なにもない世界だった。けれどたった一人の人に出会っただけなのに。こんなに世界は素晴らしいんだ、ただそう思えた人。けれどその人はもう…いないんだ。
私には音が聞こえなかった。人の声が分からない、音楽が聞けない、時計の秒針が聞こえない、楽しそうな笑い声が聞こえない…。でも私は声が伝えられていた。ここから90歳まで生きるとして今は高校2年生。あと何年だろう。なにも世界に住んでいるのは。生きたくない。けれど、死にたくもなかった。諦めきれなかった。もっとこれからいい人生があるのではないかと無駄な期待を心のどこかに隠れているのだろう。嫌だ。嫌だ。そんな自分が。
「澪(みお)、おはよう」
唇の動きで挨拶したんだとわかる。私は笑顔で唇を動かす。
「咲(さき)、おはよ」
咲は小学校からの親友で家も近所だ。もちろん私が耳が聞こえないことも知っている。聞こえなくなったときは全力でサポートしてくれる優しい子だ。いつも私が読み取れるようにゆっくり喋ってくれる。そして笑顔がとびきり可愛い。
「澪、数学の課題した?」
「あ、してない!」
知らない人して見ればなんてないことない光景。けれど私は何も聞こえない。澪の声、どんな声だっけ。だんだん音の記憶がうすれていくのが怖かった。澪の声が思い出せない。
「よかったら課題、見せてくれるとかは…?」
私はダメ元で聞いてみる。だって数学担当教師の山崎。山崎は課題をしてないと怒鳴ることで有名。そんな数学の課題を忘れると怒鳴れるに決まっている。
「しょうがないなぁ」
咲はやっぱり優しい。あ、でも山崎、声が聞こえない私にはどうするのだろう。怒鳴るのだろうか。私が音を聞こえないことはほぼ学年全員が知っている。最初の自己紹介で音が聞こえないことを伝えればすぐに広まる。けれど私は予想はしていたので構わなかった。逆に広まった方が都合がいいのではないかと最近思い始めている。
「咲、ありがと!やっぱり優しい」
しかもこの高校は頭が良いとして有名だ。騒がしい人は比較的少ないのでいじめとかは心配はなかった。音が聞こえないと授業に支障が出るのではないかと不安に思っていた。けれど先生に言い、前の方の席にさせてもらう。それで先生の唇の動きや黒板でわかる。ちなみに英語のリスニングテストは受けていない。意外と特別支援学校に行かなくてもみんなと変わることは少なかった。そう、少なかった。音がなくても生きていけなくはない。けれど世界に彩りがなかった。
私は生まれつき音が聞こえないわけではなかった。その時のことだけは昨日のことのように思い出せる。4年前のことだ。中学2年生の冬休みの日の朝起きたのは9時だった。その日は部活も予定もなにもなかったので、困ることではない。けれどいつもアラームで早く起きるのに少しおかしいなと感じる。お母さんにおはようと言ったのに返事が返ってこない。「ねぇ、おはよう!」私は少し怒り気味に言う。驚いた。お母さんの唇は動いている。まるで喋っているかのように。よく見たらテレビがついている。音は聞こえない。お兄ちゃんも友達と電話しているようだった。声が聞こえない。私だけが世界に取り残された、例えるならそれが一番ふさわしいと思う。
4年前の私は馬鹿だ。ほんとは自分の声も聞こえなかったのに。なんで気づかなかったんだろう。いや、なんで認めなかったんだろう。本当は知ってた、わかっていた。実は数ヶ月前から耳が聞こえづらいと思っていた。思っていたのに。その時期は部長もして部活で忙しい時期だった。「気のせいだろう。」「きっと忙しくてストレスみたいなものだろう。」そう思っていた自分が馬鹿だ。部活は吹奏楽部だった。音楽を奏でる吹奏楽部。音を楽しむ音楽。吹奏楽が大好きだった。音楽が私の全てだった。この想いが過去形になるなんて思いもしないだろう。結局、私は退部して他の人が部長になった。
