。お前ら、静かに聴けよ」
兄が私の隣に並んで息を吸い込む。
私も急いでトランペットを持って息を吸い込んだ。
「~~」
兄と一緒にトランペットで演奏しているのは、『アンフィニ』というアイドルグループの新曲「ひまわりの放課後」だ。
演奏が始まるとじゃれるのをやめて三人はベンチに座って一緒に左右に揺れ出した。
『アンフィニ』は高校生三人からなるアイドルグループで、今私たち若い世代から大人まで虜にしちゃうイケメン三人グループだ。
ポップなダンスと一度聴いたらずっと口ずさんでしまう歌で、学校に行く生徒が聴いてるのはもちろん、電車やファッションビルのモニターでも毎日のように流れている。
プライベートはヒミツが多い三人だって紹介されることが多いけど、学生だから事務所が色々と配慮してくれているだけだ。
だって。
だってね。
『アンフィニ』って、今、目の前にいる兄の幼馴染三人なんだもん。
その事実を知っているのはとっても少ないけど、同じ学校の人にバレたらきっとアイドルではない私でさえ紹介してって追いかけまわされそう。
普段の三人は、まったく有名人ぶることのない優しい兄の友人らなんだけどね。
「さいこう! やっぱ海晴しかいねえ!」
「またうまくなったんじゃない? 練習した?」
兄がトランペットを撫でながらくしゃくしゃに笑う。
「まあな。やっと親から許可が下りたんだ」
「学年十番以内キープに親が決めた大学を出ることを条件、ねえ」
「お前みたいに教科書読んだだけで理解する頭じゃねえからな」
「そうじゃなくて、こんなに才能があるのにそこまで厳しくする必要あるかなってこと」
三人は不満そうに口ごもっている。
三人が私の両親に不満を持っているのは、二年前から知っている。
三人で玄関で頭を下げて、うちの両親にお願いしていたんだ。
『アンフィニ』には兄が必要だって。
『アンフィニ』は四人で作ったから四人でデビューしたいって。
兄の方を見ると、くしゃくしゃに笑っていたのに、今にも泣き出しそうな笑顔に変わっていた。
「わ、わわ私、私、私のせいなの。こ、こ、こんなこんな遅くなってご、ごめんなさい」
「亜空。違うから、俺が親の納得いけるほどの実力がなかっただけだから」
兄はかばってくれるけど私は納得できなくて俯いた。
兄と紅喜くんと那津くん、継くんは、同じダンススクールの仲間だ。
私が下の階の音楽教室に通うことになったときに出会った幼馴染四人組。
そのダンススクールの先生が、芸能事務所と提携していてバックダンサーとして地方のステージや小さなイベントで踊っていたところ四人で芸能界にスカウトされた。
四人でスカウトされたのに、うちの親は高校受験を理由に断った。
芸能事務所の社長が未成年である兄たちの学業や安全を保障すると説明してもダメだった。
『もし亜空のことまで騒がれたら、可哀そうでしょ』
兄と両親の言い争いの中、一度だけ私の名前が出てきたことがある。
私は生まれつき、吃音が酷くて体質的なものだと医者の先生は言っていた。
幼少期で完治する場合がほとんどなのだけど、中学一年になった今も私はまだ治っていない。
同じ単語を何度も繰り返したりどもったりして、会話していても相手が迷惑そうにしたい怖がって泣き出したり、話しかけてこなくなる経験は沢山してきた。
別にパニックでもないし怒ってもないし、泣いてもいない。
感情に左右されているわけでもない吃音は理解されにくい。
どんどん内気で人見知りになる私に、両親は音楽教室を見つけ出して週三回のピアノと歌のレッスン、そして吃音矯正のリハビリで友達との関係に悩まなくていいように忙しくしてくれた。
両親は私のために色々してくれがその反面、何でもできる兄を放任し過ぎていたんだと思う。
高校受験で首席で入学したある日。
私より先に帰っていた兄は、締め切った暗い部屋の中、テレビの前に座っていた。
