リア充するにもほどがある~第一話 みずほ先輩、女優さんに怒られる~

「かつき君、わたしはこの放課後を取材に捧げようと思う」

生徒会室に足を踏み入れた瞬間、みずほ先輩は俺の腕をつかみ、唐突にそう宣言した。

高校の入学初日、とある事件をきっかけに生徒会へと引きずり込まれた俺――黒澤克樹(くろさわかつき)は、ほんの数日の体験入会のあいだに清川瑞穂(きよかわみずほ)、通称「みずほ先輩」の下僕という地位を確立してしまった。

「みんながわたしの記事を待っているのよ。その使命を果たさないと。それもタイムリミットはあと一週間!」

真剣な表情でそう言うのは、みずほ先輩が生徒会の広報誌を執筆しているからだ。ほかの生徒会員もそれぞれ仕事を抱えていて、猫の手も借りたいほど忙しい。結果として、俺がみずほ先輩の部下――いや、下僕を務めることになった。

だから断ると言う選択肢は皆無だ。俺は反射的に敬礼のポーズを取る。

「了解しました!」――まさに下僕反射だ。

というわけで今日は、みずほ先輩とふたりでショッピングモールを訪れた。洋服や雑貨の店、飲食店、カフェが立ち並ぶにぎやかな場所だ。

「しっかし、学校帰りにこんなところでうろついてていいんすかね」

みずほ先輩は数歩前に出て振り返り、すこし身をかがめて上目遣いで俺を見つめた。ピンク色の唇の前で立てた人差し指をチッチッと左右に振る。

「遊びじゃないの、これは生徒会の大事な仕事なのよ」
「それ、大義名分っすよね。だって先輩なんだか楽しそうだし」
「わたしはいつでも真面目です!」

きゃしゃな首を傾けると艶のある黒髪がはらりと揺れる。日本人形のような整った丸顔に、ゆで卵のようなきめ細かい肌。遠慮がちな奥二重だけど、醸し出す眼光は俺を捉えて離さない。

「くれぐれも品のないことはやめてよね。たとえば試食をがっつくとか」
「がっつくのがだめなんすね。じゃあちょっとはいいんっすね」
「えっ、まあちょっとなら……」

一瞬、ためらいが見えた。その反応に俺は納得する。

「みずほ先輩、さてはつまみ食いしてるんですね」
「何言ってるのよ! なんでも節度が大事なのよ!」
「あっ、やっぱり食ってますね。しかもいろんなのをちょこちょこと」
「記事にするには実体験が必須なのよ! かつき君も記事書くんだからそれくらいの試食は覚悟しなさい!」

みずほ先輩は顔を赤らめ、むきになって言い返す。

「はいじゃあ、今度の広報誌は『みずほ先輩のつまみ食い放浪記』って題名にしますね」
「センスは認めるけど個人的事情でNGよ! あと、経費があるからおみやげを買って地域に貢献すること!」
「ははーん、それが明日のおやつになるんですね」
「過酷な執筆を乗り切るには希望が必要なのよ!」

言い合っていると、ふと、誰かの視線を感じた。みずほ先輩も気づいたようで同時に目を向ける。

サングラスをかけたヒゲ面の男がベンチでふんぞり返り俺たちを見ていた。

いい歳に見えるが、長袖ストライプのTシャツとジーンズというラフな姿。両手の親指と人差し指でファインダーを作り俺たちを捉えてニヤリと笑う。

「君たちいいねぇ~、それこそ青春の構図だよぉー」

俺はみずほ先輩とアイコンタクトでやり取りをする。

――怪しい人っすね、静かに立ち去りましょう。
――触らぬ神に祟りなし、それが賢明ね。

俺たちは気づかぬふりをして静々とその場を去っていった。



最奥まで進むと芝生の広場があった。カメラが置かれており、私服姿のスタッフが十数人、せわしなく動き回っている。ロープが張られていて、その手前には人だかりができていた。

