修練場の一角、模擬試合用に広くとられたスペースにて、ニコラスとヴィンセントは剣を抜いて向き合う。
「ありがとうございます、ニコラス様。本気で行きます」
ヴィンセントは凄みのある雰囲気のまま、静かに宣言した。
普段とは面構えからして違う。
まるで昇格試験にでも挑むかのような気迫であり、「配信」を意識するとひとはそこまで変わるものなのか? とニコラスは少しだけ不思議に思った。が、すぐに察した。ヴィンセントが気にしているのは魔道具の向こうの視聴者ではなく、入団数年目にして初めてできた「後輩」である新人騎士レインくんだ。
(こいつまだ「後輩の前でかっこよく戦う自分」を諦めていない、だと……!? 嘘だろ、普通に戦えば俺が勝つ。実力差くらいわかっているはずなのに。ルイスが目撃するのはお義兄ちゃんがかっこよく勝つところだ。つまり俺)
胸を貸すと言った意味わかってないのか? お前は俺に負けるんだよ、とニコラスは胸中で呟く。
第一騎士団は、三十歳前後で退団となる者が多い。現在二十五歳のニコラスは中堅どころで、まさに入団以来最初からヴィンセントの面倒を見てかわいがってきた「先輩」的立ち位置である。後輩にとって「模範となる良い先輩」であろうとして生きてきた矜持があり、ヴィンセントに対して意地悪をしたいと考えたことは一度もない。できれば花を持たせてあげたいとすら考えている。
しかし、培ってきた技術や得意不得意、能力差はすぐにどうにかなるものではないのだ。ヴィンセントはたしかに巷間にあってはずばぬけた実力の持ち主であるが、まだニコラスには及ばないのである。
「そうだ。本気で私を打ち倒すつもりでかかってこい。私はお前に、負けたりはしないが」
ニコラスもまたヴィンセントに対して、宣言をする。
両者は睨み合い、ランドルフの「始め!」の掛け声とともに同時に動いた。
刃と刃がぶつかりあう。
剣の柄に伝わる、強烈な手応え。膂力は競っており、なおかつ二人とも自分の剣の強度を魔法で限界まで上げている。凄まじい力を加えても刃こぼれすることもなく、二人は煌めく刃越しに睨み合う。
一度離れてすぐに切り結ぶ。
互いにかわされては打ち込み、薙ぎ払うように剣を空で滑らせ、力でぶつかりあう。
そのまま――
制止の声がかかることもなく、二人は息が上がってもなお譲らずに思う存分打ち合った。
ニコラスは、実のところほんの少しだけ手加減をしていた。
理由はもちろんルイスである。
早々と模擬試合を終えてしまえば、次はルイスの番となりかねない。しかし、配信予定の一時間を大幅に食ってしまえば、ルイスの試合は次回以降に持ち越されると踏んでいた。
(ランドルフは剣筋を研究されることを警戒していたな。しかし記録はされないんだ。何度も披露するわけにはいかないが、初回くらいはいいだろう。それに、大半の視聴者は剣技よりもヴィンセントのこの美貌に目を奪われているはずだ。新人騎士レインくんは必要ない)
実力伯仲の騎士同士の模擬試合が好評というデータを得られれば、次週以降も組み合わせを変えて実施する可能性もある。ろくに戦えない「レインくん」は、三ヶ月を待たずに配信要員から外すこともできるだろう。それがいい。すべては、ニコラスの計算である。
一方、ヴィンセントは見るからに全力であった。それでも、やはりニコラスには及ばず、段々と顔が険しく追い詰められたものになってきている。
「くっ……やはりまだ、かなわない」
悔しげに呟くヴィンセント。ニコラスにとってそれは入団以来何度と見てきた「可愛い後輩」の姿そのもので、思わず苦笑を浮かべてしまう。負けず嫌いで努力家なヴィンセントのことを、ニコラスは憎からず思っているのである。
(おー、めちゃくちゃ悔しそうな顔。この試合が終わったら、よしよししてやらないとな。ヴィンセントなりに頑張っているんだから)
おかげで尺も消費できたし、レインくんの出番は奪えたし、ここらで勝負を決めておくかと思いつつニコラスは審判のランドルフの様子をうかがう。
