私の推しはキミなんですっ!〜三つ子のイケメン兄たちより、夏生くんが一番可愛い〜

「あっ、東條《とうじょう》くんだ! 珍しい、今日は夏生《なつき》くんもいる!」
「やばい、格好いい……やっぱり三つ子が揃うとオーラが凄いね」
「あそこだけ別世界だよ。空気がキラキラしてる……」
 良く晴れた六月下旬の朝。
 私立藤凪(ふじなぎ)学園の通学路では、三人の男子生徒が登校中の生徒たちの目を釘づけにしていた。
 入学して二カ月も経てばあちこちから注がれる熱視線にも慣れたらしく、先頭を並んで歩く二人の態度は堂々たるもの。
 一人は観衆に愛想の良い笑顔を振りまき、一人は眠そうにあくびしている。
 でも、二人の後ろにいる一人は居心地が悪いらしく、しかめっ面だった。
「ねえ、東條って誰? そんなに有名なの?」
 その人気ぶりをいまいち理解できていないらしい女子の声が、三人から少し離れた場所を歩いている私の耳に届いた。
「知らないの!? うそ、信じらんない! 彼方《かなた》くんは入学式で特進科を代表して挨拶してたじゃん!!」
 尋ねられた女子は悲鳴じみた声をあげた。
「ごめん、覚えてない」
「仕方ないなー、教えてあげる。まずは長男、東條彼方くん! 万能型の天才! 先を歩いている二人組のうち、向かって左側にいる人がそうよ!」
 興奮気味な女子の台詞に合わせて、私も彼方くんに目の焦点を合わせた。
 降り注ぐ朝の光を浴びて輝く茶髪。
 すっきりと通った目鼻立ち。
 口元にたたえた柔らかな微笑。
 まさにこれぞ王子様、といった風格を持つ彼は、特進科の1年Aクラスの学級委員長。
 なお、Aクラスは難関大学の現役合格を目指す特進科の中でも特に優秀な生徒しか所属を許されないクラスである。
 彼方くんはこの前の中間テストで唯一全教科満点を叩き出した秀才で、中学では常に学年トップだったそう。
 性格は誰に対しても優しく、面倒見も良い。
 そんな彼を慕う生徒は多い。
 中には慕うどころか崇拝している生徒までいるのだと、説明役の女子は熱く語った。
 その熱の込めようからして、彼女もまた大勢いる彼方くんのファンの一人であるらしい。
「彼方くんたちのお父さんは東京で不動産会社を経営しているんだって。きっと将来は彼方くんが後を継ぐんだろうねー。もし彼方くんと結婚できたら玉の輿……」
「あーはいはい、馬鹿な妄想は止めて説明に戻って。彼方くんの隣にいる人は誰なの?」
「次男の健吾《けんご》くんだよ。三人の中では一番背が高くて、182センチあるんだって。ちなみに彼方くんは176ね」
 きっちりと紺色のタイを締め、学校指定の白い半袖シャツを閉じている彼方くんに対し、健吾くんはタイを取り払い、シャツの前を開けて黒のインナーを見せていた。
 寝ぐせそのままといわんばかりの跳ねた茶髪に、凛々しい顔立ち、引き締まった長い肢体。
 彼は普通科のCクラス。
 学業の成績は平均だけれど、彼は運動能力がずば抜けて高く、競争倍率の高い購買のパンを買うために校舎の三階から飛び降りるという離れ業をやってのけたこともある(そのあと彼は先生から厳重注意された)。
 入学式が終わった直後から彼はあらゆるスポーツ系の部員から勧誘されたけれど、バイトを理由に帰宅部を選択した。
 でも、気が向いたときは乞われるまま助っ人に行き、華々しい成績を残しているという。
「体育の授業では彼が活躍するたびに女子の黄色い声援が飛ぶんだってさ!」
「凄いね、学年主席とスポーツ万能のイケメン兄弟かあ。最後の一人にはどんな特技があるの?」
 彼女たちは至って普通のトーンで話していたため、その会話内容は彼にも聞こえていたらしく、彼方くんたちの後ろを歩いていた男子――夏生くんは、小さく肩を震わせた。
 まるで隠れていたところを見つかった小動物のような反応。
「あー……えー……夏生くんはねえ……」
 女子は急にトーンダウンし、可哀想なものでも見るような目で夏生くんを見た。
 夏生くんの髪色は、二人と違ってカラスのように真っ黒。
 顔面偏差値は人並み以上だけれど、いかんせん、彼方くんたちが超絶イケメンなので……これは比較対象が悪いとしか言いようがない。
 四月の身体測定では、身長は167だったと言っていた。
 個人的には低いと思わないけれど、一緒にいる彼方くんたちが175以上あるので、相対的に低く見えてしまう。
「彼と同じEクラスの友達から聞いたところによると、サッカーの試合中、ボールも蹴ってないのに何もないところで一人で勝手に転んで頭打って気絶したらしいから、運動神経は並以下だね」
 どすっ!!
