ーー学生時代。
それは人生における最大の転換期。
将来を決定づける最も大切な期間と言っても過言ではない。
「ねえ、あの人って確か……」
「あ、本当だ!やっぱり超イケメン~!」
学生時代を上手く生きることができれば
輝かしい未来を約束されたも同然だ。
「成績優秀でスポーツも万能なんだってさ~!」
「アタシ、声かけてみちゃおうかなー」
容姿・頭脳・運動神経・厚い人望
――全てに恵まれた俺に、人生の死角はない!
「あの、二年の今井豪太さん……ですよね?」
「ああ、そうだけど?」
「ここ一年の教室前ですけど、どうされたんですか……?」
「……」
(……やべえ。俺の教室ってどこだっけ……)
――この弱点さえなければ。
俺の名前は今井豪太。この春、高校二年に進級した。
自分で言うのは少し照れるが、勉強も運動もかなり得意だ。
おまけに容姿とコミュニケーション能力にも恵まれた学校の人気者。
そのおかげで毎日を楽しく、問題なく過ごせている。
――いや、一つだけ問題がある。
「とりあえず無言の意味深な微笑みで乗り切ったが……えっと、今は東棟の三階だから西棟への通路は……ど、どこだ……」
俺は極度の方向音痴だ。
俺にかかれば一本道だってラビリンスにできるかもしれないな。
ーーいや、言い過ぎだ。
でも二年に進級して教室が変わったせいで、校内で迷う回数はまた増えてしまった。
白状すると、丸一年通っているはずの通学路すらもいまだに危うい。
もちろん、毎日通学で迷っているわけじゃないぞ?
たったひとつ、決めたルートからしか行けないってだけ。
調子に乗って『今日はいつもと違う道を通ってみるか♪』なんてしようものなら、一巻の終わりだ。
高校でこの事実を知る者はいない。
何とかこの弱点を隠し、楽しい高校生活を切り抜ける。
それが俺の、素晴らしい人生を掴むためのライフハックなのだ!
――と、見覚えのない廊下に、チャイムが鳴り響いた。
「……ホームルーム、間に合わねえな。」
※
「豪太、ホームルーム終わったぜ?どこに行ってたんだ?」
「……たまにはサボりたいんだよ」
「おまえ、意外とワルな部分あるよなあ。そうだ、今からみんなでカラオケ行くけど、どうだ?」
「あーごめん、今日はパス。行くところあるんだ」
方向音痴を隠し通す。
とはいえ、いずれは克服したいわけで。
そのために今日、俺は新たなる一歩を踏み出すのだ。
「親に書留郵便出せって頼まれたんだよ~マジだりいよな~」
看護師である母親は、今週いっぱい夜勤なので日中は休んでいる。
中3の妹は夕方まで部活があるので行けない。
そのため、苦渋の決断として俺に郵便局への使いを頼んだわけだ。
さすがに郵便局には何度も行ったことがあるので、問題ないはずだ。
「アンタ分かってるよね!?書留なんだから大切に扱ってよ!?今日じゃないと間に合わないんだから、絶対に営業時間内に辿り着いてよ!?」
俺を全く信頼していない母の不安げな瞳がよみがえり、苦笑が漏れた。
(ふふ、母さんめ。俺を見くびりやがって……見てろよ、俺の成長を……!!)
さすがにイージーすぎるミッションだ。
今回は地図アプリなんぞに頼るまでもない。
俺は友人に別れを告げ、教室から颯爽と退出した――。
※
「――あれ!?この喫茶店、さっきも見た気がする!?」
ここを抜ければ郵便局が見えるはずだったのに。
俺の眼前には、つい数分前に通り抜けた場所と全く同じ風景が広がっている。
何回も同じことを繰り返して、ようやく思い出した。
俺は郵便局に行ったことはあるが、高校から直接向かったことは無い。
つまり、俺にとっては行った事がないのも同然のルートだったのだ。
「クソ、最初から地図アプリを開いていれば……」
1度行ったことがある場所だと逆に油断し、
見覚えのある景色を頼りに、とりあえず進んでしまう。
そんな己の学ばなさが心底憎い……!