本来いるはずの位置には、誰もいなかった。
「は?」
いつの間にか、試合場に残っていたのはニコラスとヴィンセントだけで、魔道具を抱えたクライヴをはじめとした一同は離れた位置にいた。
屈強な男たちに囲まれているのはレインくんことルイスで、地面に手をついて苦しげな表情で腕立て伏せをしていた。
無言で、ニコラスはヴィンセントの剣を弾き飛ばした。
ガキンっと鋭い音が響き、弧を描いて剣は宙を横切り地面へと落ちていく。
ヴィンセントは「しまった」と口走ったものの、すぐに切り替えたらしく素手でニコラスに向かってきた。
「今日の俺は負けるわけにはいかないんです……!!」
驚きの粘り強さ。しかし、血が沸騰しているニコラスはもはやそれどころではない。剣を投げ捨て、がっちり組み付いてきたヴィンセントを受け止めると、ろくに見もせず力任せに投げ飛ばす。視線はルイスに向けたまま、唸るような剣呑さで言い放った。
「いまはそれどころじゃねえ! うちの……うちの新人に何やらせてんだあいつら。初回からいきなり地獄のシゴキか? くっそ、なめてんじゃねえぞ」
動揺したせいで、口調が大いに乱れる。
投げ飛ばされたヴィンセントは、体を地面にしたたかに打ちつけていても、しっかりと受け身を取っておりすぐさま立ち上がった。激昂しているニコラスの元へ歩み寄り、果敢に声をかける。
「ニコラス様、俺からレインくんを守ろうとして試合を引き受けたときもさすがの後輩思いだと感服しましたが、シゴキを気にするほどレインくんのことを心配するだなんて……!! 惚れ直しました! さすがニコラス様です!」
やけに感動しきりで、美青年だからこそ絵になるうるうるとした目を向けられていたが、ニコラスは勢い余って「違ぇよ!」と乱れた口調のまま言い返してしまう。
ニコラスがレインくんことルイスの存在を気にかけているのは、決して「後輩だから」がその理由ではない。自分はそこまでできた人間ではない、もっと単純な男なのだ。その思いから「レインは俺の妹だからだよ」と言いそうになった。ぎりぎりのところで、素性はまだ隠しておいたほうが良いと思い出して言葉を飲み込んだ。実際のところ、クライヴは「レインくんに関しては、騎士団といえども一切の詮索を禁じる」と言っていた。
しかし「違ぇよ」と言った手前何か言わねばと思い、咄嗟に叫んだ。
「俺は……俺はお兄さまだからだよッ!!」
その声は修練場いっぱいに、こだまするほど盛大に響き渡った。
* * *
ニコラスとヴィンセントの模擬試合は、達人同士が思うままに力をぶつけ合う激しいものであった。
かぶりつきの位置から初めて生で見ることになったルイスには、とんでもない迫力があった。
「あまり近づきすぎないでね。何かあったら俺が君のことは守るけど、あいつら熱くなると周りが見えないから」
審判として立っていたランドルフが、ルイスに優しい忠告をくれる。
「ありがとうございます。第一騎士団の騎士様って、こんなにお強いんだ……って、目を奪われてしまいました。一瞬も見逃せないくらいすごいですね」
二人の動きを目で追いつつ、ランドルフに少しだけ顔を向けてルイスはお礼を言った。
視線がばちっとぶつかる。慌てた様子で、ランドルフは試合をする二人の方へ向き直った。
「普段はニコラスが瞬殺なんだけど、今日はヴィンセントが食らいついているな」
配信だから気合が入っているのかな? とランドルフが早口で独り言のように呟く。
「僕の目には競っているように見えるんですが、ニコラス様は普段そんなにお強いのですか?」
純粋な興味で、ルイスは尋ねてみた。
(義兄さまの戦う姿なんて、初めて見ました。屋敷にお帰りの際は、走り込みやトレーニングはしていたみたいですけど、剣を振るうことなんてなかったですからね……)
帰省時のニコラスを思い浮かべて、ルイスは「あっ」と声をあげた。
「どうした?」