 容赦のない批評が見えない矢となって頭に突き刺さったらしく、夏生くんは俯いた。
 ――ああっ、夏生くんが!
「成績のほうはどうなの?」
「赤点補習組」
「あー……」
「ルックスはまあ、見ての通り。学業、スポーツ、音楽、文芸、武芸、どの分野でも目立つ功績はなし。言っちゃ悪いけど、彼方くんたちに比べれば凡人だね」
「…………っ」
 俯いたまま、夏生くんがぷるぷる震えている。
 左手に握られた学生鞄がその震えに合わせて揺れていた。
「なんか、気の毒だね。一人だけ何の取柄もないなんて」
「……………………っ!!」
 深い哀れみのこもった声と眼差しを受けて、夏生くんの身体の震えはより一層激しくなった。
 ……大丈夫かな、夏生くん。
 見ていてハラハラしてしまう。
 思い切って、彼女たちに止めろと言うべきだろうか。
 でも、ただのクラスメイトでしかない私が注意するっていうのも……。
 公然と異性を庇えば、たとえ真実の関係性がどうであれ、よからぬ噂を立てられるのは確実。
 夏生くんに迷惑をかけることは避けたい。
 だから、私は気を揉みながらも、彼女たちを止めることができなかった。
「本当に三つ子なのかな? 彼だけ髪の色も違うし、あんまり似てないし」
「それね。実は彼だけ橋の下で拾われたのかも」
「いや、それはさすがに……でも、ちょっと納得してしまいそうな自分がいたりして――」
「~~~~~~っ、ああああああもう!!!」
 夏生くんはとうとう爆発し、顔を跳ね上げて吠えた。
 その声量に驚いたらしく、女子たちはびくりとして会話を止めた。
「だからお前らと登校するのは嫌だったんだよ!! もう金輪際、絶対絶対、一緒に登校したりしないからなあああぁぁ……!!」
 夏生くんは叫びながら前方の校門を抜け、走り去った。
「あーあ、行っちゃった」
 校門の向こうへ視線を投げ、彼方くんが苦笑する。
「泣いてたかもな。そっちの対処は任せる」
「了解」
 夏生くんの後を追って駆け出す健吾くんに背を向け、彼方くんは女子二人の元へ移動した。
「黙って聞いてれば、好き放題言ってくれるね。思うのは自由だけど口に出すな、口は禍《わざわい》の元だと習わなかったのかな?」
 にこやかに笑う彼方くんの背後に何を見たのか。
 二人は大きく身体を震わせ、頬を引き攣らせた。
「コンプレックスに苛まれる夏生を見るのは好きだよ? どんなに努力しても、どの分野でも僕たちに敵わないっていじける夏生の姿は可愛いからね。僕は夏生の悔しがる顔が見たくてテストで満点取ってるようなものだし」
『王子様』にあるまじき問題発言に、二人の頬を冷や汗が流れる。
「でも、あいつをいじめていいのは僕たち家族だけだよ? 他人に弟を侮辱されるいわれはないんだけど? ねえ? あんなに可愛い弟が赤の他人かもしれないなんてふざけた疑惑、二度と口にしないでくれる? なんなら戸籍謄本でも見せてあげようか?」
 どす黒いオーラを放ちながら、彼方くんは二人に詰め寄った。
 あくまで笑顔のままなので、尋常ではなく怖い。
「いえ結構ですすみませんでした夏生くんはあなたの弟です間違いありません……」
「拾われっ子なんて失礼なこともう二度と言いませんごめんなさい許してください……」
 二人は怯え切って縮こまり、半泣きで許しを乞うた。
「うん、わかってくれたならいいんだ。もう行っていいよ」
 溜飲は下がったらしく、彼方くんの中から不穏な気配が消えた。
「はいっ。本当にすみませんでしたぁっ!!」
 二人が全力ダッシュで退散した後、彼方くんは首を巡らせて私を見た。
「雨崎《あまさき》さん。悪いけど後で夏生のフォローお願いできる?」
 その言葉は予想外だった。
 まさか何もせずに見ていた私を頼ってくれるとは思わず、使命感と嬉しさで胸が熱くなる。
「うん、もちろん」
 私は学生鞄を握る手に力を込め、頷いた。


 健吾くんは無事夏生くんを見つけて慰めることができたのだろうか。
 時計を見れば、もうすぐ朝のSHR(ショートホームルーム)が始まる時刻だ。
 まさか夏生くん、傷ついたあまり、Uターンして家に帰った、とかじゃないよね?
