私は今まさにジャンプをしている彼を遠くから眺めている。
引き締まった表情で仲間に檄を飛ばす彼を、何となく誇らしげな気持ちで見守った。
チームの中心的な存在で、リーダー、大将とも呼ばれる彼。
いっさいの妥協を許さず常に高みを追求する彼は後輩たちから恐れられ、仲間からも一目置かれていた。
ふと、腰に手を当てて一瞬立ち止まった彼と目が合う。
私は微笑みを浮かべて目配せを送るが、彼はすぐに顔を背けてしまった。
私のことなど眼中にもないかのように。
そんな集中力が高いところも好きだ。
ある日、いつものように近くから彼を見守っていたときだった。
チームのブレーンであり要でもある彼は当然のようにマークされ、相手チームの大柄な男に引き倒されてしまった。
相手チームに反則の旗が上がる。
「コウちゃん! 大丈夫?」
私はすぐさま駆け寄り、肩を押さえてうずくまる彼に声をかけた。
部外者は立入禁止なのだが、黙って見ていることはできない。
心配そうに顔を覗き込む私に表情を強張らせ、彼はあからさまにため息をついた。
「エミ、危ないからここには入るなって言ってんだろ」
ぶっきらぼうに言って、私の手を引いて観戦席まで連れて行った。
「俺は大丈夫。次また入ったら出禁な?」
「……うん、ごめんね」
しょんぼりする私に鋭い一瞥を残すと、彼は心配そうに見ていたチームメイトたちに手を挙げて戦場に戻っていく。
彼が行うのは球技と武術が融合したような新しいスポーツで、接触や転倒が大きな怪我につながりかねない。
だから、私がコートに立ち入ることに彼が怒るのも無理はなかった。
今までも何度かやらかしてしまったことがあるから余計に怒らせてしまったのだろう。
コート内では威勢のいい掛け声が飛び交っている。
試合を見ていると、自分も参加したくて全身がウズウズした。
女子のリーグに入ろうかな、と彼にさりげなく言ったことがある。
「はぁ? 冗談だろ! お前みたいなトロい奴がやったら死ぬぞ。やめとけ」
彼に鼻で笑われてしまったが……。
でも、私は彼と同じ世界で、同じものを見たいと思った。
それがどんなに過酷で辛いものだとしても。
ある日、同じクラスのユナが彼と同じスポーツの女子リーグに入ったと噂に聞いた。
自慢のロングヘアーをばっさり短く切った髪に彼女の覚悟を感じる。
ユナは明るい性格で、太陽のように輝く笑顔がチャームポイントの可愛い子だった。
今までは学年の違う彼とは接点がなかったのに、同じスポーツチームのメンバーとなった彼女は、私の前でも気にせず彼に話しかけた。
彼も気さくに応じ、クールな表情から一転して笑みを浮かべている。
私は驚きと戸惑いを覚えたものの、当たり前の光景として受け入れた。
太陽のユナと話していると元気になれるから、みんな彼女と話すと自然と笑顔になった。
「ねぇ、エミリ。コウスケさんっていい人だね!」
ユナがキラキラした満面の笑みで言う。
私は彼が褒められるのは悪い気がしなかったから、素直に「ありがとう」と返した。
そのうち、彼とユナが楽しそうに話している姿を眺めていると、お似合いの2人だと思うようになった。
「なんか最近、エミちゃん大人しくない? 女神に遠慮してる?」
観戦席の隅にいる私に、彼のチームメイトのヤスさんが話しかけてきた。
女神とは部内でのユナのコードネームらしい。
なんてピッタリなのだろう、と私は内心で感心する。
「ううん、そんなことないよ!」
そう言ってヤスさんに笑顔を作って見せた。
ヤスさんはいつも朗らかで優しい。
私の愛する彼と違って顔つきも優しい。
でも、私は彼のあの威厳に満ちた目つきが好きだった。
試合中の彼の姿を見ていると、前世は武将か何かだったのでは、と思わせる気迫やオーラを感じる。
そして、私に勇気と感動を与えてくれる。