「澪は恋人とか欲しいって思わないの?」
学校が終わって咲といつも行くカフェに来ていた。いつもカフェに行くときは咲と筆談で話してる。カフェはたくさん話すので「読み取るの大変じゃない?」と咲が前に提案してくれた。
「今は欲しいって思わないかな。いずれ好きな人ができたらね」
「そっかぁ。」と残念そうな文字で咲は書く。正直今は恋愛どころではなかった。音が聞こえなくなってから4年。まだ慣れない。それにこれから一生、音が聞こえないと言うことが受け入れない自分もいた。そこからどんどん会話は続き、いつの間にか時計の針は7時指していた。
「咲、そろそろ帰ろっか。」
咲は頷いて一緒に帰る。家は近いと言ったものの途中で咲の家の方が先に着く。
「またね。」
「うん。また明日。」
私はまた一人で歩き出す。あれ、カフェでペン忘れてきたかな。立ち止まってカバンの中を探す。結局あったので歩きだそうとした。その時、すぐ近くに動いてくる車。轢かれると思って目をつぶった。すぐ目を開けたら一人の男性が近くにいる。どうやら私を助けてくれたのだろう。
「あ、すみません!ありがとうございます」
よく見たら男性には怪我はなさそうだ。その車から人が降りてきた。
「すみません、大丈夫ですか!?」
車を運転していたのはいかにも子育て中のお母さんだった。後ろの席には小さな子供も乗っている。でも悪いのは完全に私だ。車に注意せずに立ち止まっていたのは私だ。それでも法律上悪くなるのは車なので本当に申し訳ない。
「大丈夫です。こちらこそ、すみません。立ち止まってしまって。怪我もないです。」
「僕も大丈夫です。怪我ないです。」
その男性をよく見たら制服を着ていた。隣の市の高校の制服だったけ。どこかでみたことがあった。車を運転していたお母さんは申し訳なさそうにペコペコしながらいった。男子高校生にお礼を言うべきだろう。
「あの、耳、聞こえないんですか。」
唇の動きを見る。確かにそう見えた。なぜわかるのだろう。初対面だし私は声を発せる。隠す必要もないので正直に言った。
「あ、はい。音聞こえないです。なんでわかるんですか?」
「だって車もクラクション鳴ってましたし僕も大声で危ないと叫びましたよ。」
初めて知った。音が聞こえないとそんなことが起きるんだ。だってそんなことは音が聞こえない人より目が見えない人が危ないと思っていたから。気を付けなきゃ。でも車に轢かれそうになったとき、これでもいいのかと感じてしまった。ここで死んだら楽になれるだろうか。ここで死んだら家族と咲、悲しむのかな。そんなことを考えてしまう。あの男子高校生は実は私と同じ年だった。だから敬語はなしにした。そして名前は瑞樹(みずき)くんという名前らしい。少し色々と聞かれた。なんで言葉が聞き取れるのか。高校は特別支援学校ではなく普通の高校の制服だけどどうやって授業を受けてるのか。たくさん聞かれたけど助けてくれた命の恩人でもあるので丁寧に答えた。
「あ、澪ちゃんごめんね。たくさん質問しちゃって。」
「大丈夫だよ。命の恩人だからね。」
「命の恩人、ありがとう。またどこかで。」
「澪ちゃん、またどこかで。」
