あれは50年も前のことだ。トミオは学生の頃から、アゼレウス本社の修理部署に所属していた。知識と経験を積みこの企業の「修理技能士」になると、心に決めていた。
なぜトミオはアゼレウス社を選んだのか。それは端末機械メーカーの「修理技能士」は、アゼレウス社が最も難しいと有名だったからだ。強い探求心と向上心は学生を卒業したその後も健在で、「修理技能士」となったとしても何も変わらなかった。
22XX年、初夏。
アゼレウス社はすべての社員を対象とした大改革を行う。確かな実力があれば、地位と昇給が可能になる。世界を率いるアゼロン・カンパニーは、アゼレウス社のみと提携を結んでいるわけではない。この企業と今後も安定した関係を維持するためにはより優れた人材を育成し、自社製品の品質・価値を高めなければならない。こうした流れで誕生した「修復専門師」は、”修復”に長けたスペシャリストであることを証明するものだった。この「修復専門師」にトミオが興味を抱くのは自然なことだろう。
(修復専門師のライセンスを持てば、己の力量を上げることが出来るかもしれない)
受験者の多くは役職メンバーであり、トミオのような若手で一般の社員が「修復専門師」となるのは奇跡に近い。だがトミオにとってライセンス習得の難易度など問題ではなかった。トミオはただ、アゼロン・カンパニーのAIを搭載したアゼレウス製品について知り尽くした人間になりたかっただけなのだ。
(たとえ今すぐに得ることは難しくとも、いつか必ず手に入れる)
そうした強い想いが引き寄せたのは、「修復専門師」というライセンスだけではなかった。トミオにとって最も意外な形で知ることになる。
-※-
その日、出社してすぐにトミオは社長に呼び出された。周囲の人間が心配そうに見守る中、不安と焦りそして緊張が襲い掛かる。
(何か重大なミスをしでかしたか?)
ここ数日の出来事を振り返りながら、トミオは社長室を訪れる。
しかし社長の第一声は、トミオが想像していたものとは全く違っていた。
「突然だが、イサキ君。君は恋人がいるか?」
「……は?」
複雑な表情を見せる社長の言葉に、トミオは凍り付く。その様子を見て上司の表情はさらに険しくなる。重苦しい沈黙が続く空気のなか、彼は静かに言葉を続けた。
「部下のプライベートを詮索するなど、俺の立場ですべきことではないよな」
窓辺に立ち、背を向ける社長の姿をトミオはただ黙って見つめることしか出来ない。深いため息をつく彼の発言の意図を無理やり考えるも、トミオには何も思いつくはずがない。
「突然このような話を持ち掛けて申し訳なく思う……」
父と同じぐらいかそれ以上の立場がある者からの謝罪は、トミオをさらに困惑に陥れる。しかし思い悩む表情を見る限り、何か深い事情があるのだろうとは察する。彼の薬指の指輪が、一瞬だけ小さな光を放って見えたのは気のせいだろうか。
「いえ、大丈夫です。お付き合いしている方は、自分にはおりません」
冷静に状況を受け止め、身の潔白を証明するかのようにキッパリと断言する。社長は振り向き、トミオの視線を受け止めながらも言いにくそうに言葉を続けた。
「そうか。……実は、さるご息女と、結婚を前提とした見合いをして欲しい」
その言葉に、トミオはさらに大きな衝撃を受ける。しっかりと地に足をつけ、思考を重ねなければならないと、強く踏みとどまる。
「申し訳ありません。そのような文化ははるか昔に途絶えたと認識していたのですが……」
「そうだよな、俺もそう思うよ」
ならばなぜ、そんなことを告げるのか。たとえばこの縁談が社運を賭けて何かを左右するものならばわからなくもない。社長の表情を読む限り、全く可能性がないわけでもないのか。彼もまた、動揺を必死に抑えようとしているトミオを観察している。社長室が警察の取り調べ室のように思えてくる。ピリピリとした重苦しい空気が、この縁談からは逃れられないと告げているかのようだ。
「お相手のご息女とは……?」
咄嗟に出てしまった言葉に、社長の眉が僅かに動く。
「リエ様……ユウダイ・ミア・カイドウ様の孫娘にあたる方だ」
告げられた名には聞き覚えがある。"カイドウ"一族の名は、アゼレウス社の者ならば誰もが知っている。なぜなら、”カイドウ”一族はこの会社を設立時から支え、莫大な資金提供を行っているからだ。
