ある朝目覚めたら、乙女ゲームのヒロインに転生していた。
いやいや、何を言っているのかわからないと思うけど、私が一番わけがわからない。
(なにこれ~~~~っ⁉)
鏡の前で、自分の顔を見て、私は呆然としていた。
自分の顔、多分、自分の顔だ。ぶにっと頬をつねったら、たしかに痛かった。でもこれは、これまで14年間見てきた私の顔じゃない。
(みくるじゃん)
みくる。それは、私が最近ハマってプレイしている乙女ゲームのヒロイン名だ。
もちろんゲームだから名前は変えられるけど、デフォルト名が『花咲みくる』。
ヒロインにふさわしい、かわいい名前だと思う。
私の名前は『森崎薫』だから、全然かわいくない。
せめて漢字が香だったら良かったのに。薫なんて、画数ばっかり多くてテストでは書きにくいし、たまに男の子に間違われるし、いいことない。
名前だけじゃない。私は、自分で言うのも悲しいけど、あんまりかわいくない。
ブスだとは思わないけど、なんていうか、普通。配信とかやってるクラスの子は、モデルみたいにかわいくて、遺伝子の敗北だと思う。
そんな私が、美少女になっている。
みくるはめちゃくちゃかわいい。肌はまっしろで、目は加工アプリで撮ったくらい大きいし、鼻も唇もパーツの配置が完璧。手足なんか細すぎて折れちゃいそう。
そんなみくるが通うのが、中高一貫『聖イリス学園』。
この学校には様々なイケメンがいて、彼らを攻略するゲームのタイトルが『聖イリス学園で見つける真実の愛』。略してイリ学。
真実の愛、なんて、ちょっとクサくて最初は笑っちゃった。
でも、ゲームはすっごくおもしろかった。
まずビジュアルが最高。イケメンたちはみんなタイプの違うイケメンで、キャラデザが良すぎる。
CVもぴったりだった。今が旬の人気声優さんたちばかりで、耳が幸せすぎた。
キャラクターの設定も良くて、好感度を上げていくと、意外な過去がわかったりしてどきどきした。
だから私は、このゲームにドハマりしていたのである。
でもまさか、夢と現実の区別がつかなくなるほどのめりこんでいたなんて。
「今はやりの転生~なんて思ったけど、そんなわけないよなあ。だって私死んでないし」
よくわからないけど、転生ってたしかトラックにはねられたりとか、そういう死んじゃうイベントがあって起こることだった気がする。
私は普段通り、自分のベッドで寝ただけ。そして、目が覚めたらゲーム画面で見ていたみくるの部屋にいて、私の見た目がみくるになっていただけ。
「普通に考えたら、夢かな」
つねったら痛かったけど。幻覚を見ているようなものなんだから、痛いのもきっと幻だ。
どうせ夢なら、楽しんじゃおう!
わくわくしながらかけてある制服に袖を通して、鏡の前でくるりと回る。
(うわあ、ゲームで見た通り!)
スカートをつまんだり、ポーズをとってみたりして鏡の前でニヤけていると、下から声がした。
「みくるー! 朝ごはん食べないのー⁉」
この声はたしか……みくるのお母さんだ!
時計を見て、私はばたばたと階段を下りた。
「お母さん、おはよ!」
「はい、おはよう。急いで食べないと、遅刻するわよ」
「はあーい!」
お母さんが用意した朝ごはんを食べて、私は玄関を飛び出した。
「行ってきまーす!」
外に出ると、暖かい春の陽気だった。
ゲームの開始は中学2年生の4月から。ってことは、ほとんどゲームと同じスタートなんだな。
ぼんやり考えながら学校までの道を歩く。
ゲームではMAP機能はないから、学校への道なんてわからないはずなんだけど、体が覚えているとでも言えばいいのか。迷うことなく足は進んだ。
ちょっと歩くと、見慣れた背中が見えた。
(あれは――!)