私は時計の針が夜8時になっていることに気づいて早歩きで家に向かった。ただいまといって帰る。リビングにはお母さんがいて顔を見ておかえりと言ってくれた。私が音が聞こえなくなってからわざわざ顔をゆっくりと向け挨拶する。多分、読み取れるようにだろう。夜ご飯を食べてお風呂に入り、勉強をする。音が聞こえなくてもまるで変わらない日常だった。でも音が聞こえなくなるは、私にとって音楽が聞けなくなる。ぐらいしか分からなかった。でも今日、車に轢かれそうになったときは驚いた。日常一つ一つのことが音が必要だった。顔を見れば読み取れる。そう思って4年を過ごした自分が馬鹿だったんだと気づく。私はそんなこと考えながらいつの間にか寝ていた。
朝になり、また同じ日常が戻ってくる。
「咲、おはよ。」
「おはよう。」
私は昨日、車に轢かれそうになりました。と咲に言おうと思ったけどやめた。「私、澪の家まで着いてくよ。」とかいいそうだから。それは流石に申し訳ない。
「澪、放課後空いてる?またカフェいきたい」
「いいよ」
先生の唇の動きを見ながら授業をし、いつの間にか放課後だ。話ながら電車に乗り、歩いているとカフェに着く。席に座った。カウンターかテーブル席かいつも迷うが今日は少し混んでいるので2人でカウンターにならんだ。咲とは違う隣を見ると昨日、知り合った顔がいる。
「あれ?瑞樹くん?」
命の恩人、瑞樹くんはイヤホンをしてたらしい。まだ伝わってなかった。すると咲が興味津々に聞いてきた。顔がとてもワクワクしている。彼氏とかだと思っているのだろう。
「どうしたの?澪の友達?」
「違うよ。えっとね」
結局私は昨日、車に轢かれそうになったことも話してしまった。心配性な咲はどんな反応するたろう。
「…澪、前にもあったよね。こういうこと。」
私が朝考えたことは予想的中ではなかった。私は疑問に思う。咲は今、前にあったと言った。前にもあっただろうか。
「前にもあったけ?轢かれそうになったこと。」
「あったよ。その時は私が速く助けたから忘れたと思うけど。澪は音聞こえないの慣れたと思うけど私は毎日心配なんだよ。」
私は少し戸惑った。まず私が轢かれそうになったことは2回目で1回目は咲に助けられていたこと。音がなくても1人で生きていけると思っていた私が馬鹿だった。たくさんの人に助けられたんだと知る。本当に申し訳ない。それに咲は言った。「音が聞こえないの慣れたと思うけど」って言った。咲、私は全然慣れてないんだよ。今にも泣きそうだった。咲は全く悪気があって言ったわけではない。けれど私の心にチクリと刺さる言葉でもあった。それでも私は笑顔で言った。
「咲、ごめん。今度からもっと気を付けます!」
そしたら咲はぱっとお花が咲いたように明るい笑顔を見せた。
「気をつけてね。」
返事をするのと同時に肩を優しく叩かれた。
「澪ちゃん?」
瑞樹くんは少し驚いたようにイヤホンを取ってこちらを向いている。
「瑞樹くん久しぶりだね。昨日はありがとう。」
「そうだね。また会えた。」
人見知りの咲は少し気まずそうにしながらもメモした紙を見せてきた。「挨拶した方がいいかな?」と書かれてあって私は「どっちでも大丈夫だと思う」とこそっと話す。結局挨拶することにしたらしい。
「あの私、澪の友達で昨日は助けてくれてありがとう。」
咲は同い年なことは知っていたのでタメ口で話していた。咲は瑞樹くんの返事を待たずに少し早口で話続けた。
「私、この後塾あるから先帰るね。澪、またね!」
咲は私にまたメモを渡してきた。「ごめん。まじで塾だった!瑞樹くんとたくさん話せるといいね」そうだった。咲は忘れやすいところがある。けれど、きっと理由はそれだけではなかったのだろう。咲は人見知りなところもあるので少し嫌だったのかな。私はこれからどうしようと思い、瑞樹くんに話しかけた。
「隣座ってもいい?」
瑞樹くんは少し笑顔になる。
「もちろん。どうぞ。」