「なんでしょうね、この見物人は」
「きっと撮影現場ね。記事の材料になるかもしれないわ、行ってみましょう」

ネタの匂いを嗅ぎつけたからか、みずほ先輩の瞳は爛々としている。腰をかがめて人ごみの隙間を縫ってゆくと、芝生にたたずむきれいな身なりの男女が目に入った。

ふたりとも、どこかで見たことがある気がする。

「うわぁ、あれ、桜木淳(さくらぎじゅん)鈴音美沙(すずねみさ)じゃない!」

みずほ先輩の表情がぱっと弾ける。俺は名前を聞いてはじめて気づいた。

桜木淳は、最近デビューした人気急上昇中の若手俳優。かたや鈴音美沙は、天才子役と言われて十余年のベテラン女優。

「っていうことは、『エターナルメッセージ』の撮影じゃない!」

 ――エターナルメッセージ。

確か、次シーズンの注目ドラマで、放送前だというのに話題になっている恋愛ミステリー。

「こんな場面に出会えるなんて、すごいラッキーね!」

みずほ先輩は瞳を二倍にして俺を見上げる。けれど俺は女優さんの表情が気になってしかたない。どうも浮かない顔をしているように思えたのだ。

「みなさん、これから撮影が始まりますので、もう少し距離を置いて下さい」

スタッフが観衆を制した。俺たちは指示に従いほかの観客と一緒に後ずさりする。

ふたたび目を向けると、女優の鈴音さんがスタッフを手招きしていた。若いスタッフがあわてて駆け寄る。

すると鈴音さんがスタッフに向かって早口で話し始める。スタッフは何度も頭を下げているが、鈴音さんの口の動きはいっこうに止まらない。

何かと思い俺は耳をすまして声を拾う。自慢の地獄耳の発動だ。

「だから、どうしてこの私が現場にいるのに、エキストラが遅刻してるのよ!」
「誠にすみません、人身事故で電車が遅れているようでして……。連絡はついたんですが、いつ着くかは……」
「まったく、私のスケジュールの過密さ、わかってるでしょ? エキストラなんて別にいらないから早く始めて!」
「すみません、監督が場の雰囲気を作るためにエキストラは絶対、必要だって言うので……」

鈴音さんは不機嫌な顔でベンチに腰を下ろす。桜木さんも隣に座った。

すると鈴音さんはハンドバッグをふたりの間にどかっと置いて足を組んだ。桜木さんはその様子を一瞥したが、表情を変えることはなかった。

「だいたい私、こんな新参者の俳優と組みたくなんかなかったんだから!」

指先だけ隣に向けて、そう言い放った。横柄な態度で目に余る。俳優の桜木さんは何も言わずやり過ごしたが、スタッフはその態度にたじたじだ。

そこでひとりの男が間に入る。先ほど遭遇した、怪しい雰囲気のおじさんだった。おじさんは両手を合わせ、低く響く声で鈴音さんを説得する。

「まあまあ鈴音さん、ここはひとつ、俺の顔に免じてこらえてもらえませんか」
「そうですか、監督がそうおっしゃるなら、少しは我慢しますけど」

やり取りを聞いて、みずほ先輩と俺は顔を見合わせた。

「みずほ先輩、あのひと実は監督さんみたいっすね」
「やっぱり! クリエイターのひとって、なんか独特の雰囲気があるよね~」
「あれ? 思いっきり怪しい男だと思ってましたよね?」
「そっ、そんなことないわよ、思い違いがはなはだしいわ!」

みずほ先輩はぷいっとそっぽを向いた。余計な深入りはせず視線を撮影現場に戻すと、監督と目が合った。俺たちに気づいたらしい。

突然、右腕を上げてこちらを指さし、一直線に歩み寄ってきた。

「いたいた! そこのきみと隣の彼女ォ!」
「えっ、俺たちっすか⁉」
「そうそう、そこのお似合いのおふたりさん。頼みがあるんだけどさぁ」
「もっ、もしや……」

驚く俺たちに向かい、監督はぎらぎらした笑顔でこう告げた。

「ちょっとだけカップルの役やってくれない? きみらなら地で行けばいいからさ」
「「ええ~っ!」」

☆★

用意されたのはカフェテラスの一角にある白い円卓。場面の雰囲気作りのため、画面の隅っこにカップルを映したいとのことらしい。

「あの、俺たち高校生っす。親も学校も承諾してないっすよ」
「構わねえ、すみっこのほうなんざ誰も見ねえしな。それにこんな貴重な体験を逃していいのかよ。よくないよな?」