きらっと私の目が輝く。相手も私の視線に気づいたのか、ゆっくりと振り返った。
(――えっ⁉)
相手の顔が見えた瞬間、私の視界に、ぱっとバーチャル画面が浮かび上がった。
それはものすごく見慣れたもので。
(せ、せ、選択肢~⁉)
下の方に表示されているコマンド。間違いない。ゲームの選択肢だ。
≫話しかける
≫挨拶だけして通り過ぎる
≫微笑みかける
中身もゲームと同じ選択肢だった。
これがこのゲームの優しいところで、『無視する』といった、いわゆる『ハズレ選択肢』がない。だからキャラに嫌われたり、冷たくされたりということがない。
低年齢ユーザーをターゲットとしているからで、どれを選んでも好感度は上がる。数値が大きいか小さいかの差があるだけだ。
選択肢だけじゃない、他にも必要な情報が、画面上に表示されている。
左上にあるのは相手のキャラクター名。
今目の前にいる彼は、『如月勇人』。ヒロインが1年生の時からのクラスメイトで、2年生でも同じクラスだ。
明るく社交的な性格で、最初からヒロインとある程度仲がいい。同い年の友達ポジションの男の子。
如月くんの攻略は、友達から好感度を上げていって、友情から恋に踏み切れなくて両片思いの状態が続く中、勇気を出したヒロインの告白で恋人になる。一番スタンダードな学生恋愛だ。
右上に表示されているのは、好感度。これはキャラクター設定の親しさとは関係なく、ゲームシステム上、全員0から始まる。如月くんも0だった。
(まさかここまでゲームのままとは……)
ゲームに出てくるイケメンたちと交流できたらおいしいな~なんて思ってたけど、好感度システムがそのままなんて。
もしかしてこれ、正解の選択肢を選んでいくだけで、好みのイケメンとそのまま恋人になれちゃうのでは……⁉
なんて簡単なんだろう。
失敗する選択肢は出てこない。相手の好感度は常に数字で把握できる。
こんなにお手軽な恋愛、現実ではありえない。
(楽勝じゃん!)
だってこれは夢だから。楽しんだって、バチは当たらないだろう。
私は笑顔で如月くんの隣に並んだ。
「おはよう、如月くん! 学校まで一緒に行こう?」
そう声をかけると、選択肢の『話しかける』が光って、ピロン♪ と効果音が鳴った。
好感度が上がったのだ。右上を見ると、+5という数値が浮かび上がっていた。
「おはよ、花咲。今日も元気だな」
笑いながら挨拶を返してくれた如月くんの眩しさに、胸がぎゅっとした。
(か、かっこいい~!)
さすが乙女ゲームの攻略対象。笑顔ひとつで女の子を惹きつける魅力を持っている。
しかし、それだけじゃない。
「なあ、花咲。朝メシ、パンだった?」
「え、うん。なんで?」
首をかしげると、如月くんが笑いながら手を伸ばしてきた。
そのまま、私の唇の端を、そっと撫でる。
「口の端、パンくずついてる」
(ひえええええ!)
キザだ。こんなの、本当にやる人がいるなんて。
違った。現実じゃないんだった。でも、指の感触とか、私にとっては本当で。
「慌てて食ってきたんだろ。寝坊でもしたか?」
何でもないようにカラッと笑う如月くんに、私は焦ってごまかすしかなかった。
そんなこんなで如月くんと話しながら歩いていると、学校の校門が見えてきた。
校門には先生が立っていて、生徒たちが挨拶をして通り過ぎていく。
「おはようございまーす」
「はい、おはよう」
にこやかな笑顔で生徒に答えている男性教師は、沖本辰巳。温和な数学教師で、女子生徒に人気がある。
沖本先生は教師だけど、隠しキャラとしてエンディングが存在する。
2周目以降、沖本先生の好感度が一番高く、かつ他キャラの好感度が全員恋愛エンドに満たない場合、ヒロインが卒業後教育実習生として戻ってきて再会するのだ。
本編中にはどれだけ好感度を上げても恋愛めいたシーンはないけれど、ヒロインの相談に親身にのってくれる。そこがいいと、一部のお姉さまプレイヤーから人気だ。
「先生、おはようございます」
「おはよう、花咲さん」
他の生徒と同じように挨拶した後、沖本先生が私の胸元に視線を向けた。