「あっ、いえ、すみません。そういえば僕、今日はひとりで部屋でもできるようなトレーニングについて教わろうと思っていたのです。いまは全然頼りなくてひ弱ですからね、少しでも皆さんに追いつけるよう自主練をしたくて」
「たしかにその通りだな、自主練は大事だ。だが独学や根性論だけでやっても、疲れるだけで実にならないこともある。わかった。メニューを組むよ。それに沿って、きちんとできそうか実践してみよう。腕立て伏せひとつとっても、正しい姿勢で取り組みことが大切だ」
「ありがとうございます! そうしていただけると助かります!」
ランドルフの親切な申し出に、ルイスはぱっと瞳を輝かせて笑みを浮かべる。「あ……うん」と照れくさそうに頷いて、ランドルフはそっと視線を外した。シャイなんだなとルイスは理解した。
クライヴは試合をする二人に機器を向けており、アイザックが二人の動きを見たままに解説をしていた。だが、小声で「このくらいにしておくか。剣筋をあまり公開しないほうがいい」「了解」と耳打ちしあう。クライヴはすぐさま、機器を「新人騎士レイン」へと戻した。
気づいたルイスは、機器に向かって笑顔で言う。
「いまから騎士団の先輩に、自主練メニューを組んでもらい、トレーニングの指導を受けます!」
試合の場から離れた位置へぞろぞろと移動すると、早速騎士たちが「新人ならこのくらい」「いや最低限これは入れよう」とメニューの話し合いを始める。
一方、ランドルフは「腕立て伏せも綺麗なフォームが重要だよ」と言い、その場で突然地面に伏せて実践を始めた。
(わあ、さすが体格が良いだけあって、腕立て伏せだけでも迫力がある……!)
ルイスからすると見惚れるような動きであったが、見ているだけでは終われない。なにしろ「ニコラス先輩に食いつくヴィンセント」を見た後だけに、新人騎士レインくんになりきったルイスの気持ちは燃えていた。
「こう……ですか?」
ランドルフの横で地面に手をつき、腕立て伏せをしてみる。みるみる間に表情がくもるランドルフの反応を見るまでもなく、自分でもどうにも動きがぎこちないのはすぐにわかった。
「なんていうかな。そうじゃなくて……」
言うなり、ランドルフは身に着けていた上着をばさっと脱ぎ捨てた。
人前で男性が上着を脱ぐのを、ルイスは初めて目にして大きく動揺した。ランドルフはルイスが視線を泳がせているのに気づく様子もなく、真剣そのものの表情で「俺の筋肉の動き見えるかな?」と言いながら腕立て伏せを再開する。
ぴたりと張り付くシャツが体のラインを拾い、隆起する筋肉が布地に浮き出た。
視線を逸らしている場合ではないと気づいたルイスは、しっかりと見つめて目を見開いた。
「み、見えます……! わかりました、いまのイメージを大切に僕もやってみますね!」
すぐに自分の体で再現してみようとするものの、センスがないのかどうしてもイメージ通りにはならない。とても悔しい。
(上着が邪魔なのかな? 私の体のラインはそれほど女性的なわけでもないし、裸にでもならない限り見破られることはないはず。どうせなら体の動きを見てもらった上で、しっかりアドバイスをもらいましょう)
即座にそう判断して、ルイスもまたその場で上着を脱ぎ捨てた。
ざわっと空気が揺れたが、ルイスは意に介さずランドルフだけをひたむきに見て願い事を口にした。
「ランドルフ様。僕のフォームを見ていただけますか?」
「あ、ああ……うん」
運動の影響なのだろう、頬を染めたランドルフが口数少なく応じる。視線が泳いでいた。
しかし、我が意を得たルイスが「こう? こういう感じですか?」と腕立て伏せを始めると、すぐに真剣な顔になり「構え方が違うんだな」と言って手を伸ばしてきた。
その瞬間、修練場いっぱいに轟く声があった。
「俺は……俺はお兄さまだからだよッ!!」
びくっとしたルイスはバランスを崩し、とっさに反応したランドルフにキャッチされる。胸元にすっぽりと抱きかかえられながら、ルイスはニコラスの姿を目で探した。
(どうなさったんですか、お義兄さま! なに……?)