きっとその声は弾んでいる気がした。その後瑞樹くんと少し筆談で話した。「ごめんね、筆談、めんどくさいよね。」と私は書いたけれど、瑞樹くんは「大丈夫だよ。」と笑顔で書いてくれた。隣にはにこちゃんマークが書かれてある。それからどのくらいの時間、筆談していただろう。趣味や学校のこと、それに連絡先も交換した。気付けば時計は7時半を指している。「もう、帰るね。」私は残念だけど仕方なく書いた。「わかった。また連絡するね」瑞樹くんも少し残念そうな文字で書いた。残念そうな文字ってなんだろうって思うけれどなんとなくわかる。私は筆談ではなく声でまたねと言ってお会計をしカフェを出ようとした。そしたら後ろから肩を軽く叩かれる。そこにはメモ帳を持った瑞樹くんが立っていた。どうしたのだろうと思ってメモ帳を覗く。「車に気をつけてね。」瑞樹くんはやっぱり優しい。隣にはまた可愛らしいにこちゃんマークが書かれてあった。「ありがとう。気を付けます!またね。」私は元気よく言う。瑞樹くんは私の声は元気良さそうに聞こえたのだろうか。瑞樹くんも「またね。」と唇が動いた。その顔を見れば眩しいぐらいの笑顔だった。その笑顔をまた見たい。素直にそう思えた。私はカフェを出る。すごい楽しかった。久しぶりだった。こんなに楽しかったのは。もちろん咲と一緒にいるときも楽しい。けど、また別の楽しさというか。自分が少し変われた気がした。そんなことを考えながら歩いている。
考え事をしているうちに家についた。家族にただいまと言う。今日はリビングにはお母さんとお父さんがいた。お兄ちゃんは2階だろうが。どちらも振り返っておかえりと言ってくれる。昨日と同じ光景、似ている光景なのにあきらかにどこか違う。瑞樹くんと話したからだろうか。世界が明るくなった気がした。またご飯を食べてお風呂に入って勉強をして。やっぱり昨日と違う。やっぱり昨日の自分と違う。やっぱり昨日の自分と比べて明るくなれた。
私には音が聞こえなかった。人の声が分からない、音楽が聞けない、時計の秒針が聞こえない、楽しそうな笑い声が聞こえない…。でも私は声が伝えられていた。ここから90歳まで生きるとして今は高校2年生。あと何年だろう。なにも世界に住んでいるのは。生きたくない。けれど、死にたくもなかった。諦めきれなかった。もっとこれからいい人生があるのではないかと無駄な期待を心のどこかに隠れているのだろう。嫌だ。嫌だ。そんな自分が。
「澪(みお)、おはよう」
唇の動きで挨拶したんだとわかる。私は笑顔で唇を動かす。
「咲(さき)、おはよ」
咲は小学校からの親友で家も近所だ。もちろん私が耳が聞こえないことも知っている。聞こえなくなったときは全力でサポートしてくれる優しい子だ。いつも私が読み取れるようにゆっくり喋ってくれる。そして笑顔がとびきり可愛い。
「澪、数学の課題した?」
「あ、してない!」
知らない人して見ればなんてないことない光景。けれど私は何も聞こえない。澪の声、どんな声だっけ。だんだん音の記憶がうすれていくのが怖かった。澪の声が思い出せない。
「よかったら課題、見せてくれるとかは…?」
私はダメ元で聞いてみる。だって数学担当教師の山崎。山崎は課題をしてないと怒鳴ることで有名。そんな数学の課題を忘れると怒鳴れるに決まっている。
「しょうがないなぁ」
咲はやっぱり優しい。あ、でも山崎、声が聞こえない私にはどうするのだろう。怒鳴るのだろうか。私が音を聞こえないことはほぼ学年全員が知っている。最初の自己紹介で音が聞こえないことを伝えればすぐに広まる。けれど私は予想はしていたので構わなかった。逆に広まった方が都合がいいのではないかと最近思い始めている。