ダンススクールの幼馴染三人がテレビで歌ったり踊ったりしているのを見て、兄が静かに泣いているのを見て私は後悔した。
兄は色々諦めてくれていた。ずっと我慢してくれていた。
「お、お、お兄、お兄ちゃん」
気づけば私はカバンを放り投げて兄に抱き着いてわんわん泣いていた。
お兄ちゃんごめんねって、うまく言えないから泣いた。
代わりに親にお願いした。
お兄ちゃんのことも見てって。
お兄ちゃんが沢山我慢して私がここにいるんだよって。
沢山泣いて、お兄ちゃんも泣いて、うまく話せないから手紙にしたりメッセージにして両親にお願いした。
両親も私に掛かりっきりだったことに負い目を感じていたんだと思う。あんなに反対していたのに学業に支障無い範囲でと約束して認めてくれた。
だけど今や大人気になってしまった『アンフィニ』にいきなりただの高校生である兄がすんなり入れるわけがない。
なので大々的にオーディションをして二名の新しいメンバーを募集することにした。
審査員には三人は勿論いるので、兄は絶対に選ばれる。
というか途中から入る兄のためのようなオーディションでもあった。スカウトした時点では兄もメンバー候補だった。
だから私は何も心配していない。
一応、出来レースにならないように本気で入りたい学生のためにメンバー募集は二名にしたらしい。
「オーディションで特技を見せてって言われるらしくて、トランペットにしようと思うんだがどう?」
「いいじゃん」
「格好いい!」
「お前らしいんじゃね?」
兄がくしゃくしゃの笑顔で笑うんだ。
オーディションの許可が下りた時から、家でもくしゃくしゃに笑うようになった。
でもきっと、三人の前ではもうずっと前からこうやって笑っていたんだと思う。
三人もアイドル活動に学校にと忙しいのに、兄のためにこうやって時間を作って一緒に練習を見てくれる。
「亜空ちゃんもオーディション応募してくれた?」
「わ、わわたし?」
トランペットのケースを閉まっていたら那津くんがそう言ってくれたので驚いていると、継くんのチョップが飛んできた。本の角じゃなくてとうとう手が伸びてきた。
「いって」
「俺らアンフィニは男の子限定だろ」
「だからって殴らなくていいじゃん!」
「あれ、募集要項に男限定って書いてたっけな」
紅喜くんがタブレットを取り出してチェックし出したので、兄も来て四人で覗き込んでいる。
「流石に十八歳未満の男の子って書いてるじゃん」
兄が指さしていてちょっとだけ安堵した。
私にはこんなキラキラした世界、怖くて無理だよ。
「えー、だって亜空ちゃん、かあいいからさ、マスコットにほしいじゃん」
今度は全員から怒られていた。
那津くんってどこか不憫だ。
でも場をいつも明るくしてくれる。
確かに私の吃音は、考えてから話し出したり歌っているときは出にくい。
でも出にくいからってアイドルになりたいかといえば、ノーだ。
私は今、自分の生活でいっぱいいっぱいだ。
中学になって吹奏楽部に入り、トランペットを練習しているだけでも必死なのに、アイドルなんてやれる器用さも、そして四人みたいなキラキラさもない。
そして出来れば今は、私は兄に迷惑をかけないように、兄の負担にならないように生きていきたい。
「よーしじゃあ今日の練習はもう終わり。俺さ、あれ考えたい」
那津くんが私の隣に座って、皆に座るように促す。
「なにー? 俺、このあと犬の散歩だよ」
「僕も塾の勉強するよ」
「なんでだよ! 皆で考えようよ、海晴のメンバーカラー」
「ぷはっ。 お前、早すぎ」
兄が嬉しそうに那津くんの髪を両手でくしゃくしゃっとすると、皆で爆笑した。
兄のオーディションは三日後の土曜日。
オーディションが終われば兄はきっと人気アイドルグループで活動する。
テレビで兄が踊っている姿を見られると思うと、今からとっても楽しみだった。
ああ、なるほどだからだ。きっと兄を応援しているから今日は空が綺麗なんだ。綺麗に見えるんだ。