「花咲さん、ネクタイ曲がってますよ」
「えっ?」
聖イリス学園の制服は、男女共にネクタイのブレザータイプ。でも、現実の私の制服はリボン。だから、慣れないネクタイはちょっと不格好になっていた。
「相変わらず不器用ですね、花咲さんは」
沖本先生が困ったように笑うと、視界に選択肢が表示された。
≫先生に直してもらう
≫自分で直す
≫クラスメイトに直してもらう
(あわ、ど、どうしようかな)
好感度を上げるなら、『先生に直してもらう』だ。
でも、それって、それってなんか。
想像すると、かーっと顔が赤くなった。
ゲームの時は、憧れの大人って感じで、別になんとも思わなかったのに。
いざ目の前にいて、ネクタイだけど、触れられるって思ったら、なんか急に恥ずかしくて仕方なくて。
「じっ、自分で直します!」
「そう? ホームルームに遅れないようにね」
「はいっ!」
ピロン♪ という音と、+3という数値を目の端に映しながら、ぱたぱたと駆け足で校舎に入り、トイレの鏡を見ながらなんとかネクタイを直した。
如月くんのこと置いてきちゃった、と思ったけど、教室に行ったら普通に席に座っていた。
慣れっこなんだろう、私と目が合ったら、ひらひらと手を振ってくれた。
「時間ギリギリだぞー」
「えへへ」
如月くんの席は窓際。そして、私の席はその隣。
席につくとすぐにチャイムが鳴って、担任の沖本先生が入ってくると、ホームルームが始まった。
ゲームの学校でも、一日の流れは現実と特に変わらない。普通に授業を受けて、友達とお昼ご飯を食べて、放課後になった。
如月くんは、チャイムが鳴るなり、サッカー部へと向かった。
「……あれ?」
隣の席を見ると、明日までの宿題のプリントが机から飛び出していた。
後で取りに戻って来るかもしれないけど、如月くんは荷物を全部持って部活に行った。そのまま忘れて帰っちゃうかも。
悩んだ末、私は如月くんにプリントを届けることにした。
グラウンドに行くと、既にサッカー部は活動を始めていた。
どうしよう、と思いながら眺めていると、ひとりの部員が気づいてこちらに駆け寄ってきた。
近くまで来た部員の顔を私が認識した時、ぱっと画面が表示される。
(成瀬琉生……!)
成瀬琉生。彼も攻略キャラクターのひとりだ。
如月くんと同じサッカー部の先輩で、高等部2年。爽やかな好青年で、お兄ちゃんタイプ。部活動の時は、中等部と高等部は合同で活動することも多い。
成瀬先輩の攻略は、序盤は友達の如月くんに会いに来ることで仲良くなれる。
成瀬先輩は、ヒロインが如月くんのことを好きだと勘違いして応援するけど、ヒロインの方からアタックすることでエンディングに持っていける。
グラウンドの端っこにいた私に、成瀬先輩は怖がらせないように優しい声で話しかけた。
「中等部の子だよね、どうしたの?」
「はい。えっと、如月くんに忘れ物を届けに」
「如月? ったく、あいつ、しょうがないな。おーい! 如月!」
大声で呼ばれた如月くんがこちらに走ってくる。
「なんですか、成瀬先輩」
「この子が、お前に用だって」
「花咲? どうした?」
「教室に、宿題のプリント忘れてったでしょ。これ期限明日だから、忘れたままじゃ困ると思って」
「うわっ! マジか! サンキュー、助かった」
手を合わせる如月くんに、私は「いいよ」と手を振った。
やっぱり忘れてたんだ。届けに来て良かった。
ほっとしていると、成瀬先輩が私に微笑みかけた。
かと思うと、私の髪をくしゃりと撫ぜた。
「うちの如月が迷惑かけたね、ありがとう」
「い、い、いえっ!」
どもりまくってしまった。仕方ない。だって、成瀬先輩、実は一番の推し。ゲームでも真っ先に攻略した。
「こんな気が利く子がマネージャーだったらなー。どう、サッカー部こない?」
「えっと……」
返答しようとすると、お馴染みの選択肢が浮かぶ。
≫マネージャーになる
≫断る
これは好感度分岐じゃなくて、ステータス分岐だ。この回答で、ヒロインのステータスが決まる。
ここで引き受けると、ヒロインはサッカー部のマネージャーになって、如月くんと成瀬先輩の攻略がしやすくなる。