いやおうなしに断る路線が塞がれる。

「誰もやるなんて言ってないっす。それに素人っすよ、俺たち」
「凝った演技はいらねえ。普段通り、カップルらしく振る舞っててくれればいいからさぁ」

そう言われても、あくまで先輩と後輩――いや、主人と下僕である。

しかしはた目には、そんなふうに見えてしまうのだろうか。こんな、消しゴムのカスのよれたやつみたいな男とカップルに思われるなんて、みずほ先輩に悪い気がしてしまう。

迷っていると、カフェショップの店員がてんこ盛りのフルーツパフェをふたつ運んできた。それらが円卓に置かれる。その瞬間、みずほ先輩が振り返った。

「かつき君。ぜひやりましょう!」

ごくっと喉を鳴らして意思を表明した。

「みずほ先輩、今絶対、パフェを見て意思が変わりましたよね」
「そんなことはありません! 最初から助けてあげたいと思っていました!」

みずほ先輩はドヤ顔で俺に訴える。こうなったら彼女は引くことを知らない。

「まあ、食ってるだけでいいなら」
「こほん、妥当な判断ね。これも社会貢献の一環よ」

そういうとみずほ先輩はくるりと背を向けて小さなガッツポーズをとった。

このひとは、スイーツという魔物によって脳内ホルモンがだだ洩れになる性質らしい。

☆★☆

「テイクワン、スタート!」

スレートの軽快な音が響く。遠方の固定カメラは芸能人のふたりに向けられ、ショルダーカメラのカメラマンが彼らのサイドアングルを捉える。

シリアスな場面のようで、ベンチに並んだふたりは思いつめた表情。放送時にはバラードが差し込まれそうだ。

みずほ先輩はつま先で俺のすねをとんとんと小突く。

「カメラを気にしちゃ駄目。パフェに全神経を集中して食するのよ」
「カップルの役ですから、あーん、とかするのがお約束じゃないんすかね」

スプーンでクリームをすくって目の前に差し出すと、みずほ先輩はびくりと身をそらし、顔を赤らめた。

「ばっ、ばかっ! そんなことできるわけないでしょ! だいたい女子に気安いのはいろいろ誤解を招くのよ。自重しなさい!」

みずほ先輩はあわてて自分のパフェをすくい上げ口にかき込む。顔を上げると、鼻の頭にはクリームが乗っていた。

もうひとくち食べると、鼻のクリームはさらに大きくなった。すっとしたきれいな鼻筋に乗ったクリームは、まるで富士山の雪帽子のようだ。

でも、当の本人は気づいていない。言うべきか受け流すべきか迷ったけど、撮影中だけにNGの原因となったらまずい。俺は意を決して伝えることにした。

「みずほ先輩って、ほんと鼻につくひとっすね」

とたん、みずほ先輩の顔が紅潮する。しだいに怒り顔になった。

「なっ、なによ!『鼻につく』なんて、かつき君はわたしがうっとうしくて嫌だってこと⁉ それともさっそくわたしに飽きたってこと⁉ どっちよ! でもどっちの意味でもあんまりよ!」
「あっ、えーと、その……」

