アンコールはリビングで

4. マンション前の遭遇

19時15分。
私は最寄駅から自宅マンションまでの道を、競歩選手のような速さで歩いていた。

「終わった……終わらせた……!」

驚異的な集中力で仕事をねじ伏せ、なんとか1時間程度の残業で切り抜けた。
ヒールの足が痛い。肩もバキバキだ。
スーパーに寄る元気は残っていなかったけれど、家には朝の残りのお米と味噌汁がある。

(早く帰りたい。早く靴を脱ぎたい。早く湊の顔が見たい)

マンションのエントランスが見えてきた。
自動ドアに向かって歩を進める。
と、同時に。
反対側の道から、ゆったりとした足取りで歩いてくる長身の男性の姿があった。
大きな黒縁メガネに、黒いマスク。深めにかぶったニット帽。
そして、あの見覚えのあるロングコート。

「……あ」

彼もまた、私に気づいて足を止めた。
マスク越しでも、彼が目を丸くしているのが分かる。

「……凪?」

「……湊?」

二人の声が重なった。
数秒の沈黙の後、どちらからともなく吹き出した。

「ふふっ、なにこれ。すごい偶然」

「ほんとだな。……お前、顔死んでるぞ」

「うるさいなぁ。ダッシュで帰ってきたの」

彼は私の足元(ヒール)と、少し乱れた髪を見て、呆れたように、でも愛しげに目を細めた。

「お疲れ。……よう頑張ったな」

「うん……湊もお疲れ様。いい曲できた?」

「おう。……帰るぞ」

彼が自然に手を差し出してくる。
外だから繋げないけれど、その手が私の背中をそっと守るように添えられた。
ただそれだけで、さっきまでの仕事の疲れが嘘のように溶けていく。