断ると、ヒロインが元々入っていた演劇部がステータスとして確定になる。
悩みどころなのだけれど、演劇部のルートに入らないと、残りの攻略対象に会えない。それは残念すぎる。
推しだけど、マネージャーにならなくても、成瀬先輩の攻略は可能だし。
悩んだ末、私は断ることにした。
「ごめんなさい。今の演劇部が好きなので。でも、手が足りない時があったらお手伝いするので言ってください!」
「そっか、残念。頼れる時があったら、お願いするよ」
名残惜しさを感じつつ成瀬先輩と別れて、私は演劇部の部室に向かった。
「遅い!」
「すみませんっ!」
部室に入るなり飛んできた叱責に、私は反射的に謝った。
おそるおそる顔を上げると、部長が腕組みをしてこちらを見ていた。
左上に表示された名前は、『九頭竜伊織』。
中等部の演劇部部長で、3年生。脚本も担当している。
眼鏡をかけていて知的な雰囲気があり、脚本も担当している。作家気質なのか、少々頭が固い。
とっつきにくそうに見えるけど、九頭竜部長の攻略は難易度が低くて、まじめに部活に取り組んでいると自動的に好感度が上がる。努力家なヒロインの姿に惹かれて、秋の文化祭でヒロインが主役を演じると、そのままエンディングとなる。
「まーまー九頭竜部長。花咲先輩だって、事情があるんでしょうから、まず話を聞くのが先でしょう」
宥めに入ってきたのは、中等部演劇部1年生の『八雲理玖』。
ふわふわした髪のかわいい後輩キャラだ。柔らかい言動で、きつい物言いの部長との緩衝材になってくれる。
けれどなかなか食えないキャラで、好感度を上げていくと小悪魔な姿が見られる。そんな彼の二面性を肯定していくと、ありのままの自分を受け入れてくれたとエンディングに向かう。
八雲くんに仲裁された九頭竜部長は、むうと唸って、ひとつ咳ばらいをした。
「確かに、最初から決めてかかるのは良くないな。遅れた理由を聞こうか、花咲」
九頭竜部長の問いかけに、選択肢が浮かぶ。
≫正直に忘れ物を届けていたことを言う
≫遅刻は遅刻と言い訳しない
≫如月の名誉のためにごまかす
これはシーソー分岐の一種だ。シーソーとは、片方が上がって片方が下がる。つまり、選んだ選択肢によって、好感度が上がるキャラと、下がるキャラがいる。
しかしこのゲームに限っては好感度が下がることはないので、単純に、選んだ選択肢によって好感度の上がるキャラが変わる仕組みだ。
こんな風に、必ずしも質問してきたキャラの好感度が上がるとは限らない。
ちょっとだけ悩んだけど、ここは素直に行こうと決めた。
「すみません。クラスメイトが忘れ物をして、それを届けていたので」
「なんだ、そうだったのか」
「優しいんですね、花咲先輩」
ピロン♪ と音がして、八雲くんの好感度が+5された。素直でからかいやすい相手としてロックされたのだ。
ちなみに2つ目の『言い訳しない』を選ぶと、硬派な九頭竜部長の好感度が上がり、3つ目の『ごまかす』を選ぶと、この場にいない如月くんの好感度がちょっと上がる。
「1年も入って、これから新メンバーで連携をとっていかないといけないからな。ぼやぼやしてる暇はないぞ。さっそく練習に入る!」
「お願いします!」
準備をするために部室を出ようとすると、八雲くんに袖を引かれた。
なんだろうと思って振り返ると、内緒話をするように、耳元に唇を寄せて八雲くんがささやく。
「ぼく、花咲先輩がいるから演劇部に入ったんです」
「え……」
「これからが楽しみですね、先輩」
至近距離でにんまり笑う八雲くんに、私は心臓が爆発しそうだった。
(こんなの、私の心臓もたないよ~!)
同級生で仲の良い友達、如月勇人。
高等部で憧れの先輩、成瀬琉生。
演劇部の硬派な部長、九頭竜伊織。
演劇部の小悪魔的後輩、八雲理玖。
隠しキャラの温和な担任教師、沖本辰巳。
この5人が、乙女ゲーム『聖イリス学園で見つける真実の愛』の攻略キャラクター。
これから私は、この5人と、ハラハラドキドキの学園生活を送ることになる。
ま、しょせん夢だし。
思いっきり、楽しんでいこう!