みずほ先輩は意味を大幅に誤解したらしい。こういうときは言葉で説明しても感情が先行し収集がつかない。となると無実の証明は行動あるのみだ。

俺はすかさず手を伸ばし、親指の腹でみずほ先輩の鼻先をぬぐった。

「――あっ!」

誤解に気づいたみずほ先輩はすぐさま閉口した。指についたクリームをぺろりと舐める。

「鼻先にクリームつけてむきになるみずほ先輩、めっちゃ可愛いですよ」

とたん、みずほ先輩の顔が真っ赤に燃え上がる。

「なっ、なっ、何言っちゃってんのよー! とっ、とっ、尊すぎて大罪よーっ!」

そう叫んだ瞬間――。

「ハイ、カットォォォ‼ そこ、盛り上がりすぎィィィ‼」

監督がメガホンを俺らに向けて声を張り上げた。

やばい、鼻クリームというハプニングについ、自身の立場を忘れてしまった。

「「すっ、すいませんっ! お許しを!」」

そうして俺たちふたりはひたいに汗を浮かべ、監督に平謝りすることとなった。

☆★☆★

「テイクツー、スタート!」

ふたたびカメラが回る。桜木さんは気にも留めていないようだが、鈴音さんはひどく不機嫌な顔をしていて相当やばい。一般市民とはいえこれ以上の粗相は許されない。

けれどカップルの演技という使命は残されている。

話題を探すべく辺りを見回すと、少し離れたところに着ぐるみの集団がいるのに気付いた。さまざまな野菜や果物を模した姿をしていて、子供たちと一緒に写真撮影をしている。

「みずほ先輩、ゆるキャラ集団がいますよ」
「ほんとね、なにかイベントでもやってるのかしら」
「最近増えましたよね、なし崩し的に」

みずほ先輩の表情が一瞬、固まった。一拍の間をおいて俺に問いかける。

「――こほん。かつき君、ちょっと聞くけど『なし崩し』ってどういう意味かわかる?」

突然、理知的な質問をしてきた。日々執筆に携わっているだけに、言葉に使い方にはうるさいのかもしれない。

「当然、知ってますってば」
「うやむやにするってことじゃないのよ」
「わかってますって」
「じゃあほんとうの意味はなーんだ」

みずほ先輩はうかがうように真顔を近づけた。俺は素直に思いついた意味を答える。

「なし崩し――それはふなっしーのポジションを崩しにかかること、ですよね。ちなみにねばーる君が最有力!」

マジレスした瞬間、みずほ先輩は口に含んだクリームを勢いよく噴き出した。俺の顔面に直撃した。

「ぶへっ、みずほ先輩ひどっ!」
「あは、ごめ、かっ、かつき君……それ面白すぎるよぉ~!」

みずほ先輩はお腹を抱えて大笑いしだした。いったい何がツボにはまったのだろうか。

かたや俺はクリームまみれで笑えない状態だ。

そのとき、またもや監督の雄たけびが響く。

「カットだコノヤロー‼」

しまった!

「こっちまで聞こえたけど、おめーら面白すぎるんだよぉ! NG集に組み込んでやるから、本編終了後は覚悟しとけよぉぉぉ!」
「すっ、すみません!」

監督はこめかみに青筋を立て笑ってている。みずほ先輩はいまだに声を殺して悶絶していた。

直後、鈴音さんがツカツカと早足で歩み寄ってきた。表情から察するにひどくおかんむりのようだ。

「あなたたち、いい加減にしてよね!」

ぴしっと氷が張るような緊張感が走り、空気の流れが止まった気がした。

みずほ先輩もまずいと思ったのか、テーブルに突っ伏したまま表情が固まっている。観客たちも空気を察したようで、辺りはしんと静まり返った。

鈴音さんはみずほ先輩の目前に仁王立ちになり、怒りをたたえた視線で見下ろす。

「なんで私がこの代理エキストラの小娘に足引っ張られなくちゃならないのよ! 悪いけど私、こんな小娘に屈辱的な扱いを受けたんだから、やってられないわ! このドラマ、降りさせていただくことにするわ!」

ひどい剣幕に背筋が凍りつく。みずほ先輩はテーブルの上に両手をつき、鈴音さんに向かって何度も頭を下げる。

「すみません、すみません……」

けれど、みずほ先輩の自然な喜怒哀楽に罪なんてあるはずがない。俺は意を決し、ふたりの間に割って入る。

「申し訳ありません、でもこのひとは全然悪くないです。くだらないこと言った俺が全部悪いんです。だから文句は俺が全身全霊をもって受け止めます!」

立位前屈なみに大きく腰を折って謝る。けれど鈴音さんの怒りが収まることはない。

「ふーん、じゃあドラマがおじゃんになる損失は、あなたの親御さんに賠償請求してよろしいのかしら」
「ぐっ、それは……」

スタッフが皆、あわてて集まってくる。

そのとき桜木さんが「あの~、すみませんが」と、間の抜けた声をあげた。鈴音さんは睨むように振り返る。

「なによ桜木さん!」
「せっかくなので撮影のカット、見てみませんか?」
「なんでよ、どうせNGに決まってるじゃない!」
「いや、僕に免じて一度だけ再確認してもらえませんか」
「再確認……?」
「はい、どうしても鈴音さんに見てほしいんです」

