〜真昼の月と見慣れない制服〜

 ふれあい児童養護施設、面談室。私は今日の律さんの面談で冬服にパーカーをお願いした後、小さく長方形に折られた紙を渡された。定規で測ると、縦は20ミリで横は30ミリだった。律さんはその紙を私に渡した後
「個室で読んで……」
と言った。手紙だろうか。でも、律さんの手紙ならちゃんと横書き用の封筒に入れて渡すはずだ。
 個室。私は個室に戻って紙を開いていく。すると、紙には次のような文字が書いてあった。
『18歳になったら、結婚しよう』
と。私は目を見開いた。結婚しよう……。その言葉は、律さんなりの告白であり、プロポーズの言葉だった。律さんはいつから私を好きになったのだろう。でも、分かる気がする。律さんは私がふれあい児童養護施設に行って1日で1人が耐えきれなくなって泣いていた夜を聞いたから。私はその紙を強く抱きしめた。あと、2年。2年間、ここの施設で暮らして律さんと一緒に幸せになる生活を送る。でも、何もせずにここで2年間過ごすわけにもいかない。私自身も成長しないといけない。私は布団に潜り、自分が克服しないといけないものを考え紙にまとめて眠りについた。
 朝、朝食。担当職員が朝食を持ってくる。白米とウインナーと卵焼き、豆腐とワカメの味噌汁だった。私は朝食を受け取った後に
「ちょっと待ってください……」
職員を足止めして、昨日の夜に克服シートを渡す。職員はそれを見て
「児玉さんに話してみるね」
と。言って去っていった。私は朝食を口にする。いつも通りおいしかった。私が克服シートに書いたのは1つだけ。
『律が1度も袖を通していない服でも着られるようにしたい』
それだけ。いつまでも律が1度着た服のみを着ていくわけにはいかない。私は今まで甘えていたのかもしれない。律さんの見返りを求めない愛情に。私は律さんに依存していたんだ。律さんのYシャツを着て、生活してた。ご飯も作らせていた。寝室も借りていた。衣食住を律さんに助けてもらっていた。でも、いつまでも律さんに頼っていたら律さんがあのバイトに明け暮れた日みたいに、体を壊してしまうかもしれない。いつまでも心身症を理由に律さんに頼っていてはいけない。私は心身症を完治まではしなくとも、少しは克服したいと思っている。せめて服は着られるようにしたかった。
 昼、共用スペース。私が本棚から絵本を取り出し読んでいると、
「雫さん?」
児玉さんが話しかけてきた。
「なんでしょうか?」
私が問いかけると
「今日、たまたまセラピストさんが来てくれたから……セラピー受けてみる?」
と。あの克服シートを見てほしいとのことだろう。
「はい……ちょうど時間があるので……」
私は児玉さんの後を追う。
 セラピー室。部屋には砂の入った木の箱、リクライニングチェアが置かれていた。セラピストさんは優しく穏やかな雰囲気の女性だった。私がリクライニングチェアに腰を下ろす。すると、セラピストさんは私の向かいにパイプ椅子を置いて座った。
「雫さん、今日は来てくれてありがとう……ここに来るまで、かなり勇気がいったんじゃないかな? まずは、その気持ちを話してくれてありがとう」
セラピストさんは、私が勇気を出してここに来てくれたことを褒めてくれた。私はうつむいたまま、小さな声で
「……なんでも、ないです」
と言った。セラピー室に入ったことないから、ちょっと初めての空間に動揺しているのかもしれない。
「そっか……でも、無理に話さなくても大丈夫だよ……私たちは、雫さんが安全だと感じられる場所を作るためにここにいるんだから……雫さんにとって、服を着るって、すごく怖いことなのかもしれないね……無理に『着なきゃダメ』なんて思わなくていいんだよ……ここは、雫さんが安心して暮らせる場所だから」
セラピストさんは、私の心身症のことも理解しているみたいだ。私から、治したいって思ったから、事情は知っているはず。私は肩の力を抜いた。なんか、セラピストさんの声や言葉遣いで硬直が解かれた気がする。
「ねえ、雫さん……私ね、服って本当は、体を守ってくれるものだと思うんだ……風や、冷たい空気から守ってくれる……でもね、雫さんにとっては、そうじゃなかったんだよね……むしろ、嫌なことが起きる、辛い経験をした……だから、服を着ることが怖くなっちゃったんだね」
セラピストさんの言ってることは正しかった。12年前の男の子の悪口がまだ鮮明に頭に残っている。幼稚園児の記憶なんてそれ以外思い出せない。私は不安な表情で顔を上げて
「……そう、です」
と呟いた。
「うん、そうだね……でも、雫さんには、もう一つ別の服の経験があるんじゃないかな? 律さんが、雫さんに贈ってくれたYシャツのこと……あのYシャツは、律さんの温かい気持ちが、雫さんを包んでくれた服だね……律さんが、どんな時も雫さんを守ってくれる、安心できる証……だから、雫さんは今も、律さんのYシャツを大切に着ているんだよね」
セラピストはそう言う。今着ているのは、律さんの高校の制服とは少し違うけど男物の白の長袖Yシャツだ。私は着ているYシャツの袖を少しだけギュッと握って
「……はい」
と答えた。セラピストさんは私の気持ちを肯定してくれる。
「その気持ち、すごく素敵だね……じゃあ、もし、その律さんの気持ちと同じくらい、雫さんが『これなら大丈夫かな』って思える服があったら、どんなものだろう? すごく柔らかい素材のものかな? それとも、律さんの匂いがする、別の服かな? どんなものでもいいんだよ」
セラピストさんは、私に別の服でも選んで欲しいのだろうか。今は思いつかない。
「……分からない、です」
私は分からないと答えた。
「うん、分からなくて大丈夫……無理に答えを出さなくてもいいんだよ……ただ、今日、私の前で少し話してくれたこと、それは雫さんにとって、すごく大きな一歩なんだ……それだけで、本当にすごいことなんだよ」
セラピストさんは、私がセラピーを受けに来てくれたこと自体を褒めてくれる。セラピストさんは、優しく微笑む。私は、初めて少しだけ、セラピストさんの目を見てうなずく。
「雫さんが、どうしたいか、どうやったら安心できるか。それをゆっくり、雫さんのペースで一緒に考えていこうね……雫さんには、律さんみたいに、雫さんを大切に思ってくれる人がいる……それってすごく素敵なことだね」
セラピストさんは、そう語りかける。私は今着ている白いYシャツのボタンを1つずつ外して、肌を露わにした姿になる。これは、単に服を脱ぎたいからじゃない。律さんへの頼りをなくして、自分の意思で答えていきたいから。律さんへの依存をなくすために。その後はセラピストさんと話したり、箱庭療法などで自分の今の心情を目で見て分かるようにした。私が肌をあらわにした姿になってもセラピストさんは最初は目を見開いていたが、次第にその表情もなくなった。私は少しは、服に対する嫌悪感は薄れた気がした。