――そんな甘いだけの話、あるわけなかったのに。
いやいや、何を言っているのかわからないと思うけど、私が一番わけがわからない。
(なにこれ~~~~っ⁉)
鏡の前で、自分の顔を見て、私は呆然としていた。
自分の顔、多分、自分の顔だ。ぶにっと頬をつねったら、たしかに痛かった。でもこれは、これまで14年間見てきた私の顔じゃない。
(みくるじゃん)
みくる。それは、私が最近ハマってプレイしている乙女ゲームのヒロイン名だ。
もちろんゲームだから名前は変えられるけど、デフォルト名が『花咲みくる』。
ヒロインにふさわしい、かわいい名前だと思う。
私の名前は『森崎薫』だから、全然かわいくない。
せめて漢字が香だったら良かったのに。薫なんて、画数ばっかり多くてテストでは書きにくいし、たまに男の子に間違われるし、いいことない。
名前だけじゃない。私は、自分で言うのも悲しいけど、あんまりかわいくない。
ブスだとは思わないけど、なんていうか、普通。配信とかやってるクラスの子は、モデルみたいにかわいくて、遺伝子の敗北だと思う。
そんな私が、美少女になっている。
みくるはめちゃくちゃかわいい。肌はまっしろで、目は加工アプリで撮ったくらい大きいし、鼻も唇もパーツの配置が完璧。手足なんか細すぎて折れちゃいそう。
そんなみくるが通うのが、中高一貫『聖イリス学園』。
この学校には様々なイケメンがいて、彼らを攻略するゲームのタイトルが『聖イリス学園で見つける真実の愛』。略してイリ学。
真実の愛、なんて、ちょっとクサくて最初は笑っちゃった。
でも、ゲームはすっごくおもしろかった。
まずビジュアルが最高。イケメンたちはみんなタイプの違うイケメンで、キャラデザが良すぎる。
CVもぴったりだった。今が旬の人気声優さんたちばかりで、耳が幸せすぎた。
キャラクターの設定も良くて、好感度を上げていくと、意外な過去がわかったりしてどきどきした。
だから私は、このゲームにドハマりしていたのである。
でもまさか、夢と現実の区別がつかなくなるほどのめりこんでいたなんて。
「今はやりの転生~なんて思ったけど、そんなわけないよなあ。だって私死んでないし」
よくわからないけど、転生ってたしかトラックにはねられたりとか、そういう死んじゃうイベントがあって起こることだった気がする。
私は普段通り、自分のベッドで寝ただけ。そして、目が覚めたらゲーム画面で見ていたみくるの部屋にいて、私の見た目がみくるになっていただけ。
「普通に考えたら、夢かな」
つねったら痛かったけど。幻覚を見ているようなものなんだから、痛いのもきっと幻だ。
どうせ夢なら、楽しんじゃおう!
わくわくしながらかけてある制服に袖を通して、鏡の前でくるりと回る。
(うわあ、ゲームで見た通り!)
スカートをつまんだり、ポーズをとってみたりして鏡の前でニヤけていると、下から声がした。
「みくるー! 朝ごはん食べないのー⁉」
この声はたしか……みくるのお母さんだ!
時計を見て、私はばたばたと階段を下りた。
「お母さん、おはよ!」
「はい、おはよう。急いで食べないと、遅刻するわよ」
「はあーい!」
お母さんが用意した朝ごはんを食べて、私は玄関を飛び出した。
「行ってきまーす!」
外に出ると、暖かい春の陽気だった。
ゲームの開始は中学2年生の4月から。ってことは、ほとんどゲームと同じスタートなんだな。
ぼんやり考えながら学校までの道を歩く。
ゲームではMAP機能はないから、学校への道なんてわからないはずなんだけど、体が覚えているとでも言えばいいのか。迷うことなく足は進んだ。
ちょっと歩くと、見慣れた背中が見えた。
(あれは――!)