(嘘だろ……)
「待ってください! 独身の重役の方々を差し置き、なぜ私ごときが……?」
「ユウダイ様が当社にお越しになった時、君を見かけ是非にと」
社長は、静かな”無”の表情で淡々と告げる。アゼレウス社において“ユウダイ・ミア・カイドウ”という人物は絶対的な存在だ。そんな大物に所縁のある令嬢とどうして自分が縁談なのだろう。トミオはすべての言葉を飲み込み、必死で考える。
(何かがおかしい)
最重要人物と、一ヒラ社員のトミオが出会うことなどあり得ない。すれ違うことだってないだろう。トミオは支社をはじめとする様々な場所で仕事をする。本社に座席があっても不在であることの方が多い。カイドウ家当主に見込まれる瞬間などありはしない。ただお互いの利権がかかった商談に、扱いやすい立場の人間が巻き込まれただけだ。そしてこの話が正式に出た時点で、もはやトミオ自身に拒否権はない。もしトミオが強引に拒否権を行使する場合、それはトミオの全てが失われるということだ。トミオは左手に力をぐっと込める。
「……わかりました。謹んでお受けします」
静かなトミオの言葉に、社長は肩の荷が下りたかのように安堵した様子を見せた。が、それでもまだ表情は険しい。トミオは自分との縁談が持ち上がっているリエのことを考えた。無いとは思いたいが、彼女もまた拒否権なく巻き込まれているのだとしたら、それは悲しいことだ。
(……この縁談について彼女は納得されているのだろうか)
そんな疑問がトミオのなかをよぎる。本来であればそうしたことは言わない方が身のためだ。しかし誠実な性格もあってかトミオは躊躇することなく言葉にした。
「もしお相手の方が私との縁談を望まないのであれば、どうか彼女のためにも……」
「そうだな。……君の決断に心から感謝する」
彼は机の引き出しの中から、A5サイズの銀色のプレートを差し出す。その表面には名が刻まれており、トミオは丁寧に受け取った。
(リエ・ミア・カイドウ……。やっぱり間違いではないんだな)
流麗な文体でつづられたその名が、トミオの中に響く。
「君の社員コードが解錠キーだ。中にはお見合いの日程なども記されている。後ほど確認を頼む」
スーツの内ポケットに銀のプレートを入れる。
「はい」
一礼し、退出しようと背を向けると、
「トミオ・ケイ・イサキ君。どうか、お幸せに」
社長がトミオに向かって穏やかに微笑んでいた。まるで孫の門出を祝う祖父のような、温かいまなざしにトミオは少し驚く。動揺を隠して微笑み返し、静かに社長室を退出した。
なぜトミオはアゼレウス社を選んだのか。それは端末機械メーカーの「修理技能士」は、アゼレウス社が最も難しいと有名だったからだ。強い探求心と向上心は学生を卒業したその後も健在で、「修理技能士」となったとしても何も変わらなかった。
22XX年、初夏。
アゼレウス社はすべての社員を対象とした大改革を行う。確かな実力があれば、地位と昇給が可能になる。世界を率いるアゼロン・カンパニーは、アゼレウス社のみと提携を結んでいるわけではない。この企業と今後も安定した関係を維持するためにはより優れた人材を育成し、自社製品の品質・価値を高めなければならない。こうした流れで誕生した「修復専門師」は、”修復”に長けたスペシャリストであることを証明するものだった。この「修復専門師」にトミオが興味を抱くのは自然なことだろう。
(修復専門師のライセンスを持てば、己の力量を上げることが出来るかもしれない)
受験者の多くは役職メンバーであり、トミオのような若手で一般の社員が「修復専門師」となるのは奇跡に近い。だがトミオにとってライセンス習得の難易度など問題ではなかった。トミオはただ、アゼロン・カンパニーのAIを搭載したアゼレウス製品について知り尽くした人間になりたかっただけなのだ。
(たとえ今すぐに得ることは難しくとも、いつか必ず手に入れる)
そうした強い想いが引き寄せたのは、「修復専門師」というライセンスだけではなかった。トミオにとって最も意外な形で知ることになる。
-※-
その日、出社してすぐにトミオは社長に呼び出された。周囲の人間が心配そうに見守る中、不安と焦りそして緊張が襲い掛かる。
(何か重大なミスをしでかしたか?)