ルイスがその姿を目でとらえたとき、ヴィンセントが「うぉぉ」と言いながらニコラスに抱きついている姿が見えた。
「お兄様ーっ」
「はなせ! 俺はお前の兄じゃない。ただなんというかこう、兄のような気持ちで接しているというだけであって!」
しどろもどろに言い訳をしつつ、ニコラスはヴィンセントを力付くで引き剥がすと、猛烈な勢いでルイスの元まで歩み寄ってきた。
ランドルフに抱えられているルイスを見る目が、恐ろしく厳しい。
(「何を甘えてるんだ!?」っていう目をなさってますね、すみません!!)
言い訳もできない状況で、ルイスは焦って立ち上がろうとした。だがランドルフの腕にしっかりと押さえ込まれていて、ろくに身動きもできない。
「ランドルフ様?」
首をひねって見上げると、ぼーっとした様子のランドルフが見下ろしてきた。
「君は綿菓子みたいに軽いね」
「綿菓子? もしかしてランドルフ様は綿菓子がお好きなんですか? 次回差し入れましょうか」
「いや、綿菓子の差し入れは難しいんじゃないか。あれは祭りで歩きながら出店で買うようなもので」
「お祭りに行かれることがあるんですか?」
思わぬ単語から雑談で盛り上がりかけてしまったが、背後から迫ってきたニコラスがランドルフを蹴飛ばしルイスの肩を掴んで強引に引き離し立ち上がらせたところですべてが終了した。
「何が綿菓子だよ……!? ランドルフは破廉恥な男だな!!」
「綿菓子は破廉恥ではない。ニコラスは何を考えているんだ?」
とんでもない言いがかりに対し、ランドルフもまた立ち上がり素早く言い返す。
挟まれたルイスは何も言えない。
「ハッ。破廉恥は破廉恥だよ。さすがだぜ第一騎士団きってのクズ男は」
「クズだと……!?」
色めきたったランドルフであるが、口をつぐむと悔しそうに横を向き、呟いた。「設定を忘れるところだった」と。そしてニコラスに向き直る。
「そうだ。その通りだ。俺はクズ男だよ」
見守ることしかできなかったルイスはそこで「え?」と目を見開いた。
(ランドルフさんって、クズ男なんですか? 真面目で優しいと思っていたのに……クズ男!?)
すかさずランドルフは、狙い定めたようにニコラスに対して言う。
「俺はクズ男だがお前はチャラ男だ。粋がってる場合か?」
ええーっ!? とルイスは声に出さないまま内心で絶叫する。
(ニコラス義兄さまがチャラ男!? いったい、第一騎士団で何をなさっているんですか……!?)
低レベルな言い争いを始めた面々を見て、アイザックはクライヴが肩にのせた機器を自分の方へ向けると、咳払いをした。
“そろそろお時間ですので、記念すべき第一回はこのへんで。面白かったという方はぜひ課金のご検討を、こちらはすべて収支報告を出します。明朗会計で不正も無駄遣いもありませんのでご安心ください! ですが、くれぐれも家が傾くほどの課金はやめてくださいね。チャンネル登録だけでも十分ですので、口コミで皆さんの周りの方に広めていただけると、大変助かります。それでは皆様、次回またお会いしましょう!”