「やばいぞ、このままだと……」
時計を見ると、16時半を過ぎたところ。
郵便局の営業時間終了まで、残り30分もない。
郵便局までの道のりを思い浮かべる。――不可能だ。
――ゲームオーバーだ。
そう悟った瞬間、全身の力が抜けてガクリと膝が地についた。
母の不安は正しかったのだと痛感する。
(俺はなんて親不孝者なんだ……。すまない、母さん……)
「――きゃあ!?」
「――ゴフっ!?」
突然、脇腹に何かが衝突して、強い衝撃が走った。
衝突してきた何かは、そのまま俺の身体の上を転がり、ドサッと地面に落ちた。
「いってぇ……」
「いたたた……」
横腹を抑えながら、ぶつかってきた何かの正体を確認する。偶然にも、俺と同じ高校の制服を着た女子だった。
「ごめんなさい、つまずいちゃいました……」
「いや、こんな場所でうずくまっていた俺が悪いんで……」
「いえいえ、私がドジなばかりに……あれ?」
乱れた髪や制服を軽く整えながら、少女が俺の顔を覗き込む。
「――今井君ですよね?」
少女がコントのようにズレた眼鏡の位置を直した時、俺はようやくピンと来た。
「道永……?」
「はい!偶然ですね。どこか行かれてたんですか?」
控えめに微笑むこの少女の名前は、道永千寿子。
今年初めて同じクラスになった同級生だ。
もっとも、彼女はいつも教室の隅で少数の友達としか話さない人だから、多分これが初会話だ。
敬語キャラだったのも今知ったレベル。
「あ、イヤイヤ、何でもな……」
――つい、平静を装ったが思いとどまった。
どう考えても俺は今、緊急事態だ。
そこへ突如現れた道永。
――もしかして救世主ではないか?
何かドジっ子っぽい雰囲気が醸し出されているが、他人に何でもかんでも言いふらすタイプではないだろう――そう信じるしかない!
「……道永」
ゴクリと息を飲み、意を決して重い口を開いた。
「郵便局に行きたいんだけど、どこにあるか分かる?」
「え、ごめんなさい。わたし、最近この辺に引っ越して来たから知らなくて……えっと、スマホ……あ、学校に忘れてきたんでした……」
――ゲームオーバーだ。
愚かな俺に救いなどなかったのだ。
「えっと、今井君。スマホ借りてもいいですか?」
母への土下座シミュレーションで頭がいっぱいの俺は、何も考えずにスマホを道永に差し出した。
「えーと……地図で見る限りは梅原支店が近いですね。」
「......え?そうなの?俺が目指してたのは森口支店だったんだけど?」
「森口はここから徒歩50分の距離。バカみたいに遠いですね。」
「嘘だろ……俺ってば本当に方向音痴……」
「梅原支店なら10分ほどで着くはずです。わ、もうすぐ閉まっちゃう!そうなると、このルートは交差点が多くて信号に引っかかりやすそうだから、ここの裏路地を使って……」
(な、なんか雰囲気が変わった......!?)
先程の遠慮がちな様子と打って変わって、別人のように饒舌な道永に驚きつつも、俺はただ黙って彼女を見守った。
「――ほら今井君、郵便局閉まっちゃいますよ!?早く行きましょう!」
「は、はい……!」
(何が何やら……もう、どうとでもなれー!!)