すると鈴音さんは渋々と承諾した。

そこにどんな意図があるのかわからなかったが、監督は意味ありげな笑みを浮かべる。

鈴音さんに背を向けて俺の首に腕を回し、耳元でぼそりとつぶやいた。

「まあ見てろって。あの桜木が売れてる理由がわかるかもしれねぇぞ」

☆★☆★☆

みずほ先輩と俺は、話題のドラマの主演たちと並んでモニターを見ている。

モニターにはサイドアングルから映されるふたりの憂いた表情。あたかも恋の終わりを匂わせているような雰囲気。奥には俺たちふたりが映っていた。

シリアスなムードとは対照的に、その後ろに写るカップルは陽気に盛り上がる。彼女役の女子が鼻の頭に白いクリームをつけて怒りだした。それから彼氏役の男子がクリームを拭き取ると、女子は顔を赤らめてあわてふためく。

万一この画像が放送されれば、みずほ先輩と俺だとわかるくらい、顔が鮮明に映っていた。

「こんな映像、使えるわけないじゃない!」

火に油を注いだかのように、鈴音さんの怒りは勢いを増す。俺はみずほ先輩と顔を見合わせ、一緒に表情をこわばらせた。

「まあまあ、次も見てみましょう」

戦々恐々とした雰囲気の中、桜木さんが温和な口調で鈴音さんをなだめる。

次のテイクではみずほ先輩が俺に向かってクリームを噴き出すシーンが映っていた。困り顔の俺とは対照的に顔を真っ赤にして悶絶している。しかし、改めて見ると、このひとはほんとうによく赤くなるし、ころころと表情が変化する。

「こっちもろくな映像じゃないわ。――それで桜木さんは何が言いたいの? 何もなければ私、もう帰りますね」

鈴音さんはモニターから視線を切ってきびすを返す。

すると、桜木さんが優しげな声で鈴音さんの背中に語りかけた。

「彼女の笑顔、鈴音さんの若い頃にそっくりだ」

鈴音さんが、えっ、と声をあげて振り向く。桜木さんは鈴音さんの顔を見てかすかに笑みを浮かべる。

「高校生の頃の鈴音さん、表情が豊かで、モニターの中でもすごく映えていました。僕が芸能界に憧れたのは、あなたの演技を見て感銘を受けたからなんです」
「えっ、そうなの……?」

鈴音さんの顔から怒りが一瞬にして引いてゆく。俺は互いの表情を目で追っていた。桜木さんの自信にあふれた視線は、まるで鈴音さんを包み込んでいるようだ。

「だからこのドラマの撮影、僕はすごく楽しみにしていたんです。でも――」

それから一息ついて続ける。

「鈴音さんが怒るのも無理はありません。あなたは一流の女優さんで、けれど一流ゆえの多忙な毎日が、あなたの心をむしばんでしまっているのでは、と僕は心配になりました」
「桜木さん……」
「いままで自分のやりたいこともできず、ただ仕事に忙殺される毎日。視聴者やドラマ制作スタッフの期待があなたをじわじわと締めつける。僕はあなたに少しだけ近い立場になって、それが理解できたような気がしたんです」

鈴音さんの表情は刺々しさを失い、別人のような素直な顔になってゆく。

「だから青春を謳歌できる彼らを羨ましく思い、苛立つのも納得できました。けれどもし、あなたの気持ちの受け皿がないのなら、僕がその受け皿になりたいとも思いました。そのためにもこのドラマを成功させ、笑顔でクランクアップを迎えませんか。――ぽっと出の僕が、手の届くことのないあなたにそんなことを言うのは、少々差し出がましいとは思ったのですが」