ぶつん、と配信機器の電源を落とし「騎士団の日常」第一回はつつがなく終了したのだった。
「ありがとうございます、ニコラス様。本気で行きます」
ヴィンセントは凄みのある雰囲気のまま、静かに宣言した。
普段とは面構えからして違う。
まるで昇格試験にでも挑むかのような気迫であり、「配信」を意識するとひとはそこまで変わるものなのか? とニコラスは少しだけ不思議に思った。が、すぐに察した。ヴィンセントが気にしているのは魔道具の向こうの視聴者ではなく、入団数年目にして初めてできた「後輩」である新人騎士レインくんだ。
(こいつまだ「後輩の前でかっこよく戦う自分」を諦めていない、だと……!? 嘘だろ、普通に戦えば俺が勝つ。実力差くらいわかっているはずなのに。ルイスが目撃するのはお義兄ちゃんがかっこよく勝つところだ。つまり俺)
胸を貸すと言った意味わかってないのか? お前は俺に負けるんだよ、とニコラスは胸中で呟く。
第一騎士団は、三十歳前後で退団となる者が多い。現在二十五歳のニコラスは中堅どころで、まさに入団以来最初からヴィンセントの面倒を見てかわいがってきた「先輩」的立ち位置である。後輩にとって「模範となる良い先輩」であろうとして生きてきた矜持があり、ヴィンセントに対して意地悪をしたいと考えたことは一度もない。できれば花を持たせてあげたいとすら考えている。
しかし、培ってきた技術や得意不得意、能力差はすぐにどうにかなるものではないのだ。ヴィンセントはたしかに巷間にあってはずばぬけた実力の持ち主であるが、まだニコラスには及ばないのである。
「そうだ。本気で私を打ち倒すつもりでかかってこい。私はお前に、負けたりはしないが」
ニコラスもまたヴィンセントに対して、宣言をする。
両者は睨み合い、ランドルフの「始め!」の掛け声とともに同時に動いた。
刃と刃がぶつかりあう。
剣の柄に伝わる、強烈な手応え。膂力は競っており、なおかつ二人とも自分の剣の強度を魔法で限界まで上げている。凄まじい力を加えても刃こぼれすることもなく、二人は煌めく刃越しに睨み合う。
一度離れてすぐに切り結ぶ。
互いにかわされては打ち込み、薙ぎ払うように剣を空で滑らせ、力でぶつかりあう。
そのまま――
制止の声がかかることもなく、二人は息が上がってもなお譲らずに思う存分打ち合った。
ニコラスは、実のところほんの少しだけ手加減をしていた。
理由はもちろんルイスである。
早々と模擬試合を終えてしまえば、次はルイスの番となりかねない。しかし、配信予定の一時間を大幅に食ってしまえば、ルイスの試合は次回以降に持ち越されると踏んでいた。
(ランドルフは剣筋を研究されることを警戒していたな。しかし記録はされないんだ。何度も披露するわけにはいかないが、初回くらいはいいだろう。それに、大半の視聴者は剣技よりもヴィンセントのこの美貌に目を奪われているはずだ。新人騎士レインくんは必要ない)
実力伯仲の騎士同士の模擬試合が好評というデータを得られれば、次週以降も組み合わせを変えて実施する可能性もある。ろくに戦えない「レインくん」は、三ヶ月を待たずに配信要員から外すこともできるだろう。それがいい。すべては、ニコラスの計算である。
一方、ヴィンセントは見るからに全力であった。それでも、やはりニコラスには及ばず、段々と顔が険しく追い詰められたものになってきている。
「くっ……やはりまだ、かなわない」
悔しげに呟くヴィンセント。ニコラスにとってそれは入団以来何度と見てきた「可愛い後輩」の姿そのもので、思わず苦笑を浮かべてしまう。負けず嫌いで努力家なヴィンセントのことを、ニコラスは憎からず思っているのである。
(おー、めちゃくちゃ悔しそうな顔。この試合が終わったら、よしよししてやらないとな。ヴィンセントなりに頑張っているんだから)
おかげで尺も消費できたし、レインくんの出番は奪えたし、ここらで勝負を決めておくかと思いつつニコラスは審判のランドルフの様子をうかがう。