 クラスメイトの大半が登校した教室は騒がしい。
 女子たちの明るい笑い声を聞きながら待っていると、ようやく夏生くんがやってきた。
 その表情を見るに、機嫌は最低らしい。
 これはちょっと、うかつに声をかけられる空気じゃないな……。
 夏生くんは椅子を引いて、私の右側の席に座った。
 私と夏生くんは席が隣同士だ。
 もちろんこれは偶然ではない。
 梅雨明けに席替えが行われた際、この席をくじ引きで引き当てたのは友達の村越舞《むらこしまい》だった。
 私は舞に席を代わってくれと頼み込んだ。
 私が引き当てた席は窓際の後方、この席は教室のほぼ真ん中。
 舞としてもそう悪い案ではなかったらしく、彼女はすんなりくじを交換してくれた。
 かくして私は幸せな環境を手に入れたのである。
「よお東條。今朝は大変だったな。見てたぜ」
 夏生くんが無言で鞄の中身を机に入れている途中。
 夏生くんの前の席の男子、伊藤《いとう》くんが振り向き、ニヤニヤしながら言った。
「いやー凄かっ――」
「うるせえ」
 ギロリ。
「はい」
 人どころか象をも殺せそうな目で睨まれて、伊藤くんはすぐさま前に向き直った。
 ふん、と鼻から息を吐き、夏生くんは鞄を机のフックに下げ、腕組みして突っ伏した。
 そのまま動かず、数十秒が経つ。
「……大丈夫? 夏生くん」
 尋ねると、夏生くんは横向きになった。
「なんだよ」
 への字に結ばれた唇。 
 組んだ腕に頭を乗せ、上目遣いでこちらを見るポーズ。
 子どもみたいに拗ねた顔――その全てが反則で、くらくらしてしまう。
 許されるならば写真を撮って、スマホの待ち受けにしたい。
 宝物フォルダに入れて、永久保存したい!
 スマホを求めて痙攣する指を握り込んでいると、夏生くんは逆側を向き、私に後頭部を見せてぶつぶつ言い始めた。
「どーせおれは何の取柄もないつまらない人間だよ。昔っから散々言われてきたよ。親戚の集まりでも彼方と健吾だけチヤホヤされてたよ。近所のおばちゃんからも言われたよ。『彼方くんと健吾くんはあんなに優秀なのに夏生くんときたら頭も悪いし運動能力もないし何の役にも立たないゴミだわ芋虫だわなんで存在してるのかしら二酸化炭素を生み出すしか能がないなんて地球に申し訳ないと思わないのかしら』って」
「そ、それはちょっと被害妄想が過ぎるんじゃ……」
「いや、言ってたね。あれは絶対陰で言ってたね。彼方と健吾に対する態度とおれに対する態度が全然違ったし。バレンタインのときはおれだけチョコくれなかったし。女子もさ、みんな彼方と健吾には『本命です!』って顔真っ赤にして渡すくせに、おれには『仕方ねーからやるよ。義理だから勘違いするなよマジで』って目で威圧しながら渡してくるんだぞ。威圧しなくても一口チョコを本命だと思うめでたい奴がいるかっつーの。おれはそこまで頭悪くねえよ」
 ……苦労してきたのね……。
 あまりにも不憫で、私は目に浮かんだ涙をそっと指で拭った。
「どーせお前もそう思ってんだろ」
 夏生くんはこちらを見ようともしない。
 さすがにこれには黙っていられず、私は真顔で答えた。
「思ってないよ」
「いーや、絶対思ってる」
「本当に思ってない。四月に知り合ってから、私が一度でも夏生くんを馬鹿にしたことある?」
「………………」
「もしそうと勘違いさせるような言動を取ったなら謝らせて。ごめん」
 真摯に言うと、夏生くんは起き上がった。
 不機嫌そのものだった表情が、気まずそうなものへと変化している。
「……いや……別に……謝られるようなことはされてない。いまのは完全に八つ当たりだった。ごめん」
「ううん、いいよ」
 私は微笑んだ。
 夏生くんは素直な人だ。
 自分が悪いと思えばそうと認めて謝ることができる。
 これって、なかなかできることじゃないと思う。
 そういうところも、私が彼を好きな理由の一つ。
