捨てられた悪役はきっと幸せになる

 そういえば、ばたばたしてすぐに思い出せなかった。

 今の令嬢――エレノア・シャルコットは小説後半の悪役だ。正確な後半の悪役はリチャード王太子で、婚約者のエレノアがベザリーを苦しめるのだ。

 小説『小公女ベザリー』の後半内容はこうだ。
 サンベル地方の社交界で地位を築いてきたベザリーは王都へ活躍の場を移す。
 ベザリーをお茶会に招待した王太子妃・エレノアは彼女の無知さを嘲笑してつまはじきにする。
 実はエレノアはクリスに片思いしていたためベザリーに嫉妬を覚えていたのだ。

 その頃に国王が病に倒れて、ベザリーが治癒魔術師として招聘されるがリチャード王太子は彼女を信用できず何かとつっかってくる。
 クリスはベザリーの名誉を傷つけられたとリチャード王太子と決闘する。

 決闘が終わると同時に国王が急変して命を落とす。
 リチャード王太子はベザリーを怪しいと考え投獄するが、怒ったクリスが多くの騎士、兵士を倒してベザリーを救い出す。

 真相を追及するために教会の協力を得たクリス・ベザリー夫妻は、国王を弑逆したのはリチャード王太子であることを明らかにした。
 リチャード王太子は叛逆の罪で幽閉の身となり、廃太子となった。リチャード元王太子の弟カドゥ王子が新たな王となり後見をクリスが任される。
 リチャード王太子が獄中死するとエレノアは投身自殺をして退場となった。

 こうしてクリス・ベザリー夫妻の幸せを邪魔する者はいなくなり、二人は末永く幸せに暮らしました。

 めでたしめでたし。――

 何で思い出せなかったのかしら。

 とにかく自分の死を避ける為に奮闘しなければと自分の死以降の物語のことはぼんやりとしか覚えていなかった。

 エレノア・シャルコット。

 彼女はベザリーをいじめた悪役には見えなかった。
 クリスの妻になったヴィヴィアに対して友好的で、クリスに対して親し気であったが嫌な感じはしなかった。
 悪態をついていたがちゃんとお互いの距離を保っているようにみえて不快さは感じなかった。

「ヴィヴィア、疲れているのであれば眠っていいのですよ」

 まだ馬車の中にいるのを思い出した。
 自分の向かい側の席に腰かけているクリスにヴィヴィアは応えた。

「あ、いえ……シャルコット令嬢は閣下と随分親し気だったなと思いまして」
「嫉妬ですか?」

 思いもしない言葉にヴィヴィアは首を横に振った。
 それをみてクリスはちょっと寂しい気分になった。

「仲がいいというか、年に数回会う間柄です。私たちが気兼ねなく話せる相手が同じ公爵家の人間だったため」
「そうですか」
「今日は疲れたでしょう。帰ったらすぐに休みましょう」