メガネをクイッと持ち上げて、道永は俺を促す。
生き生きと先導する彼女のあとを、俺はただ信じて着いていくことしか出来なかった。
※
「ま、間に合った……!?」
営業時間終了の3分前。
スイスイと流れるように路地を進む道永をただ必死に追いかけ、気が付けばあっという間に郵便局の前まで来ていた。
滑り込みセーフで、先ほど何とか書留郵便の提出を終えることが出来たのだった。
「良かったですね、今井君!」
「ありがとう、道永……本当に君は俺の救世主だった……!」
「あはは、お役に立てて光栄です!」
伝えきれない感謝を込めて、俺は思わず彼女の手を強く握った。
こんなに迷惑をかけた俺にも優しく微笑み返してくれる。
――すぐに怒ってくる俺の妹とは正反対。まるで聖母様だ。
「でもパッと地図を見ただけで、最短ルートまで分かるなんて凄いな!」
「いえいえ、大したことないですよ。昔から地図を見るのが好きなだけです。」
「ええ......そんな人いるのか?俺は眩暈と吐き気がするけど?」
「街の成り立ちとか特徴が分かったりして、奥深いですよ?」
「考えたこともなかった……俺にとっての地図は地獄への招待状にしか見えない……」
「フフフ、今井君ってけっこう面白い人なんですね……」
失礼ながら、教室では地味で目立たない存在だった道永が、こんな特技を隠し持っていたとは。
話してみないと分からないもんだな。
「……ところで、今井君のお家はどちらの方ですか?」
「ん?俺は桜が丘の方だけど」
「え?じゃあ私とは反対方向ですよ?」
二人で郵便局から並んで歩いてきた足が、ピタリと止まる。
「えっと……戻れます?」
「……まあ、多分?」
もちろん俺は帰り道なんて全く覚えていない。
ヒヨコのように道永に付いてきただけだ。
でも急に彼女が同級生である事を思い出し、この期に及んで格好つけてしまった。
「さっき通ってきた道をまっすぐ戻って、そこからコンビニを左に……」
察してくれたのか、道永はためらいがちに後方の道を指して説明し始める。
「待ってくれ。さっき通ってきた道とか言われても困る。」
「え?本当についさっき通ったのに?」
「あのなあ、方向音痴は目的地に行けたとしても帰れないんだよ!」
「ええ!?何でですか!?」
こんなの方向音痴にとっては常識だが、道永には分からない感覚らしい。
結局、「心配すぎるから」と言って、道永は俺が乗る路線の駅までついてきてくれた。
※
「ありがとう、道永。今日は本当に助かったよ。」
無事に最寄りの駅へたどり着き、改札前で道永に深々と頭を下げた。
「いえいえ、全然。無事に帰れそうで良かったです……」
道永は微笑みをキープしているが、彼女の表情には疲れが滲み出ている。
そりゃそうだよな。
俺に付き合わせて今日はたくさん歩かせてしまったし。
「まさか人気者の今井君に、こんな一面があるとは知りませんでした。ああ、もちろん誰にも言いませんから、安心してくださいね?」
彼女の気遣いの言葉に感動して、胸がジーンとした。
俺の方向音痴に付き合わされたというのに、こんな言葉をかけてくれるなんて。
妹にはいつも「そのまま迷ってもういっそ樹海まで行ってしまえ」と言われる始末。
妹も道永のように、方向音痴の克服に付き合ってくれればいいのに。
――そうだ。道永がいれば、俺は高校生のうちに方向音痴を克服できるのではないか?
頭の中で光が差し、視界が晴れていく。
――そうだ、道永がいれば。
「じゃあ、お疲れ様です。道中くれぐれもお気をつけて。」
「――道永っ!」
背を向けた彼女の肩を掴み、こちらを振り向かせた。
驚きで大きく開かれた瞳が俺の顔をまっすぐ見つめている。
「――俺には、おまえが必要なんだ。
どうか、俺と共にこれからの道を一緒に歩んでほしい――!」
「――へ?」
大事なお願い事だからな。しっかりと道永の目を見て真剣に伝えなければ。
俺の方向音痴克服のナビゲーターとして、隣で指南してほしいと――!!
俺の頼みに、道永の顔はみるみる赤くなり、肩がわなわなと震え始めた。
「こ……こんな公共の場で何を言ってるんですか!?今井君のバカぁ!!」
「あ、ちょっと……!?」
俺の手を振り払い、道永は返事もくれずにそのまま走り去っていってしまった。
様子が可笑しかったので追いかけようかと思ったが、止めた。追いかけたら多分迷うし。
今日は逃げられてしまったが、学校でもう一度彼女を説得してみよう。
あんなに地図が読めて、妹よりも怖くない優秀なナビ役など、もう出会えないだろう。
「待ってろよ、道永……。必ず俺と付き合ってもらうからな……」
ーーー専属ナビゲーターとして!!
決意を胸に、深呼吸をして息を整える。
反対車線に乗らないよう、駅の案内板をよく確認してから俺は改札をくぐった。