本来いるはずの位置には、誰もいなかった。
「は?」
いつの間にか、試合場に残っていたのはニコラスとヴィンセントだけで、魔道具を抱えたクライヴをはじめとした一同は離れた位置にいた。
屈強な男たちに囲まれているのはレインくんことルイスで、地面に手をついて苦しげな表情で腕立て伏せをしていた。
無言で、ニコラスはヴィンセントの剣を弾き飛ばした。
ガキンっと鋭い音が響き、弧を描いて剣は宙を横切り地面へと落ちていく。
ヴィンセントは「しまった」と口走ったものの、すぐに切り替えたらしく素手でニコラスに向かってきた。
「今日の俺は負けるわけにはいかないんです……!!」
驚きの粘り強さ。しかし、血が沸騰しているニコラスはもはやそれどころではない。剣を投げ捨て、がっちり組み付いてきたヴィンセントを受け止めると、ろくに見もせず力任せに投げ飛ばす。視線はルイスに向けたまま、唸るような剣呑さで言い放った。
「いまはそれどころじゃねえ! うちの……うちの新人に何やらせてんだあいつら。初回からいきなり地獄のシゴキか? くっそ、なめてんじゃねえぞ」
動揺したせいで、口調が大いに乱れる。
投げ飛ばされたヴィンセントは、体を地面にしたたかに打ちつけていても、しっかりと受け身を取っておりすぐさま立ち上がった。激昂しているニコラスの元へ歩み寄り、果敢に声をかける。
「ニコラス様、俺からレインくんを守ろうとして試合を引き受けたときもさすがの後輩思いだと感服しましたが、シゴキを気にするほどレインくんのことを心配するだなんて……!! 惚れ直しました! さすがニコラス様です!」
やけに感動しきりで、美青年だからこそ絵になるうるうるとした目を向けられていたが、ニコラスは勢い余って「違ぇよ!」と乱れた口調のまま言い返してしまう。
ニコラスがレインくんことルイスの存在を気にかけているのは、決して「後輩だから」がその理由ではない。自分はそこまでできた人間ではない、もっと単純な男なのだ。その思いから「レインは俺の妹だからだよ」と言いそうになった。ぎりぎりのところで、素性はまだ隠しておいたほうが良いと思い出して言葉を飲み込んだ。実際のところ、クライヴは「レインくんに関しては、騎士団といえども一切の詮索を禁じる」と言っていた。
しかし「違ぇよ」と言った手前何か言わねばと思い、咄嗟に叫んだ。
「俺は……俺はお兄さまだからだよッ!!」
その声は修練場いっぱいに、こだまするほど盛大に響き渡った。
* * *
ニコラスとヴィンセントの模擬試合は、達人同士が思うままに力をぶつけ合う激しいものであった。
かぶりつきの位置から初めて生で見ることになったルイスには、とんでもない迫力があった。
「あまり近づきすぎないでね。何かあったら俺が君のことは守るけど、あいつら熱くなると周りが見えないから」
審判として立っていたランドルフが、ルイスに優しい忠告をくれる。
「ありがとうございます。第一騎士団の騎士様って、こんなにお強いんだ……って、目を奪われてしまいました。一瞬も見逃せないくらいすごいですね」
二人の動きを目で追いつつ、ランドルフに少しだけ顔を向けてルイスはお礼を言った。
視線がばちっとぶつかる。慌てた様子で、ランドルフは試合をする二人の方へ向き直った。
「普段はニコラスが瞬殺なんだけど、今日はヴィンセントが食らいついているな」
配信だから気合が入っているのかな? とランドルフが早口で独り言のように呟く。
「僕の目には競っているように見えるんですが、ニコラス様は普段そんなにお強いのですか?」
純粋な興味で、ルイスは尋ねてみた。
(義兄さまの戦う姿なんて、初めて見ました。屋敷にお帰りの際は、走り込みやトレーニングはしていたみたいですけど、剣を振るうことなんてなかったですからね……)
帰省時のニコラスを思い浮かべて、ルイスは「あっ」と声をあげた。
「どうした?」