「咲、ありがと!やっぱり優しい」
しかもこの高校は頭が良いとして有名だ。騒がしい人は比較的少ないのでいじめとかは心配はなかった。音が聞こえないと授業に支障が出るのではないかと不安に思っていた。けれど先生に言い、前の方の席にさせてもらう。それで先生の唇の動きや黒板でわかる。ちなみに英語のリスニングテストは受けていない。意外と特別支援学校に行かなくてもみんなと変わることは少なかった。そう、少なかった。音がなくても生きていけなくはない。けれど世界に彩りがなかった。
私は生まれつき音が聞こえないわけではなかった。その時のことだけは昨日のことのように思い出せる。4年前のことだ。中学2年生の冬休みの日の朝起きたのは9時だった。その日は部活も予定もなにもなかったので、困ることではない。けれどいつもアラームで早く起きるのに少しおかしいなと感じる。お母さんにおはようと言ったのに返事が返ってこない。「ねぇ、おはよう!」私は少し怒り気味に言う。驚いた。お母さんの唇は動いている。まるで喋っているかのように。よく見たらテレビがついている。音は聞こえない。お兄ちゃんも友達と電話しているようだった。声が聞こえない。私だけが世界に取り残された、例えるならそれが一番ふさわしいと思う。
4年前の私は馬鹿だ。ほんとは自分の声も聞こえなかったのに。なんで気づかなかったんだろう。いや、なんで認めなかったんだろう。本当は知ってた、わかっていた。実は数ヶ月前から耳が聞こえづらいと思っていた。思っていたのに。その時期は部長もして部活で忙しい時期だった。「気のせいだろう。」「きっと忙しくてストレスみたいなものだろう。」そう思っていた自分が馬鹿だ。部活は吹奏楽部だった。音楽を奏でる吹奏楽部。音を楽しむ音楽。吹奏楽が大好きだった。音楽が私の全てだった。この想いが過去形になるなんて思いもしないだろう。結局、私は退部して他の人が部長になった。
「澪は恋人とか欲しいって思わないの?」
学校が終わって咲といつも行くカフェに来ていた。いつもカフェに行くときは咲と筆談で話してる。カフェはたくさん話すので「読み取るの大変じゃない?」と咲が前に提案してくれた。
「今は欲しいって思わないかな。いずれ好きな人ができたらね」
「そっかぁ。」と残念そうな文字で咲は書く。正直今は恋愛どころではなかった。音が聞こえなくなってから4年。まだ慣れない。それにこれから一生、音が聞こえないと言うことが受け入れない自分もいた。そこからどんどん会話は続き、いつの間にか時計の針は7時指していた。
「咲、そろそろ帰ろっか。」
咲は頷いて一緒に帰る。家は近いと言ったものの途中で咲の家の方が先に着く。
「またね。」
「うん。また明日。」
私はまた一人で歩き出す。あれ、カフェでペン忘れてきたかな。立ち止まってカバンの中を探す。結局あったので歩きだそうとした。その時、すぐ近くに動いてくる車。轢かれると思って目をつぶった。すぐ目を開けたら一人の男性が近くにいる。どうやら私を助けてくれたのだろう。
「あ、すみません!ありがとうございます」
よく見たら男性には怪我はなさそうだ。その車から人が降りてきた。
「すみません、大丈夫ですか!?」
車を運転していたのはいかにも子育て中のお母さんだった。後ろの席には小さな子供も乗っている。でも悪いのは完全に私だ。車に注意せずに立ち止まっていたのは私だ。それでも法律上悪くなるのは車なので本当に申し訳ない。
「大丈夫です。こちらこそ、すみません。立ち止まってしまって。怪我もないです。」
「僕も大丈夫です。怪我ないです。」
