〜真昼の月と見慣れない制服〜

 ふれあい児童養護施設、共用スペース。私は施設内の椅子と机に座って本を読んでいた。全部、絵本とか小学生が読めるような本しかないけど、まあまあ面白い話が多かった。すると、児玉さんが来て
「雫さん? 律さんが面会しに来てますよ?」
と。教えてくれた。私はビックリした。律さんが面会に来てくれた。あの『ずっと会いに行く』は嘘じゃなかったんだ。私は児玉さんと一緒に面談室に向かった。
 面談室。まだ律さんは入ってきていなかった。私は中央に設置されている椅子に腰を下ろす。すると、職員に案内されて律さんが入ってきた。律さんは私が児童養護施設に入る前と比べたら痩せていて、目の周りが赤く腫れていた。髪もボサボサだし、制服のシワがかなり目立つ。律さんが私を見つけると、走って私に抱きついた。職員が慌てて駆け付けると
「待ってください! 大丈夫です……しばらくこのままで居させてください……」
私は手で『止まって』のジェスチャーをして職員に言った。律さんが今、どんな気持ちか分かっている。寂しくて寂しくて私に会いたくてしょうがなかったんだ。律さんは泣きながら何か言っていたけど、正直理解できなかった。律さんのダイニングで私が初めて泣いたように、今は児童養護施設で寂しかった律さんが私に抱きついて心の整理のために存分に泣けばいい。泣いて心の整理をしていていい。
 体感で数十分後。律さんの涙と唾液でかなりYシャツが濡れたけど、元は律さんのものだから別に良かった。
「ごめん……Yシャツ汚しちゃったな……」
律さんが謝る。
「別に……気にしていないから!」
私は別に良かった。まだ2着あるし。
「俺、数週間くらいずっと喪失感があったんだと思う……」
律さんは続けて言った。
「まず、雫が児童養護施設に行ってから俺の1日が変わった……雫がいないと生活の最後のピースが欠けているみたいに感じたんだ……」
「食事も勉強もバイトも全てが上の空だった……何をしても楽しくなかった……そして夜に気付いたんだ……」
「『俺の生活には雫は必要なんだ』と……けど、雫は今、児童養護施設に居て俺の部屋には来れない……それであの言葉を思い出したんだ……」
「雫と交わした最後の会話で『俺は、雫がそこにいても、ずっと会いにいく! 手紙も書くし、面談の許可が下りれば、必ず会いに行く! 週に数回は、顔を見に行くよ!』と、言ったことを……」
「だから、予約して会いにきた!」
律さんは、私を息で曇ったガラスのような目で見ていた。喪失感がすぐに分かるような目をしている。
「私も……数週間、律さんに会えなくて寂しかったよ?」
私も同じ気持ちだった。泣きはしなかったけど、初日は律さんの部屋でしたことと同じことしちゃったし。
「そうだ……今日は雫にプレゼントを買ってきた……」
律さんは紙袋を私に差し出す。
「開けてみて?」
私は紙袋を受け取って中を漁ると、青のチェック柄で黄色いボタンのワイシャツだった。私は少し不安だった。
「嬉しいけど……心身症の症状出るんじゃない?」
「大丈夫……俺が1回袖通したから!」
「え?」
「俺、分かったんだ……雫が今着ているのは、俺のワイシャツだろ? つまり、『俺が1回身につけた服』だったら、雫の心身症が出ないから、どんな服でも俺が1回着れば雫は他の服も着れるわけだ……」
律さんは、得意げな表情を浮かべている。
「ここの部屋……暑いな……」
律さんは、袖を捲った長袖のワイシャツを脱ぐ。下は白いTシャツを着ていた。
「でも……まだ着るの怖い……」
私は色付きのワイシャツを畳んで紙袋に入れる。
「雫のペースで、頑張って克服していこう! 俺も応援するから!」
律さんは拳を握りしめ、私に見せる。
「でも……雫が俺の部屋に居ないのは寂しいな……」
律さんはまた表情が暗くなった。私が分身の能力さえもっていれば、もう片方を律さんにあげることは出来るんだけど。私は頭をフル回転させた結果
「私の抱き枕作ってみたら?」
と。律さんに提案してみた。
「俺、裁縫得意じゃないんだけど?」
「布団を丸めて、ビニールテープで留めればいいよー」
私は俯き、ぶかぶかのYシャツの袖に隠れた指先をもじもじさせた。
「あと、どうしてその抱き枕を雫と思えば良いんだ?」
「私の全体写真撮って、それを貼ったら?」
私は抱き枕の提案をする。
「分かった……じゃあ、そこに立って!」
律さんはスマホを手に取る。提案したらすぐ実行するタイプだ。律さんは私の写真を計6回は撮ってた。職員は面談室の扉の前で椅子に座りながら、本を読んでいた。監視が仕事なんだけど。
 数分後。
「律さん、雫さん……面談の時間は終わりです」
職員が告げる。
「あっという間だったな……」
律さんは俯く。
「また明後日、会いに行くよ……」
律さんは私に手の甲を向けて左右に振る。私はYシャツの袖から手を出さずに左右に振る。明後日って言ったのは、児童養護施設で面談するには予約が必要だからだろう。
「学校休むことは内緒にしといておこう……心配かけたくないし……」
律さんは何か呟いていたが、私はよく聞き取れなかった。
 児童養護施設、個室。私は律さんからもらった色付きのYシャツを広げる。長袖で質感も、普段着る白いYシャツと同じ素材だった。でも、新しい服の挑戦はまだ勇気が足りなかった。律さんの部屋に居た時に、タグ付きの黒Tシャツを着た時は赤いポツポツの湿疹、心身症の症状が出てしまったから。この律さんの着た白色の長袖Yシャツ、これだけが私が着られる唯一の衣服。他の着る衣服の勇気がない。写真立てにいる律は、勇気のない私を見つめている。黒い優しい目で。
 夕方。私は今、小学5年生の問題を教えている。国語の問題でかなり難しい随筆の問題だった。
「Yシャツの姉ちゃん!」
問題を教えている男の子に叫ばれた。
「え? あ……何?」
「この問題のヒントを教えて!」
男の子は教科書を力強く指差す。私は新しい服に挑もうか挑まないかで頭がぼーっとしてたのかもしれない。
 夜10時。私は布団に潜るが、眠れない。新しい服に挑戦する勇気が欲しい。律さんとの面談だけじゃ物足りない気がする。律さんの声が聞こえて、私の近くにずっと居てくれるもの。電話……そうだ! 電話があった! 電話の録音を聞けば律さんが近くに居るように感じられる。手紙も律さんの声を想像して読めば勇気がもらえるかもしれない。私は明後日に、それを提案してみようと思い、眠りについた。