08 ーHACHIー ~俺の彼女と私の彼~

 22XX年、8月某日。
 社長に連れられてトミオがやって来たのは、婚礼儀式を専門に扱う『釣鐘亭』という店。
 この『釣鐘亭』はリージョン・Nにあったとされる歴史的建造物をモデルにして建てられた。
 21XX年の天変地異によって崩壊しても、人々はこの店の復活を強く望んだ。

 トミオはこの日のためにスーツを新調し、稀にしか行かないヘアサロンで髪を整えた。
 これまで自分の外見に無関心だったが、見合いが迫れば迫るほど、他人からの目が気になった。

「これは……。なかなかの男前じゃないか」

 待ち合わせの場所に現れた社長がトミオを一目見て、その感想を告げなければ。
 トミオはいまの自分に自信など持てなかったかもしれない。
 
(いつまでも不安に飲み込まれている場合じゃない、全ては俺にかかっている)

 見合い開始の時刻10分前。
 冷静な表情の裏で必死に高鳴る心臓を押さえつける。
 慣れた足取りの社長の後を追いかけるように、広い玄関先に入る。

 玄関には大きな池があり、客は池に掛けられた橋を渡って座敷へ行く。
 その池は白と金色の大きな魚たちが悠々と泳いでいる。
 社長とトミオは女将の案内で廊下を歩き、広い畳の個室に入る。

 リエは間もなくやって来る。
 ……そのはずだった。
 約束の時間が過ぎても、リエは現れない。
 社長がリエとカイドウ夫人を迎えに行った夫人に連絡するも、一向に繋がらない。

(リエさんに何かがあったのか?)

「イサキ君、君は少しここで待っていてくれ」
「はい」
 
 社長が携帯端末を片手に個室を出ると、行き違いで女将が慌てて知らせにやって来る。
 なんでも主要道路で大きな交通事故が発生しているという。

(こちらへ向かっている方々は無事なんだろうか)

 その情報を掴んだ社長も個室に戻ってくる。

「渋滞が長く続き電波が混線していて、連絡が出来ない状態かもしれませんわ」
「女将、食事の調整は今からでも出来るか?」
「はい。料理長には事情を伝えています」

 社長はすぐさまカイドウ様に連絡を入れる。
 冷静な判断と迅速な対応に、トミオは社長の大さを知る。

「急なことで不安になるかもしれないが……我々に出来ることは待つことだけだ」
「わかりました。心を落ち着かせる時間を頂いたと思うことにします。どうか無事でいて欲しいです」

 前向きでありながら、リエたち一行の安否を心配するトミオ。
 その誠実な態度にふたりの表情も穏やかに緩んだのだった。

 ー※ー
 トミオと社長が新製品について議論を交わしている時だった。
 社長夫人からまもなく到着するとの連絡が入る。

 当初の約束の時間から大幅に遅れてしまったものの、女将の配慮で見合いが始まろうとしている。
 いまリエとカイドウ夫人は、別の個室で衣装を整えている。
 一足先に社長夫人だけがトミオたちの個室を訪れた。

 トミオはスッと立ち上がり、社長夫人に礼を行う。
 そんな礼儀正しいトミオの姿を捉えた社長夫人は、にこやかに微笑んだ。

「あなたがイサキさんね? 思っていた以上に男前だわ」

 社長夫人にそう言われてトミオは少し照れて見せる。
 そんな様子を見ながら、社長が満足げに笑う。

「そうだろ? さすがカイドウ様だ。人を見る目も確かな方だ」
「……勿体ないお言葉です。私はまだまだ未熟者で。このような場を設けていただき光栄の極みです」
「そんなキリっとした凛々しい表情もいいけれど、あなたはきっと微笑んだほうが良いと思うわ」 
「そうだな。」

 女将がリエの到着を知らせる。

(いよいよか……)

トミオは気を引き締め、穏やかに返答する。
しばらくして、衣擦れの音が聞こえ、トミオの前にリエとカイドウ夫人が姿を見せる。

「お初にお目にかかります、イサキさん。リエと申します」
「この度は到着が遅れ、大変申し訳ございません。本日は宜しくお願いします」

 リエがトミオにお辞儀をする。
 可憐な花のようなその姿に見とれながらも、慌てて立ち上がり、礼を行う。

「トミオ・ケイ・イサキです。俺も……いえ、私もお会いできて嬉しいです。こちらこそよろしくお願い致します」

 トミオが見せた緊張の様子。
 ひた隠したり誤魔化したりもせず、ただ礼儀正しくスマートに訂正する。
 それすらもトミオの魅力であると人々は微笑ましく包み込む。

「到着までとても心配してくださったと聞いたわ。ありがとう」

 カイドウ夫人が優しい眼差しでトミオを見つめる。
 温かな視線の向こうに厳しさを感じたトミオは押し寄せる緊張をぐっと堪えた。

(この縁談にはアゼレウス社の未来がかかっている。しっかりしなければ)

 リエの着ている衣装は、リエ本人の好みが反映されていない気がした。
 これを着るように指定されたから、仕方なく着ているといったような。
 むしろ銀のプレートの映像のほうがリエらしい印象がある。

(これは衣装をほめ過ぎないほうが良いだろうか)

 ふとリエが見せる一瞬の様子に心が痛む。
 その美しい双眸はどこか哀しみをたたえているようにも見え、この縁談をリエは望まぬものだったと理解する。

(ならばこの場を丸く収めることが最優先だ。彼女を傷つけないように注意を払って)

 見合いの進行は和やかに、順調に進んだ。
 対面した当初からは表情が穏やかになったリエは、映像で見るよりずっと上品で清楚に見えた。
 ただトミオと視線が合うと、リエは頬を染め恥ずかしそうに俯いてしまう。
 トミオにはそんなリエの様子が可愛らしく感じられた。
 と同時にトミオ自身も思わず照れてしまうのを、うまく隠し切れない。
 その不器用さに周囲の人々の心が和む。
 初々しくどこかぎこちない様子のふたりを、周囲は心から応援していた。

「釣鐘亭の庭園は大変美しいと評判なのよ。いい機会だからふたりで散策なさい」 

 そうカイドウ夫人の提案を受け、トミオとリエは女将に案内されて庭園へ向かった。
 色とりどりの花が優雅に咲き誇る庭園は、華やかで水音だけが響く静かな空間だ。
 トミオは社長のアドバイスに従い、リエを気遣いながらエスコートする。

「この花は夏に咲く花で、青紫色の大きな花を咲かせるんです」 

 道中花に詳しいリエに花の名前などを教わる。
 華やかで水音だけが響く静かな空間は、トミオにとっても癒しの空間だ。
 トミオがリエを気遣いながら丁寧に接する様子に、躊躇いがちだったリエも心からの笑顔を見せる。
 そんなリエの視線が小さな花を捉えたとき、リエの表情が自然にほころぶ。

「リエさんはこの花がお好きですか?」
「はい。この花はスズランと言って、優しい香りがとてもお気に入りなんです」

 確かにリエからはこの花の芳香と似た香りがする。
 香水はこの花由来のものを使っているのだろう。

「確かにとても可憐な花ですね」
「でもこの花の実は猛毒なんです。不思議ですよね……」

 そう告げるリエは目を伏せ、何かに迷い戸惑っている様子を見せた。

(君を想っても、すれ違うだけ――)

 そう思うと、心に鈍い痛みが走る。
 そしてこの痛みの正体に気づかないほど、トミオは鈍感ではなかった。