きらっと私の目が輝く。相手も私の視線に気づいたのか、ゆっくりと振り返った。
(――えっ⁉)
相手の顔が見えた瞬間、私の視界に、ぱっとバーチャル画面が浮かび上がった。
それはものすごく見慣れたもので。
(せ、せ、選択肢~⁉)
下の方に表示されているコマンド。間違いない。ゲームの選択肢だ。
≫話しかける
≫挨拶だけして通り過ぎる
≫微笑みかける
中身もゲームと同じ選択肢だった。
これがこのゲームの優しいところで、『無視する』といった、いわゆる『ハズレ選択肢』がない。だからキャラに嫌われたり、冷たくされたりということがない。
低年齢ユーザーをターゲットとしているからで、どれを選んでも好感度は上がる。数値が大きいか小さいかの差があるだけだ。
選択肢だけじゃない、他にも必要な情報が、画面上に表示されている。
左上にあるのは相手のキャラクター名。
今目の前にいる彼は、『如月勇人』。ヒロインが1年生の時からのクラスメイトで、2年生でも同じクラスだ。
明るく社交的な性格で、最初からヒロインとある程度仲がいい。同い年の友達ポジションの男の子。
如月くんの攻略は、友達から好感度を上げていって、友情から恋に踏み切れなくて両片思いの状態が続く中、勇気を出したヒロインの告白で恋人になる。一番スタンダードな学生恋愛だ。
右上に表示されているのは、好感度。これはキャラクター設定の親しさとは関係なく、ゲームシステム上、全員0から始まる。如月くんも0だった。
(まさかここまでゲームのままとは……)
ゲームに出てくるイケメンたちと交流できたらおいしいな~なんて思ってたけど、好感度システムがそのままなんて。
もしかしてこれ、正解の選択肢を選んでいくだけで、好みのイケメンとそのまま恋人になれちゃうのでは……⁉
なんて簡単なんだろう。
失敗する選択肢は出てこない。相手の好感度は常に数字で把握できる。
こんなにお手軽な恋愛、現実ではありえない。
(楽勝じゃん!)
だってこれは夢だから。楽しんだって、バチは当たらないだろう。
私は笑顔で如月くんの隣に並んだ。
「おはよう、如月くん! 学校まで一緒に行こう?」
そう声をかけると、選択肢の『話しかける』が光って、ピロン♪ と効果音が鳴った。
好感度が上がったのだ。右上を見ると、+5という数値が浮かび上がっていた。
「おはよ、花咲。今日も元気だな」
笑いながら挨拶を返してくれた如月くんの眩しさに、胸がぎゅっとした。
(か、かっこいい~!)
さすが乙女ゲームの攻略対象。笑顔ひとつで女の子を惹きつける魅力を持っている。
しかし、それだけじゃない。
「なあ、花咲。朝メシ、パンだった?」
「え、うん。なんで?」
首をかしげると、如月くんが笑いながら手を伸ばしてきた。
そのまま、私の唇の端を、そっと撫でる。
「口の端、パンくずついてる」
(ひえええええ!)
キザだ。こんなの、本当にやる人がいるなんて。
違った。現実じゃないんだった。でも、指の感触とか、私にとっては本当で。
「慌てて食ってきたんだろ。寝坊でもしたか?」
何でもないようにカラッと笑う如月くんに、私は焦ってごまかすしかなかった。
そんなこんなで如月くんと話しながら歩いていると、学校の校門が見えてきた。
校門には先生が立っていて、生徒たちが挨拶をして通り過ぎていく。
「おはようございまーす」
「はい、おはよう」
にこやかな笑顔で生徒に答えている男性教師は、沖本辰巳。温和な数学教師で、女子生徒に人気がある。
沖本先生は教師だけど、隠しキャラとしてエンディングが存在する。
2周目以降、沖本先生の好感度が一番高く、かつ他キャラの好感度が全員恋愛エンドに満たない場合、ヒロインが卒業後教育実習生として戻ってきて再会するのだ。
本編中にはどれだけ好感度を上げても恋愛めいたシーンはないけれど、ヒロインの相談に親身にのってくれる。そこがいいと、一部のお姉さまプレイヤーから人気だ。
「先生、おはようございます」
「おはよう、花咲さん」
他の生徒と同じように挨拶した後、沖本先生が私の胸元に視線を向けた。
「花咲さん、ネクタイ曲がってますよ」