 多少空気が和んだところで、私は勇気を出し、笑顔で言った。
「あのね、夏生くん。私、芋虫好きだよ」
「え、マジで? おれ虫とか絶対無理」
 ドン引きされた。
 浮かべていた笑顔が凍る。
「あんな気持ち悪いのが好きなんだ……変わってんな、お前……いや、いいんじゃねーの? 好きな奴は好きなんだろうし……嗜好はそれぞれだよな、うん……」
 そう言いながらも、目は泳ぎ、右手で左腕を摩っている。
 私が芋虫を愛でる図でも想像して、鳥肌が立ったのかもしれない。
「……………………っ」
 もう。この人。ほんともう……!!
 私は机の下で拳を震わせた。
 本当は虫系統みんな苦手だけど、仮に夏生くんが芋虫だっていうなら芋虫だって愛してみせる――つまりは遠回しに好きだと伝えたつもりだったのに、全然全く伝わってない。
 芋虫って、あなたがさっき会話に出したんじゃないの!!
「もしかして素手で捕まえたりしてんの? あ、ごめん、答えなくていい。答えなくていいから以後話しかけないでください」
 夏生くんは左手を上げて『NO』のサインを作り、机ごと私から遠ざかった挙句、そっぽ向いた。
「芋虫を素手で触ったことなんてないよ!? そうじゃなくて、私が言いたいのは、もう、ほんと、もおおお……!!」
 今度は私が嘆いて突っ伏す番だった。
 ――でも、そんなところも好きだと思うあたり、私の恋は重症だ。


「いや、芋虫好き宣言はナシでしょ。それは変人だと思われても無理ないわ」
 昼休憩中、私は舞を誘って屋上に来ていた。
 高いフェンスで囲われた屋上には私たち以外にも複数の生徒たちがいる。
 でも、みんなおしゃべりに夢中で、こっちに注意を払っている人はいなかった。
「遠回しに好きと伝えたつもりだったんだけど……」
 空になったお弁当を手提げ袋に入れ、小さな声で言うと。
 購買で買ったパンを一足先に食べ終わり、カフェオレを啜っていた舞はストローから口を離し、呆れ顔になった。
「遠回しすぎるわバカ。なんだコイツ、気色ワルッて思われただけだわ。好感度ポイントを稼ぐどころか思いっきりマイナスだわ」
「うう……」
 バッサリ斬って捨てられ、私は口をつぐんだ。
 高校で知り合った舞は黒縁眼鏡をかけたストレートロングの子で、いかにも文学部にいそうな可憐な容姿をしている。
 でも、おとなしそうなのは見た目だけで、その物言いは容赦がなく、自分の意見ははっきり言うタイプ。
 中学では学級委員長に推薦され、中学二年で生徒会会長になり、女王として君臨したそうだ。
 舞は項垂れる私を横目に見て、嘆息した。
「そんなに好きなら好きってハッキリ言えばいいじゃない。この二か月、他人のどーでもいい恋バナを毎日のように聞かされる身にもなりなさいよ」
「他人って」
「他人でしょ。自分以外の人間は全員他人よ」
 ひときわ強い風が吹きつけてきて、舞は顔にかかった長い髪を手で払った。
「いい加減じれったいのよ。とっとと当たって砕けなさいよ」
「玉砕前提!?」
「そこはどうでもいいから告白しなさい」
「いや、一番重要なとこ――」
「返事は?」
 舞は私の台詞を遮り、黒縁眼鏡の奥の目を強く光らせた。
 冷たいものが背筋を突き抜けていき、私はぶるりと身を震わせた。
 逆らったら殺されそうだ――いや、確実に殺《や》られる。
「……はい……」
 女王に反旗を翻す勇気もない、ヘタレな私はそう答えるしかなかった。
「そう。応援してるわ」
 一転、笑顔になる舞。
「これでしょーもない恋バナから解放されるわ」と笑顔が語っている。
「……頑張ります……」
 こうして。
 友達の激励――脅迫?――を受けて、私は夏生くんに告白することになった。
 いや、でも、考えようによっては良い機会なのかもしれない。
 私が夏生くんのことが好きなのは本当だもの。
 だったら、他の女子が夏生くんの魅力に気づく前に、思い切って行動しなきゃダメだよね!