だから私も日頃から彼に対して感謝の気持ちを伝えたいと思った。
チームに差し入れをしたり、練習や試合のある日は欠かさず見守る。
それが私の役目だと感じていた。
何気なくこんなことを尋ねたことがある。
「ねぇ、コウちゃんの夢って何?」
投げかけられた私の言葉に、彼は一瞬沈黙してからおもむろに口を開いた。
「世界で活躍すること」
その声を聞いた瞬間、私の世界は暗転した。
成長した彼がトロフィーを掲げて観客の拍手喝采を浴び、仲間とともに喜んでいる光景が眼前に現れる。
……そうか、もうあれから五年も経つんだっけ。
私は家事をする手を止め、テレビに映る彼をぼんやりと眺めていた。
彼は今まさに高校時代の夢を叶えたのだ。
「……なぁ、エミに話があるんだ」
あの日の彼は、いつになく落ち着かない様子だった。
だから、私はいつもの明るさを失わないように注意を払った。
彼の言葉ならどんなものでも受け止めようと決めている。
「うん。どうしたの?」
「留学することになった。向こうのプロチームで通用するまでは帰らないつもり」
「そう、なんだ……」
彼の真剣な眼差しに気圧されて、私は思わず固唾を飲んだ。
愛する彼が遠くへ行ってしまう──。
そう考えたら鼻の奥がツンと痛くなった。
「俺はエミの近くにいて守ってやることができないし、エミの人生にも責任が持てないから、いったん俺たちの関係を白紙に戻したい」
彼は少し辛そうに顔を曇らせながら、ゆっくりと言葉を選ぶように言った。
いったん、という言葉に彼の配慮とズルさが感じられる。
この期に及んで期待を持たせるの?
私はそんな思いを口にする代わりに、涙を浮かべた目で彼をまっすぐ見つめた。
「……うん、分かった。ずっとずっと、応援してるよ。必ず世界一になって帰ってきてね、コウちゃん!」
そう言い終わった瞬間、涙がこぼれた。
……あれから五年、か。
私はテレビを消して、小さくため息をつく。
この五年の間に私が頑張ったことと言えば、綺麗になるためにダイエットやメイクの研究をしてきたくらいだ。
すべては彼のために……。
ある日、アスリートとして世界的に有名になった彼が帰国するという情報をネットで知った。
私は彼の帰国日を調べて、当日になるとまるでデートをするようなお洒落をして出かけた。
その国際空港には人だかりができていた。
彼の多くのファンや記者たちが彼の到着を待っている。
私は人だかりから離れた隅の方に立った。
やがてワッと歓声が上がり、光るフラッシュや拍手を浴びながら彼が颯爽と姿を現した。
眩しそうに目を細め、ファンに軽く手を挙げて応じつつ、インタビューを受けるために立ち止まる。
すっかり遠い存在となったスター選手の彼を遠巻きに眺めながら、私はスポットライトの影と化していた。
ふと、彼が何気なく振り返る。
目が合った。
彼は動きを止めて私の顔を数秒ほど見つめた。
私はハッとして慌てて口元に笑みを浮かべたが、彼は何事もなかったかのように顔を背けて歩き出した。
高校時代、練習中に私と目が合ったのに顔を背けたときと同じように。
彼は私に気づいてくれただろうか?
期待と不安で胸がいっぱいになる。
付き合っていた頃から彼は“近くて遠い人”だった。
これからは、完全に遠い存在の人になってしまうの?
私は唇を噛みしめ、うつむいた。
彼の連絡先は消していない。
連絡してみようかな……?
でも、拒絶されたらどうしよう。
やがて彼が完全に姿を消して空港内の熱気が冷めても、私は一人その場に立ち尽くしていた。
“いったん関係を白紙に戻そう”という彼の別れの言葉が私の気持ちを縛り続けていることを、彼は知ることもないだろう。
17歳で止まったままの時間が動き出す。
私は顔を上げて深呼吸をすると、新しい人生を始めるための第一歩を踏み出した。
【end】