その男性をよく見たら制服を着ていた。隣の市の高校の制服だったけ。どこかでみたことがあった。車を運転していたお母さんは申し訳なさそうにペコペコしながらいった。男子高校生にお礼を言うべきだろう。
「あの、耳、聞こえないんですか。」
唇の動きを見る。確かにそう見えた。なぜわかるのだろう。初対面だし私は声を発せる。隠す必要もないので正直に言った。
「あ、はい。音聞こえないです。なんでわかるんですか?」
「だって車もクラクション鳴ってましたし僕も大声で危ないと叫びましたよ。」
初めて知った。音が聞こえないとそんなことが起きるんだ。だってそんなことは音が聞こえない人より目が見えない人が危ないと思っていたから。気を付けなきゃ。でも車に轢かれそうになったとき、これでもいいのかと感じてしまった。ここで死んだら楽になれるだろうか。ここで死んだら家族と咲、悲しむのかな。そんなことを考えてしまう。あの男子高校生は実は私と同じ年だった。だから敬語はなしにした。そして名前は瑞樹(みずき)くんという名前らしい。少し色々と聞かれた。なんで言葉が聞き取れるのか。高校は特別支援学校ではなく普通の高校の制服だけどどうやって授業を受けてるのか。たくさん聞かれたけど助けてくれた命の恩人でもあるので丁寧に答えた。
「あ、澪ちゃんごめんね。たくさん質問しちゃって。」
「大丈夫だよ。命の恩人だからね。」
「命の恩人、ありがとう。またどこかで。」
「澪ちゃん、またどこかで。」
私は時計の針が夜8時になっていることに気づいて早歩きで家に向かった。ただいまといって帰る。リビングにはお母さんがいて顔を見ておかえりと言ってくれた。私が音が聞こえなくなってからわざわざ顔をゆっくりと向け挨拶する。多分、読み取れるようにだろう。夜ご飯を食べてお風呂に入り、勉強をする。音が聞こえなくてもまるで変わらない日常だった。でも音が聞こえなくなるは、私にとって音楽が聞けなくなる。ぐらいしか分からなかった。でも今日、車に轢かれそうになったときは驚いた。日常一つ一つのことが音が必要だった。顔を見れば読み取れる。そう思って4年を過ごした自分が馬鹿だったんだと気づく。私はそんなこと考えながらいつの間にか寝ていた。
朝になり、また同じ日常が戻ってくる。
「咲、おはよ。」
「おはよう。」
私は昨日、車に轢かれそうになりました。と咲に言おうと思ったけどやめた。「私、澪の家まで着いてくよ。」とかいいそうだから。それは流石に申し訳ない。
「澪、放課後空いてる?またカフェいきたい」
「いいよ」
先生の唇の動きを見ながら授業をし、いつの間にか放課後だ。話ながら電車に乗り、歩いているとカフェに着く。席に座った。カウンターかテーブル席かいつも迷うが今日は少し混んでいるので2人でカウンターにならんだ。咲とは違う隣を見ると昨日、知り合った顔がいる。
「あれ?瑞樹くん?」
命の恩人、瑞樹くんはイヤホンをしてたらしい。まだ伝わってなかった。すると咲が興味津々に聞いてきた。顔がとてもワクワクしている。彼氏とかだと思っているのだろう。
「どうしたの?澪の友達?」
「違うよ。えっとね」
結局私は昨日、車に轢かれそうになったことも話してしまった。心配性な咲はどんな反応するたろう。
「…澪、前にもあったよね。こういうこと。」
私が朝考えたことは予想的中ではなかった。私は疑問に思う。咲は今、前にあったと言った。前にもあっただろうか。
「前にもあったけ?轢かれそうになったこと。」
「あったよ。その時は私が速く助けたから忘れたと思うけど。澪は音聞こえないの慣れたと思うけど私は毎日心配なんだよ。」