「あっ、いえ、すみません。そういえば僕、今日はひとりで部屋でもできるようなトレーニングについて教わろうと思っていたのです。いまは全然頼りなくてひ弱ですからね、少しでも皆さんに追いつけるよう自主練をしたくて」
「たしかにその通りだな、自主練は大事だ。だが独学や根性論だけでやっても、疲れるだけで実にならないこともある。わかった。メニューを組むよ。それに沿って、きちんとできそうか実践してみよう。腕立て伏せひとつとっても、正しい姿勢で取り組みことが大切だ」
「ありがとうございます! そうしていただけると助かります!」
ランドルフの親切な申し出に、ルイスはぱっと瞳を輝かせて笑みを浮かべる。「あ……うん」と照れくさそうに頷いて、ランドルフはそっと視線を外した。シャイなんだなとルイスは理解した。
クライヴは試合をする二人に機器を向けており、アイザックが二人の動きを見たままに解説をしていた。だが、小声で「このくらいにしておくか。剣筋をあまり公開しないほうがいい」「了解」と耳打ちしあう。クライヴはすぐさま、機器を「新人騎士レイン」へと戻した。
気づいたルイスは、機器に向かって笑顔で言う。
「いまから騎士団の先輩に、自主練メニューを組んでもらい、トレーニングの指導を受けます!」
試合の場から離れた位置へぞろぞろと移動すると、早速騎士たちが「新人ならこのくらい」「いや最低限これは入れよう」とメニューの話し合いを始める。
一方、ランドルフは「腕立て伏せも綺麗なフォームが重要だよ」と言い、その場で突然地面に伏せて実践を始めた。
(わあ、さすが体格が良いだけあって、腕立て伏せだけでも迫力がある……!)
ルイスからすると見惚れるような動きであったが、見ているだけでは終われない。なにしろ「ニコラス先輩に食いつくヴィンセント」を見た後だけに、新人騎士レインくんになりきったルイスの気持ちは燃えていた。
「こう……ですか?」
ランドルフの横で地面に手をつき、腕立て伏せをしてみる。みるみる間に表情がくもるランドルフの反応を見るまでもなく、自分でもどうにも動きがぎこちないのはすぐにわかった。
「なんていうかな。そうじゃなくて……」
言うなり、ランドルフは身に着けていた上着をばさっと脱ぎ捨てた。
人前で男性が上着を脱ぐのを、ルイスは初めて目にして大きく動揺した。ランドルフはルイスが視線を泳がせているのに気づく様子もなく、真剣そのものの表情で「俺の筋肉の動き見えるかな?」と言いながら腕立て伏せを再開する。
ぴたりと張り付くシャツが体のラインを拾い、隆起する筋肉が布地に浮き出た。
視線を逸らしている場合ではないと気づいたルイスは、しっかりと見つめて目を見開いた。
「み、見えます……! わかりました、いまのイメージを大切に僕もやってみますね!」
すぐに自分の体で再現してみようとするものの、センスがないのかどうしてもイメージ通りにはならない。とても悔しい。
(上着が邪魔なのかな? 私の体のラインはそれほど女性的なわけでもないし、裸にでもならない限り見破られることはないはず。どうせなら体の動きを見てもらった上で、しっかりアドバイスをもらいましょう)
即座にそう判断して、ルイスもまたその場で上着を脱ぎ捨てた。
ざわっと空気が揺れたが、ルイスは意に介さずランドルフだけをひたむきに見て願い事を口にした。
「ランドルフ様。僕のフォームを見ていただけますか?」
「あ、ああ……うん」
運動の影響なのだろう、頬を染めたランドルフが口数少なく応じる。視線が泳いでいた。
しかし、我が意を得たルイスが「こう? こういう感じですか?」と腕立て伏せを始めると、すぐに真剣な顔になり「構え方が違うんだな」と言って手を伸ばしてきた。
その瞬間、修練場いっぱいに轟く声があった。
「俺は……俺はお兄さまだからだよッ!!」
びくっとしたルイスはバランスを崩し、とっさに反応したランドルフにキャッチされる。胸元にすっぽりと抱きかかえられながら、ルイスはニコラスの姿を目で探した。
(どうなさったんですか、お義兄さま! なに……?)
