08 ーHACHIー ~俺の彼女と私の彼~

 リエのプロフィールを確認した後、トミオは喉の渇きを覚え、一杯の炭酸水を飲み干した後、再度炭酸水を注ぐ。グラスに入った炭酸水が、爽やかな音を立てながら揺らめいている。キッチンに立ち、グラスの中の生まれては消える泡を見つめながら、リエのことを考えていた。

 リエ・ミア・カイドウ。リージョン・N、出身はH市。
 この街にはアゼレウス社の大きな工場と支社がある。彼女は中心部にあるリージョン・Cの名門校を卒業し、とある病院に看護師として勤務している。誕生日、血液型、星座などの欄を一通り見る。性格の欄に差し掛かった時、”お会いした際に直接お確かめください”とある他、身長166.7センチ、体重50.25kgと細かい数値が並ぶ。好きなもの、植物と小動物、焼き鳥。嫌いなものについては、たくさんありすぎるので省略、だそうだ。
 
(おおらかで飾らない人だな)

 彼女の人となりを想像して、自然に笑みがこぼれる。アレンの占いどおり、彼女とは相性がいいのかもしれない。一体リエはどんな姿をしているのか。トミオは写真の代わりに添付されている映像を見てみたくなった。先ほどまでの指先の震えはもうない。彼女の姿を見てみたいと、今はもう望んでいるのだから。

「あなたが、リエ・ミア・カイドウ……。リエさん……」

 リエはリージョン・Nの特有の衣装を着ていた。黒地に赤の差し色。可憐な小花の金糸の刺繍が入った豪華な衣装。この地方の人々はこうした衣装を“キモノ”と呼ぶ。女性の衣装に詳しいとは言えないトミオにわかったことといえば、リエはこの伝統衣装が似合い、上品に着こなすことが出来る女性であるということだけだ。長い髪を清楚に纏め、静かに体を前に倒す礼を行う姿は、凛とした花のように優雅で美しかった。

 トミオの心臓がドクンと大きく動いた。リエのその姿に、釘付けだった。映像の中のリエは一言も言葉を発さない。キモノ姿の、美しい人形のごとく、ただ穏やかに微笑んでいるだけだった。強風が吹けばどこかへ飛んで行ってしまいそうな、儚げな女性(ひと)。先ほどのプロフィールの印象と映像の印象。果たしてどちらが本当のリエなのだろうか。
 
「直接会って確かめてみよう」

 トミオはそう決意した。

 -※-
 ハッと目を開ける。看護師がトミオの診察番号を呼んでいた。

「63番さん、いらっしゃいませんか?」
「すみません、僕です」

 ふと診察ボードを見ると、80番台が並ぶ中にトミオの番号が表示されている状態だった。診察ロビーの椅子に腰かけたまま、寝ていたのだろうか。すると番号を呼んでいた看護師がトミオの前に寄り添うようにして屈む。

「良かった、こちらにいらしていたのですね。お待たせしてすみません」
 
 看護師の女性はトミオを診察室へと案内するように誘導する。どうやら心配をかけてしまったようだ。
 
「そうでしたか。こちらこそご心配をおかけしてすみません」
「大丈夫ですよ。先生の診察室へ行きましょう」
 
 トミオが周囲を見渡すと、たくさん居たはずの患者が数えるほどしかいない。
 思ったより長く寝ていたのかもしれない。
 
「はい、診療室15番へお進みください」
 
 トミオはゆっくりと立ち上がり、杖を使って「15」と書かれた診察室に入室する。トミオの主治医は、息子が生きていれば同じぐらいの年齢の若い医師だ。

「こんにちは、イサキさん。体調はいかがですか?」
「こんにちは。今のところはまだ辛くはありません」
「そうですか。それでは、今回の精密検査の結果ですが……」

 主治医が淡々と告げるその内容を、トミオは静かに受け止めた。臓器に悪性の腫瘍があり、進行が早く末期であること。トミオは手術が出来ないため、この腫瘍を取り除けない。入院して薬物治療を行ったとしても、その進行を僅かに遅らせることしかできないだろうとのこと。

 そんな説明を、トミオはまるで他人事のように聞いていた。これでようやくリエのもとへ行けると思いながらも、無邪気に笑うユイの姿を思い浮かべる。複雑な想いに揺れるトミオを見つめ、主治医は説明を終えた。
 
「残された時間はどれくらいなんですか?」
 
 やがてトミオの落ち着いた声が、診療室に響く。主治医は控えていた看護師に指示を出す。それから極めて事務的な声で続ける。

「もって数ヶ月といったところでしょう」
「……そうですか」
「我々はイサキさんのご意思を第一にと考えています」
 
 今後の治療方針は、トミオ次第で決まるということだ。この世界の人生のエンディングは、迎える本人の意見を最優先で重視するという考えが定着している。例えば、家族が患者の延命を望んだとしても、患者本人が望まなければ受け入れられない。それは本人の意思が尊重されていないからだ。

 ただし患者本人が判断を下せない場合は、家族や後見人が代理人として判断を下す場合もある。トミオの場合はこの場合に該当しないため、トミオ自身に決定権がある。そして今後の主な治療方針は、トミオの出した選択に沿って決められるのだ。
 
「僕は妻と共に暮らした場所で最期を迎えたいです。延命治療は考えていません」
 
 トミオの母親も同じ病気で他界している。だからこそ後悔を微塵も感じさせずにその意思を表明した。主治医は深くうなずき、トミオと共に重要書類にサインする。この書類は、厳重にリージョンと病院とで保管され、書類自体も特殊な暗号で内容を保護されている。明らかに第三者に強要されたとわかる場合以外を除き、たとえ本人であっても覆すことはできないものだ。
 
「わかりました。イサキさんのAIに指示を追加しておきましょう」

 治療を拒否したトミオに、主治医は言葉を続けた。 

「それでも充実した時間を過ごせるよう、我々もイサキさんをサポートいたします」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
 
 トミオは主治医の言葉にうなずき、丁寧に頭を下げる。主治医や後ろに控える看護師たちもトミオに一礼し、その背中を見守る。杖を頼りに歩くトミオの目には陽光が差す道が見えていた。