私は少し戸惑った。まず私が轢かれそうになったことは2回目で1回目は咲に助けられていたこと。音がなくても1人で生きていけると思っていた私が馬鹿だった。たくさんの人に助けられたんだと知る。本当に申し訳ない。それに咲は言った。「音が聞こえないの慣れたと思うけど」って言った。咲、私は全然慣れてないんだよ。今にも泣きそうだった。咲は全く悪気があって言ったわけではない。けれど私の心にチクリと刺さる言葉でもあった。それでも私は笑顔で言った。
「咲、ごめん。今度からもっと気を付けます!」
そしたら咲はぱっとお花が咲いたように明るい笑顔を見せた。
「気をつけてね。」
返事をするのと同時に肩を優しく叩かれた。
「澪ちゃん?」
瑞樹くんは少し驚いたようにイヤホンを取ってこちらを向いている。
「瑞樹くん久しぶりだね。昨日はありがとう。」
「そうだね。また会えた。」
人見知りの咲は少し気まずそうにしながらもメモした紙を見せてきた。「挨拶した方がいいかな?」と書かれてあって私は「どっちでも大丈夫だと思う」とこそっと話す。結局挨拶することにしたらしい。
「あの私、澪の友達で昨日は助けてくれてありがとう。」
咲は同い年なことは知っていたのでタメ口で話していた。咲は瑞樹くんの返事を待たずに少し早口で話続けた。
「私、この後塾あるから先帰るね。澪、またね!」
咲は私にまたメモを渡してきた。「ごめん。まじで塾だった!瑞樹くんとたくさん話せるといいね」そうだった。咲は忘れやすいところがある。けれど、きっと理由はそれだけではなかったのだろう。咲は人見知りなところもあるので少し嫌だったのかな。私はこれからどうしようと思い、瑞樹くんに話しかけた。
「隣座ってもいい?」
瑞樹くんは少し笑顔になる。
「もちろん。どうぞ。」
きっとその声は弾んでいる気がした。その後瑞樹くんと少し筆談で話した。「ごめんね、筆談、めんどくさいよね。」と私は書いたけれど、瑞樹くんは「大丈夫だよ。」と笑顔で書いてくれた。隣にはにこちゃんマークが書かれてある。それからどのくらいの時間、筆談していただろう。趣味や学校のこと、それに連絡先も交換した。気付けば時計は7時半を指している。「もう、帰るね。」私は残念だけど仕方なく書いた。「わかった。また連絡するね」瑞樹くんも少し残念そうな文字で書いた。残念そうな文字ってなんだろうって思うけれどなんとなくわかる。私は筆談ではなく声でまたねと言ってお会計をしカフェを出ようとした。そしたら後ろから肩を軽く叩かれる。そこにはメモ帳を持った瑞樹くんが立っていた。どうしたのだろうと思ってメモ帳を覗く。「車に気をつけてね。」瑞樹くんはやっぱり優しい。隣にはまた可愛らしいにこちゃんマークが書かれてあった。「ありがとう。気を付けます!またね。」私は元気よく言う。瑞樹くんは私の声は元気良さそうに聞こえたのだろうか。瑞樹くんも「またね。」と唇が動いた。その顔を見れば眩しいぐらいの笑顔だった。その笑顔をまた見たい。素直にそう思えた。私はカフェを出る。すごい楽しかった。久しぶりだった。こんなに楽しかったのは。もちろん咲と一緒にいるときも楽しい。けど、また別の楽しさというか。自分が少し変われた気がした。そんなことを考えながら歩いている。
考え事をしているうちに家についた。家族にただいまと言う。今日はリビングにはお母さんとお父さんがいた。お兄ちゃんは2階だろうが。どちらも振り返っておかえりと言ってくれる。昨日と同じ光景、似ている光景なのにあきらかにどこか違う。瑞樹くんと話したからだろうか。世界が明るくなった気がした。またご飯を食べてお風呂に入って勉強をして。やっぱり昨日と違う。やっぱり昨日の自分と違う。やっぱり昨日の自分と比べて明るくなれた。