「えっ?」
聖イリス学園の制服は、男女共にネクタイのブレザータイプ。でも、現実の私の制服はリボン。だから、慣れないネクタイはちょっと不格好になっていた。
「相変わらず不器用ですね、花咲さんは」
沖本先生が困ったように笑うと、視界に選択肢が表示された。
≫先生に直してもらう
≫自分で直す
≫クラスメイトに直してもらう
(あわ、ど、どうしようかな)
好感度を上げるなら、『先生に直してもらう』だ。
でも、それって、それってなんか。
想像すると、かーっと顔が赤くなった。
ゲームの時は、憧れの大人って感じで、別になんとも思わなかったのに。
いざ目の前にいて、ネクタイだけど、触れられるって思ったら、なんか急に恥ずかしくて仕方なくて。
「じっ、自分で直します!」
「そう? ホームルームに遅れないようにね」
「はいっ!」
ピロン♪ という音と、+3という数値を目の端に映しながら、ぱたぱたと駆け足で校舎に入り、トイレの鏡を見ながらなんとかネクタイを直した。
如月くんのこと置いてきちゃった、と思ったけど、教室に行ったら普通に席に座っていた。
慣れっこなんだろう、私と目が合ったら、ひらひらと手を振ってくれた。
「時間ギリギリだぞー」
「えへへ」
如月くんの席は窓際。そして、私の席はその隣。
席につくとすぐにチャイムが鳴って、担任の沖本先生が入ってくると、ホームルームが始まった。
ゲームの学校でも、一日の流れは現実と特に変わらない。普通に授業を受けて、友達とお昼ご飯を食べて、放課後になった。
如月くんは、チャイムが鳴るなり、サッカー部へと向かった。
「……あれ?」
隣の席を見ると、明日までの宿題のプリントが机から飛び出していた。
後で取りに戻って来るかもしれないけど、如月くんは荷物を全部持って部活に行った。そのまま忘れて帰っちゃうかも。
悩んだ末、私は如月くんにプリントを届けることにした。
グラウンドに行くと、既にサッカー部は活動を始めていた。
どうしよう、と思いながら眺めていると、ひとりの部員が気づいてこちらに駆け寄ってきた。
近くまで来た部員の顔を私が認識した時、ぱっと画面が表示される。
(成瀬琉生……!)
成瀬琉生。彼も攻略キャラクターのひとりだ。
如月くんと同じサッカー部の先輩で、高等部2年。爽やかな好青年で、お兄ちゃんタイプ。部活動の時は、中等部と高等部は合同で活動することも多い。
成瀬先輩の攻略は、序盤は友達の如月くんに会いに来ることで仲良くなれる。
成瀬先輩は、ヒロインが如月くんのことを好きだと勘違いして応援するけど、ヒロインの方からアタックすることでエンディングに持っていける。
グラウンドの端っこにいた私に、成瀬先輩は怖がらせないように優しい声で話しかけた。
「中等部の子だよね、どうしたの?」
「はい。えっと、如月くんに忘れ物を届けに」
「如月? ったく、あいつ、しょうがないな。おーい! 如月!」
大声で呼ばれた如月くんがこちらに走ってくる。
「なんですか、成瀬先輩」
「この子が、お前に用だって」
「花咲? どうした?」
「教室に、宿題のプリント忘れてったでしょ。これ期限明日だから、忘れたままじゃ困ると思って」
「うわっ! マジか! サンキュー、助かった」
手を合わせる如月くんに、私は「いいよ」と手を振った。
やっぱり忘れてたんだ。届けに来て良かった。
ほっとしていると、成瀬先輩が私に微笑みかけた。
かと思うと、私の髪をくしゃりと撫ぜた。
「うちの如月が迷惑かけたね、ありがとう」
「い、い、いえっ!」
どもりまくってしまった。仕方ない。だって、成瀬先輩、実は一番の推し。ゲームでも真っ先に攻略した。
「こんな気が利く子がマネージャーだったらなー。どう、サッカー部こない?」
「えっと……」
返答しようとすると、お馴染みの選択肢が浮かぶ。
≫マネージャーになる
≫断る
これは好感度分岐じゃなくて、ステータス分岐だ。この回答で、ヒロインのステータスが決まる。
ここで引き受けると、ヒロインはサッカー部のマネージャーになって、如月くんと成瀬先輩の攻略がしやすくなる。
