クロとシロと、時々ギン

 鏡の前で身だしなみを整えたあと、いつものように鞄の中を確認して――。

「あれ? ない!?」

 化粧ポーチに入れていたはずのリップクリームが見当たらない。慌ててあちこち探すが、どこにもない。

「もぉ〜。どこいったの!?」

 焦りながらもう一度確認するが、やはり見つからない。

「最悪」

 今日は朝からずっとバタバタしていた。きっとどこかで落としたのだろう。

「はぁ。しょうがない、諦めるか」

 小さくため息をつき、バッグを持ち直す。スマホを取り出して時間を確認する。

「あっ、もうこんな時間!? 急がなくちゃ!! まだあると良いけど」

 時計の表示は、定時を1分過ぎていた。

 カツカツとヒールを鳴らしながら会社を出ると、夕焼け空が広がっていた。ビルの隙間から覗く茜色の太陽がまぶしい。大きく伸びをして深呼吸する。仕事で疲れたときは、こうして気分転換するのが大事だと、シロ先輩に教わった。

 シロ先輩とは、入社以来ずっとコンビを組んでいる。
 彼は私のことを「クロ」と呼ぶ。その呼び方は、出会った頃から変わらない。最初は違和感があったはずなのに、今ではすっかり馴染んでしまった。

 初対面の印象は、正直あまり覚えていない。ただ、ガサツそうな人だなとは思った。
 配属されたばかりの頃は、よく怒られた。私が悪いわけじゃないと思うこともあったけど、たぶん、コンビとして噛み合っていなかったのだろう。
 今では、そんな日々も懐かしく思えるほど、私たちは息の合った仕事ができるようになった。

「まあ。先輩は、ずっと仕事熱心じゃないけどね~」

 つい独り言がこぼれた。思わず笑みが浮かぶ。
 シロ先輩は、仕事に対する熱意があるタイプではない。でも、それが私にはちょうどいい。

 実際、彼は仕事ができないわけじゃない。むしろ要領がよく、手先も器用。任された仕事は、きっちりこなす。
 それなのに、なぜかやる気がない。

 思い切って聞いてみたことがある。そのとき、シロ先輩はあっさりとこう言った。

『だって、俺に期待されてる役割って、そういうことじゃねぇもん』

 ――力を抜いて、自分らしく仕事をする。

 要するに、そういうことらしい。