 ――とはいったものの、心臓が口から飛び出しそうだ。
 放課後、私は屋上で夏生くんを待っていた。
 彼を呼び出すのは少し大変だった。
 放課後に入った直後、精いっぱいの勇気を振り絞って「話があるから屋上に来て」と言うと、夏生くんは「話ならいますればいいじゃん」と返してきた。
 告白されるなんて夢にも思っていないらしい態度に先制パンチを食らいながらも、私は「大事な話だから二人きりで話したい」と主張した。
 それでも「今日は卵の特売日だから」と断られそうになり、卵に負けてたまるかと半ば意固地になった私は「すぐ終わるから」「なんなら買い物に付き合うから」と懇願した。
「それなら二パック買えるな」と夏生くんは満足げに言い、やっと了承してくれた。
 でもなあ……。
 さっきはどうしてもここに来てほしくてつい約束しちゃったけど、フラれた後で買い物に付き合うのって、気まずすぎじゃない?
 いや、フラれると決め付けるのもどうかと思うけど……これまでの夏生くんの態度を見るに、うまくいく可能性ってほぼゼロパーセントのような気が……いけない、胃が痛くなってきた。
 私はお腹を摩り、小さく唸った。
 ……ていうか、卵の特売日って。
 社長の息子で、お金に困ったことなんてないはずなのに、近所のスーパーの卵の特売日を把握しているあたり、意外と金銭感覚はしっかりしてるのね。
 彼方くんも健吾くんもバイトしてるらしいし、自分の小遣いは自分で稼げっていうのが東條家の教育方針なのかもしれない。
 お腹を摩りながらそんなことを考えていると、不意に屋上の扉が開いた。
「!!」
 瞬間、私は手を下ろし、待ち構えた。
 私以外に誰もいない屋上に来たのは、夏生くんだった。
 考えている間は少し落ち着いていたはずの心臓が、再び激しく鳴り始める。
 近づいてくる夏生くんを見て、頬が熱くなった。
「話って何?」
 数メートルの距離を挟んで、夏生くんは立ち止まり、その黒い瞳でまっすぐに私を見た。
 し、心臓が……破けそう!
「わ、私……」
 極度の緊張で、喉が渇く。
 手が、足が震える。
 夏生くんの顔がまともに見られず、私は彼の足元に視線を落とした。
 さあ、言え!
 四月からずっと秘めていたこの想いを、いまこそ!
「夏生くんのことが好きなの!」
 言えた!
 ちょっと早口になってしまったけれど、ちゃんと噛まずに、気持ちを伝えることができた!