断ると、ヒロインが元々入っていた演劇部がステータスとして確定になる。
悩みどころなのだけれど、演劇部のルートに入らないと、残りの攻略対象に会えない。それは残念すぎる。
推しだけど、マネージャーにならなくても、成瀬先輩の攻略は可能だし。
悩んだ末、私は断ることにした。
「ごめんなさい。今の演劇部が好きなので。でも、手が足りない時があったらお手伝いするので言ってください!」
「そっか、残念。頼れる時があったら、お願いするよ」
名残惜しさを感じつつ成瀬先輩と別れて、私は演劇部の部室に向かった。
「遅い!」
「すみませんっ!」
部室に入るなり飛んできた叱責に、私は反射的に謝った。
おそるおそる顔を上げると、部長が腕組みをしてこちらを見ていた。
左上に表示された名前は、『九頭竜伊織』。
中等部の演劇部部長で、3年生。脚本も担当している。
眼鏡をかけていて知的な雰囲気があり、脚本も担当している。作家気質なのか、少々頭が固い。
とっつきにくそうに見えるけど、九頭竜部長の攻略は難易度が低くて、まじめに部活に取り組んでいると自動的に好感度が上がる。努力家なヒロインの姿に惹かれて、秋の文化祭でヒロインが主役を演じると、そのままエンディングとなる。
「まーまー九頭竜部長。花咲先輩だって、事情があるんでしょうから、まず話を聞くのが先でしょう」
宥めに入ってきたのは、中等部演劇部1年生の『八雲理玖』。
ふわふわした髪のかわいい後輩キャラだ。柔らかい言動で、きつい物言いの部長との緩衝材になってくれる。
けれどなかなか食えないキャラで、好感度を上げていくと小悪魔な姿が見られる。そんな彼の二面性を肯定していくと、ありのままの自分を受け入れてくれたとエンディングに向かう。
八雲くんに仲裁された九頭竜部長は、むうと唸って、ひとつ咳ばらいをした。
「確かに、最初から決めてかかるのは良くないな。遅れた理由を聞こうか、花咲」
九頭竜部長の問いかけに、選択肢が浮かぶ。
≫正直に忘れ物を届けていたことを言う
≫遅刻は遅刻と言い訳しない
≫如月の名誉のためにごまかす
これはシーソー分岐の一種だ。シーソーとは、片方が上がって片方が下がる。つまり、選んだ選択肢によって、好感度が上がるキャラと、下がるキャラがいる。
しかしこのゲームに限っては好感度が下がることはないので、単純に、選んだ選択肢によって好感度の上がるキャラが変わる仕組みだ。
こんな風に、必ずしも質問してきたキャラの好感度が上がるとは限らない。
ちょっとだけ悩んだけど、ここは素直に行こうと決めた。
「すみません。クラスメイトが忘れ物をして、それを届けていたので」
「なんだ、そうだったのか」
「優しいんですね、花咲先輩」
ピロン♪ と音がして、八雲くんの好感度が+5された。素直でからかいやすい相手としてロックされたのだ。
ちなみに2つ目の『言い訳しない』を選ぶと、硬派な九頭竜部長の好感度が上がり、3つ目の『ごまかす』を選ぶと、この場にいない如月くんの好感度がちょっと上がる。
「1年も入って、これから新メンバーで連携をとっていかないといけないからな。ぼやぼやしてる暇はないぞ。さっそく練習に入る!」
「お願いします!」
準備をするために部室を出ようとすると、八雲くんに袖を引かれた。
なんだろうと思って振り返ると、内緒話をするように、耳元に唇を寄せて八雲くんがささやく。
「ぼく、花咲先輩がいるから演劇部に入ったんです」
「え……」
「これからが楽しみですね、先輩」
至近距離でにんまり笑う八雲くんに、私は心臓が爆発しそうだった。
(こんなの、私の心臓もたないよ~!)
同級生で仲の良い友達、如月勇人。
高等部で憧れの先輩、成瀬琉生。
演劇部の硬派な部長、九頭竜伊織。
演劇部の小悪魔的後輩、八雲理玖。
隠しキャラの温和な担任教師、沖本辰巳。
この5人が、乙女ゲーム『聖イリス学園で見つける真実の愛』の攻略キャラクター。
これから私は、この5人と、ハラハラドキドキの学園生活を送ることになる。
ま、しょせん夢だし。
思いっきり、楽しんでいこう!
――そんな甘いだけの話、あるわけなかったのに。