ルイスがその姿を目でとらえたとき、ヴィンセントが「うぉぉ」と言いながらニコラスに抱きついている姿が見えた。
「お兄様ーっ」
「はなせ! 俺はお前の兄じゃない。ただなんというかこう、兄のような気持ちで接しているというだけであって!」
しどろもどろに言い訳をしつつ、ニコラスはヴィンセントを力付くで引き剥がすと、猛烈な勢いでルイスの元まで歩み寄ってきた。
ランドルフに抱えられているルイスを見る目が、恐ろしく厳しい。
(「何を甘えてるんだ!?」っていう目をなさってますね、すみません!!)
言い訳もできない状況で、ルイスは焦って立ち上がろうとした。だがランドルフの腕にしっかりと押さえ込まれていて、ろくに身動きもできない。
「ランドルフ様?」
首をひねって見上げると、ぼーっとした様子のランドルフが見下ろしてきた。
「君は綿菓子みたいに軽いね」
「綿菓子? もしかしてランドルフ様は綿菓子がお好きなんですか? 次回差し入れましょうか」
「いや、綿菓子の差し入れは難しいんじゃないか。あれは祭りで歩きながら出店で買うようなもので」
「お祭りに行かれることがあるんですか?」
思わぬ単語から雑談で盛り上がりかけてしまったが、背後から迫ってきたニコラスがランドルフを蹴飛ばしルイスの肩を掴んで強引に引き離し立ち上がらせたところですべてが終了した。
「何が綿菓子だよ……!? ランドルフは破廉恥な男だな!!」
「綿菓子は破廉恥ではない。ニコラスは何を考えているんだ?」
とんでもない言いがかりに対し、ランドルフもまた立ち上がり素早く言い返す。
挟まれたルイスは何も言えない。
「ハッ。破廉恥は破廉恥だよ。さすがだぜ第一騎士団きってのクズ男は」
「クズだと……!?」
色めきたったランドルフであるが、口をつぐむと悔しそうに横を向き、呟いた。「設定を忘れるところだった」と。そしてニコラスに向き直る。
「そうだ。その通りだ。俺はクズ男だよ」
見守ることしかできなかったルイスはそこで「え?」と目を見開いた。
(ランドルフさんって、クズ男なんですか? 真面目で優しいと思っていたのに……クズ男!?)
すかさずランドルフは、狙い定めたようにニコラスに対して言う。
「俺はクズ男だがお前はチャラ男だ。粋がってる場合か?」
ええーっ!? とルイスは声に出さないまま内心で絶叫する。
(ニコラス義兄さまがチャラ男!? いったい、第一騎士団で何をなさっているんですか……!?)
低レベルな言い争いを始めた面々を見て、アイザックはクライヴが肩にのせた機器を自分の方へ向けると、咳払いをした。
“そろそろお時間ですので、記念すべき第一回はこのへんで。面白かったという方はぜひ課金のご検討を、こちらはすべて収支報告を出します。明朗会計で不正も無駄遣いもありませんのでご安心ください! ですが、くれぐれも家が傾くほどの課金はやめてくださいね。チャンネル登録だけでも十分ですので、口コミで皆さんの周りの方に広めていただけると、大変助かります。それでは皆様、次回またお会いしましょう!”
ぶつん、と配信機器の電源を落とし「騎士団の日常」第一回はつつがなく終了したのだった。