ここ数日の出来事を振り返りながら、トミオは社長室を訪れる。
しかし社長の第一声は、トミオが想像していたものとは全く違っていた。
「突然だが、イサキ君。君は恋人がいるか?」
「……は?」
複雑な表情を見せる社長の言葉に、トミオは凍り付く。その様子を見て上司の表情はさらに険しくなる。重苦しい沈黙が続く空気のなか、彼は静かに言葉を続けた。
「部下のプライベートを詮索するなど、俺の立場ですべきことではないよな」
窓辺に立ち、背を向ける社長の姿をトミオはただ黙って見つめることしか出来ない。深いため息をつく彼の発言の意図を無理やり考えるも、トミオには何も思いつくはずがない。
「突然このような話を持ち掛けて申し訳なく思う……」
父と同じぐらいかそれ以上の立場がある者からの謝罪は、トミオをさらに困惑に陥れる。しかし思い悩む表情を見る限り、何か深い事情があるのだろうとは察する。彼の薬指の指輪が、一瞬だけ小さな光を放って見えたのは気のせいだろうか。
「いえ、大丈夫です。お付き合いしている方は、自分にはおりません」
冷静に状況を受け止め、身の潔白を証明するかのようにキッパリと断言する。社長は振り向き、トミオの視線を受け止めながらも言いにくそうに言葉を続けた。
「そうか。……実は、さるご息女と、結婚を前提とした見合いをして欲しい」
その言葉に、トミオはさらに大きな衝撃を受ける。しっかりと地に足をつけ、思考を重ねなければならないと、強く踏みとどまる。
「申し訳ありません。そのような文化ははるか昔に途絶えたと認識していたのですが……」
「そうだよな、俺もそう思うよ」
ならばなぜ、そんなことを告げるのか。たとえばこの縁談が社運を賭けて何かを左右するものならばわからなくもない。社長の表情を読む限り、全く可能性がないわけでもないのか。彼もまた、動揺を必死に抑えようとしているトミオを観察している。社長室が警察の取り調べ室のように思えてくる。ピリピリとした重苦しい空気が、この縁談からは逃れられないと告げているかのようだ。
「お相手のご息女とは……?」
咄嗟に出てしまった言葉に、社長の眉が僅かに動く。
「リエ様……ユウダイ・ミア・カイドウ様の孫娘にあたる方だ」
告げられた名には聞き覚えがある。"カイドウ"一族の名は、アゼレウス社の者ならば誰もが知っている。なぜなら、”カイドウ”一族はこの会社を設立時から支え、莫大な資金提供を行っているからだ。
(嘘だろ……)
「待ってください! 独身の重役の方々を差し置き、なぜ私ごときが……?」
「ユウダイ様が当社にお越しになった時、君を見かけ是非にと」
社長は、静かな”無”の表情で淡々と告げる。アゼレウス社において“ユウダイ・ミア・カイドウ”という人物は絶対的な存在だ。そんな大物に所縁のある令嬢とどうして自分が縁談なのだろう。トミオはすべての言葉を飲み込み、必死で考える。
(何かがおかしい)
最重要人物と、一ヒラ社員のトミオが出会うことなどあり得ない。すれ違うことだってないだろう。トミオは支社をはじめとする様々な場所で仕事をする。本社に座席があっても不在であることの方が多い。カイドウ家当主に見込まれる瞬間などありはしない。ただお互いの利権がかかった商談に、扱いやすい立場の人間が巻き込まれただけだ。そしてこの話が正式に出た時点で、もはやトミオ自身に拒否権はない。もしトミオが強引に拒否権を行使する場合、それはトミオの全てが失われるということだ。トミオは左手に力をぐっと込める。
「……わかりました。謹んでお受けします」
静かなトミオの言葉に、社長は肩の荷が下りたかのように安堵した様子を見せた。が、それでもまだ表情は険しい。トミオは自分との縁談が持ち上がっているリエのことを考えた。無いとは思いたいが、彼女もまた拒否権なく巻き込まれているのだとしたら、それは悲しいことだ。
(……この縁談について彼女は納得されているのだろうか)
そんな疑問がトミオのなかをよぎる。本来であればそうしたことは言わない方が身のためだ。しかし誠実な性格もあってかトミオは躊躇することなく言葉にした。
「もしお相手の方が私との縁談を望まないのであれば、どうか彼女のためにも……」
「そうだな。……君の決断に心から感謝する」
彼は机の引き出しの中から、A5サイズの銀色のプレートを差し出す。その表面には名が刻まれており、トミオは丁寧に受け取った。
(リエ・ミア・カイドウ……。やっぱり間違いではないんだな)
流麗な文体でつづられたその名が、トミオの中に響く。
「君の社員コードが解錠キーだ。中にはお見合いの日程なども記されている。後ほど確認を頼む」
スーツの内ポケットに銀のプレートを入れる。
「はい」
一礼し、退出しようと背を向けると、
「トミオ・ケイ・イサキ君。どうか、お幸せに」
社長がトミオに向かって穏やかに微笑んでいた。まるで孫の門出を祝う祖父のような、温かいまなざしにトミオは少し驚く。動揺を隠して微笑み返し、静かに社長室を退出した。