 それを聞きヴィヴィアはすぐにお風呂に入ってベッドに横になりたいという欲が強くなった。

 今日は朝からパーティーの準備でくたくただった。
 国王との謁見、久々のダンスをして、シシリアのちょっかいで精神的にも疲労感が強い。

 でも、クリスとのダンスは楽しかった。

 窓の方をみると自分の姿がみえる。
 親からも、兄妹からも蔑まれていた外見をこんなに綺麗にしてもらえた。

「閣下、今日はありがとうございました」

 ヴィヴィアはクリスに改めてお礼を言った。

「私は……」
「たくさん気遣ってくださいました。私がこのように綺麗なドレスを着られたのはあなたのおかげです」

 はじめは強引な、重たい贈り物だと思った。

 それでもヴィヴィアを美しい女性にしてくれた。
 自信をつけさせてもらった。

 クリスがいたから自分はあの場でも背筋を伸ばしてうつむかずに済んだ。

 去年までの惨めな自分がこんなに変わるなど思ってもいなかった。

「この御恩はいつかお返しします」

 ヒロインがゴーヴァン公爵家に訪れるその日まで公爵夫人としての役割をできる限り全うしたい。

 以前の自分であれば無理だと逃げていた。
 でも、今であれば社交界に出ても何とかやっていける気がする。

 そしてヒロインが自分の前に現れればすぐに彼女に公爵の地位を差し出そう。
 クリスが本当の恋をする少女に。

「御恩というのであれば」

 クリスはしてもらいたいことがあるようだ。
 何か新しい仕事だろうか。

 社交界のこと、慈善活動のこと、絵本の出版事業、薬理学の勉強と色々することが増えていくが彼が望むことはできる限りしたい。

 両親、家族ですらずたずたにしたヴィヴィアの自尊心を立て直してくれたのだから。

「私のことを閣下と呼ばず、名前で呼んでください」
「え」
「私はヴィヴィアの夫です。ヴィヴィアには名前で呼ばれたい。クリスと、一人の男として見て欲しい」

 急に言われる内容にヴィヴィアは顔を赤くした。

 またこの男はヴィヴィアを狂わせていく。

「ですが、閣下は……」
「契約結婚など無理やりあなたを嫁にするための手段でした」

 契約の話が出てきてヴィヴィアはどきっとした。

「無理やり、とか。まるで私と結婚したかったような」
「そうです。早くあなたを娶らなければ、あなたはガストロ男爵に奪われていた」

 ガストロ男爵。
 ルフェル子爵家の遠縁の成金貴族であり、悪名高い男である。

 彼は何度も結婚を繰り返していた。しかも、歴代の妻は突然社交界に顔を出さなくなったと思えば急に亡くなったと連絡があるのだ。
 噂では女癖が悪く、女性に対して酷い暴行を加えるのが趣味な加虐嗜好者であった。
 実家に挨拶にきていた彼がヴィヴィアに向けたまなざしのいやらしさ、おそろしさといったら。
 思い出しただけでぞっとする。

 父に婚約相手を見つけて来いと言われ、無理だと思いながらも社交界に参加し続けていたのは少しでもあの男のことを思い出さないようにしたかったから。

「ガストロ男爵がルフェル子爵家に多額の支援金を出すと聞いて、それならばと私がそれ以上の契約金を出しました。ルフェル子爵家が事業に失敗して借金を抱え込んでいたことはわかっていましたし、色々つけてルフェル子爵を頷かせるのは容易でした」
「そのために契約金の10万ベリを出したのですか」
「正確には16万ベリです。それと鉱山の権利書もつけておきました」
「っひ、何でそこまで」

 契約金が増えていたことにヴィヴィアは驚いた。

「だって、あそこで黙らせて契約させないと後から色々と言ってきそうだったので。あ、契約を破れば10万ベリは絶対に返すようにという条件を出してサインさせました。鉱山の利権も喪失すると」

 その契約内容は結婚後にヴィヴィアに関わらないこと。

 そのおかげでヴィヴィアは実家から隔離されて、ようやく自分が搾取されていたこと洗脳されていたことを認識できるようになった。

「わかりません。どうしてそんなに私の為に頑張ってくださったのですか」
「あなたのことが好きだからです」

 さらっと出た言葉。
 もしかするとと思った言葉にヴィヴィアは心臓の高鳴りを覚えた。

 真向いに座っていたはずのクリスは腰をあげてヴィヴィアの方へ近づく。
 ヴィヴィアの顔の横に手を添えてヴィヴィアがよそを向かないようにさせた。

「でも、あなたは……別の女性と恋に落ちる」

 ヒロインと恋をして、真実の愛を手に入れる。

「私があなた以外の女と? それはありえません。仮にあったとすれば」

 クリスは眉根をひそめてひどく冷淡な声を発した。

「嫌な悪夢だ」

 その心から湧き出た声に思わずゾクリとした。
 ヴィヴィアが怯えていることに気づいてクリスはすぐに表情を取り戻した。

「ヴィヴィア、私はあなたのことが好きです。愛しています」

 今までヴィヴィアが聞くのを逃れていた言葉がすらすらと出てくる。
 その言葉ひとつひとつがずしりと重たく感じられる。

「あなたは私を良くは思ってないでしょうね。最悪な結婚でしたし」
「私は、その……」

 ヴィヴィアはどうしようと内心考えた。

 でも、ここまで来たら逃げ場はないのだろう。
 許されることであれば言いたい。

「私も、あなたのことが好きです。私を救ってくれた大事な人……クリス様」
「様は不要です」
「ク、クリス」

 ヴィヴィアは緊張しながら顔を真っ赤にして彼の名を呼んだ。

 小説のシナリオ通りに行けば自分は退場しなければならない。
 それでも、自分の感情を隠すことはできない。
 クリスが自分を好きだと言ってくれているのにそれに応えないのは後悔するように思えた。

 お互い顔を見合わせる。
 クリスはヴィヴィアの頬に触れて、キスをした。頬に触れた唇の感触がこそばゆくてヴィヴィアはふふっと笑う。

 それを聞いてクリスはほほ笑み、ヴィヴィアの唇を指で撫でた。

 彼の顔が近づいてきて、ヴィヴィアはそっと自分の瞼を閉ざした。

 その後の感触、クリスのぬくもりを忘れたくない。

 (第一部 終)