「あー。わかった。そういうことか」
 夏生くんは納得したように、ぽんと手を打った。
 予想していたどれとも違う反応。
 戸惑っていると、夏生くんは軽い口調で尋ねてきた。
「何のゲームで負けたんだ?」
「罰ゲームじゃないよっ!?」
 脊髄反射の勢いで突っ込む。
「じゃあ健吾と彼方、どっち狙いなんだ?」
「へ?」
 私は多分、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたと思う。
「おれの彼女という立場、つーか口実を得て家に押しかけ、あいつらのレアな私服姿に身悶えしつつ、あくまで『おれに作ったついで』とか言いながらやけに気合の入ったケーキやらクッキーやら渡して猛アピールしたいんだろ? んで良い雰囲気になったら『ごめんなさい、私、あなたのお兄さんを好きになってしまったの……』っていかにも申し訳なさそうに泣くんだよな。さすがに三回もあれば慣れるわ。最後のあれも泣き真似なんだなって悟るわ」
 もはや怒ったり悲しんだりする段階はとうに過ぎたらしく、夏生くんは笑っている。
「……夏生くん……」
 ほんと、この人、いままでどんな悲惨な人生送ってきたの……。
「正直に言えよ。いまなら怒らないから」
 夏生くんは手を振った。
「何が目的なんだ? どっちか狙ってるっていうなら協力してやってもいいぞ? 後で裏切るくらいなら最初から素直に白状してくれ。そのほうがおれも無駄にダメージ受けなくて済むし」
「……どっちも狙ってないよ。私が好きなのは東條夏生くん、あなただけ」
「そんなわけないだろ」
 本気の言葉も、夏生くんの心には届かない。
 過去の苦い思い出が、彼の心を完全にガードしてしまっている。
 私はその壁を壊したい。
 厄介な壁を壊して、彼の心に触れたい。
「本当だよ。私は夏生くんが好き」
 微苦笑を解いて、真剣そのものの瞳で、夏生くんを見つめる。
 見つめながら、数歩歩いて、夏生くんの目の前に立った。
 もう手を伸ばせば届く距離だ。
「大好きなの。他の誰でもない、夏生くんがいいの。夏生くんじゃなきゃ嫌なんだよ」
 真摯に、一言一句、心を込めて言う。
「…………」
 夏生くんは目を瞬いた。
 ここに至ってやっと、どうやら冗談ではなさそうだと思ったらしい。
「……なんでおれのことが好きなわけ? おかしくない? 健吾とか彼方のほうがよっぽど」
「おかしくない。健吾くんや彼方くんより、誰よりも、私にとっては夏生くんが世界で一番素敵な人なの」
 断言すると、夏生くんの顔が突然、発火したように真っ赤になった。
 多分、彼方くんや健吾くんより『上』だと言われたのは初めてなのだろう。
 彼の頭から煙が出ている幻覚すら見えた。
「そ、そんなわけ」
「ある」
「~~~~~」
 台詞に被せて断言すると、夏生くんは両手で顔を覆い、悶えた。
 やばい、可愛い!
 可愛すぎるでしょうこの人!!!
「本当だよ。夏生くんは格好良いよ」
 にこにこしながら言う。
「わかった。わかったからもうそれ以上言わなくていい!」
 真っ赤になって両手を振り、私の言葉を必死で阻止しようとする姿ときたら、もう! 堪りません!!
「ところで、告白の答えは?」
 私は風にセミロングの髪を揺らし、落ち着いた声で尋ねた。
 告白したときとは違い、もう心臓は飛び跳ねてないし、手足も震えていない。
 不思議なことに、もうフラれても良いという気分になっていた。
 これまで内側に溜め込むばかりだった気持ちは伝えられたし、可愛い一幕も見れたし、もう十分だ、なんて思ってる。
 もちろん、付き合ってくれたら嬉しいけれど。
 それはもう、大気圏を突破する勢いで飛び上がりたいくらいに嬉しいと思うんだろうけれど。
 夏生くんは頭を掻き、一人で百面相をした後、
「……よ、よろしく、お願い、します」
 私に向かって、ギクシャクした動きで頭を下げた。
「え?」
 まさか、これって?
 いや、勘違いしてはダメ!
 でも、よろしくってことは、やっぱり――やっぱり?
「え、って。だから。付き合うんだろ?」
「……はい」
 夢見心地のまま、頷く。
「おう。だから、よろしくでいいじゃん」
 夏生くんはぶっきらぼうな調子で言って、横を向いた。
 その顔は、耳まで赤い。
 嘘でこんなに照れたりするわけがない。
 だから。つまりは。
「……やったー!!!」
 私はガッツポーズし、飛び上がって喜んだ。
 そんな私を見て、夏生くんは驚いたような顔をして。
 それから唇の両端を上げ、嬉しそうに笑った。