けっして演技とは思えない、すがすがしい笑顔を彼女に向けた。

鈴音さんは潤んだ瞳で桜木さんを見つめている。まるでドラマのワンシーンのような雰囲気だ。

鈴音さんは思案した後、ぽつりと返事をした。

「――わかったわ。撮影を続けましょう」
「ありがとう、鈴音さん」

それから桜木さんは俺たちに向かってウインクをした。

「君たち、僕らに青春を思い出させてくれてありがとう。ほんとうに素敵なカップルじゃないか」
「いやぁ……」

立派な俳優さんに褒められ、どう反応していいのかわからない。みずほ先輩も照れ笑いを浮かべるのがせいいっぱいのよう。

そこで突然、監督が両手を上げ、大きくひとつ手を打ち鳴らす。

「ようし、せっかくだから記念撮影しような!」
「「あっ、はい!」」

そうして僕らは豪華なメンバーに囲まれる。必死なつくり笑いが堂々と撮影用カメラに収められた。

監督は最後に含み笑いの顔で、俺にこんなことを吹き込んで背中を叩いた。

「あいつの言うことが嘘か真かは、俺は知らねぇ。だが、誠実さってやつは万国共通の魔法なんだぜ。お前さんもそんな男を目指せよ」

☆★☆★☆★

それから一週間後の放課後。

みずほ先輩と俺は広報誌の編集作業を終え、ふたりで帰路についていた。肩の重荷を降ろせて晴れ晴れした気分だ。

「いやー、この前はことなきを得たどころか、ネタは満載でしたし、記念写真はもらえましたし、大金星でしたね」
「ほんとねー、もしかしてかつき君って幸運を運んで来たりするひと?」
「そうだったらどんなに胸張って生きていたか、計り知れないっす。残念ですけどね」

沈みゆく夕日は帰り道をオレンジに染め上げ、俺たちの影を遠くまで描いている。

俺を見上げるみずほ先輩の顔がやわらかに色づいている。

「あのふたり、その後もめたりしてないですかね」
「わたしは大丈夫だと思うなぁ」

みずほ先輩は確信のあるような顔をして、あごをくいっと上げた。

コンビニの前を通るとき、ふと、とあるスポーツ新聞の見出しに気をひかれた。知る芸能人の名前があったから、目に留まったのだ。

何の気なしにふらりと近づいて読んだ俺は驚いた。

『桜木淳と鈴音美沙、熱愛発覚! 事務所公認!』

「みずほ先輩、これ見てくださいよ!」
「なになに?」

みずほ先輩はそばに来て新聞の見出しに目を向け、あっと声をあげた。

「かつき君、まさかあのふたり……」
「うわぁ、俺たちひょっとしてキューピッドだったんっすかね」
「世の中誰と誰がくっつくかわからないわよねー」
「ほんとっすね。でも桜木さんが相手なら、あの勝ち気な女優さんだって、飼い猫みたいになっちゃうんじゃないすか」
「うんうん、絶対甘えると思う!」

話しながら歩いていると、みずほ先輩がふと足を止めた。

気づいて振り返る。逆光の中に上品な笑顔が浮かぶ。髪は風になびき、ゆるやかに揺れていた。

「あのとき、ほんとにかっこよかった」

華奢な首を少しだけ傾けて、ささやくような声でそう言った。

「そうっすね、さすが俳優さんっす」
「ううん、違うよ。――きみのことだってば」
「おっ、俺っすか⁉」

一瞬びっくりしたが、鈴音さんに正々堂々と謝ったことだと思い直す。でも俺は下僕としてみずほ先輩をかばっただけ。ただのヘコヘコマシーンだ、かっこよくなんてない。

みずほ先輩は吐息のような声で尋ねてくる。

「ところできみ、ドラマみたいな高校生活してみたくない?」

なるほど、みずほ先輩はドタバタ劇がご所望なのか。

確かにあの一日で、俺はみずほ先輩に潜む混沌の匂いを嗅ぎ取った。

けれど波風が立つくらいのほうが、きっと面白い。このひとについていれば退屈なんてしないはずだ。

それに、桜木さんのような誠意という魔法を、俺だって一度は唱えてみたい。

「ドラマみたい、っすか。――いいっすよ、いくらでもみずほ先輩とお付き合いしますって!」
「えっ、えっ⁉ それって、つまりそういうことだよね?」

頬を紅色に染めて驚き、うれしそうな顔をした。そんな顔されちゃ、腹をくくってお供するしかないっしょ。

「はい、そうっす。生徒会はやりがいありそうだし、なにせ俺フリー(ひまの意)だし」

その瞬間、みずほ先輩はくるりと背中を向けガッツポーズをとった。

どうやら下僕確保を喜んでいらっしゃるようだ。

まあ、取材で美味しいものにありつけるし、悪い気は全然しない。

「じゃあかつき君は、今日から正式にわたしのパートナーよ。末永くよろしくね!」
「えっ、いままではお試しだったんすか⁉」
「あたりまえじゃない、でもきみがどんなひとかもわかったし、なにより本心が聞けたから文句なしよ!」

ということで今日から俺は正式な生徒会員、らしい。

みずほ先輩は軽やかなステップで駆けてゆく。俺はみずほ先輩を小走りで追いかける。

けれどそんな生徒会活動のはじまりが、人生最大の勘違いをはらんでいたなんて、そのときの俺は気づくはずもなかった。