捨てられた悪役はきっと幸せになる

 にがい……。

 朝食のお肉を口にしたヴィヴィアはぎょっとした。

 お肉の脂身もなんか多いし、この味付けが濃すぎない?

 ヴィヴィアはちらりとクリスの目の前の皿の方をみた。彼は特に気にする様子もなく肉を切って口に入れている。

 これが王都の味付けなのだろうか。

 そんな訳がない。
 ヴィヴィア自身王都の料理には触れている。
 一応、曲がりにも令嬢として社交界に顔を出した身であり王族のパーティーの料理を口にしたことがある。

 多少味付けの好みがあろうとこれはかけすぎだった。

 しかもこれは……。

 ヴィヴィアは問題の調味料が何かをすぐに察した。
 魔術を使う程でもない。

 ナツメグ。

 肉料理に利用されている香辛料である。
 ニクズクの種子から作られる肉の臭み消しや料理に深みを与える隠し味としても利用されている。

 ただ肉にかけられた量があまりに多すぎる。
 一緒に出されている塩漬け加工肉のスープにもナツメグが入っていた。大量に。

 こんなものを全部摂取したら中毒になってしまう。

 ナツメグは大量摂取してしまうと中毒になってしまう。
 交感神経系に作用して幻覚、興奮、めまい、吐き気を引き起こしてしまう。
 最悪呼吸抑制も引き起こし死ぬことだってあるのだ。

「ヴィヴィア、食欲がないのですか?」

 ヴィヴィアの食事が減る様子がなく、クリスが声をかけた。

「ええ、まぁ」

 この事態をどうしたものかと悩み、ヴィヴィアは適当に相槌を打った。

「……こちらのパンはどうですか?」

 クリスは自分の皿に置かれていたパンを差し出した。

 ヴィヴィアの皿にも同じパンが置かれているから別にいいのにと思いながらもヴィヴィアはそのパンを受け取る。
 焼きたてのまだ温かいパン、ちぎってみると柔らかい。

 口に入れて「美味しい」と思わず言った。
 ヴィヴィアの反応を喜んだクリスはまだ手に付けていなかった食パンを取り出し、そこに一切れの肉、サラダ類をのせて挟み込む。

「これなどもどうでしょう」
「そんな……私の分がありますので大丈夫です」
「この食べ方がおすすめで食べて欲しいのです」

 ヴィヴィアの遠慮を気にせず、クリスは即席で作ったサンドウィッチをヴィヴィアに持たせた。

 はむっと口にするととろけるお肉としゃきしゃきの葉物野菜、それらを挟んだパンがうまくマッチしていた。
 余程美味しいのか、ヴィヴィアの目が輝いた。

「よかった。食欲はあるようですね」

 ヴィヴィアははっと我に返った。
 そういえば、クリスの肉は特に問題ない。ナツメグは適量であった。

 それなら入れすぎた。わざと?

 そう思うとヴィヴィアはどうしてだろうと首を傾げた。
 それよりも今目の前にいるクリスにお礼を言おう。

「私の為に配慮してくださりありがとうございます」
「ヴィヴィアにはしっかり食べてもらわなければいけません。この後は、ダンスの練習をしなければならないので」
「ダンス??」

 ヴィヴィアは首を傾げた。

「私と一緒に星河祭のパーティーへ参加するのですよ。私自身、久々のダンスなので、練習に付き合っていただきたい」

 そうだった。
 パーティーなら、クリスとダンスをする必要がある。
 夫婦だからダンスしていなかったら何かと噂されるかもしれない。

 でも、クリスはベザリーとダンスするのではないかしら。

 小説内ではデビュタント参加したベザリーがクリスを見かけて、パートナーをしてくれた騎士が気をきかせてクリスへの挨拶へ連れて行ってくれるのだ。デビュタントと聞いたクリスは一曲ベザリーと踊る。

「きっと閣下と踊りたい令嬢はたくさんいるでしょう」
「私が踊りたいのはヴィヴィアとだけですよ」

 突然何を言い出すのだとヴィヴィアは顔を真っ赤にした。

 き、きっとベザリーとまだ親密になっていないからそう言っているのだ。

 ヴィヴィアはそう自分に言い聞かせた。

 小説の軌道の為に何としてもクリスを星河祭のパーティーに連れて行かなければ。

 ◆◆◆

 厨房でメイドたちは愚痴をこぼしながら皿洗いをしていた。

「ちょっと奥様ってば肉料理にほとんど手を付けていないじゃないの」
「それどころか旦那様の手を煩わせて……いい大人が子供のように」

 ヴィヴィアに過剰なナツメグを食べさせようとしたメイドたちは苛立って毒を吐き続けていた。

 あまりにお喋りに夢中になっていて厨房に入ってくる存在に気づくこともなかった。

「これが公爵家のメイドなの。残念だわ」

 その言葉を聞いてメイドたちは悲鳴をあげた。

「お、奥様っ……どうしてこのような場所に」

 ヴィヴィアはにこりとほほ笑んだ。

 傍にはヴィヴィアのメイドのケイト、そして王都の公爵家メイドたちを采配しているメイド長である。
 白髪の女性は呆れたように厨房でお喋りをしていたメイドたちを睨んでいた。
 そして恐縮している厨房の料理人。主人の料理を担当する料理長であった。

「あなたたち。暇を出すことにしました」

 ヴィヴィアの言葉にあたりは騒然となる。

「そんなっ! 突然何でそんなことを」
「あなたたちが私の肉料理に大量のナツメグを入れていたことは知っています。料理長が見ておりました」

 料理長はぺこりと頭を下げる。

「恐れながら奥様、ナツメグは肉のくさみを消しまろやかさを与える調味料で」
「それくらい私でも知っているわ」

 同時に、ナツメグを過剰に摂取するとどうなるかも。

「ナツメグをあのように大量に投入してどういうつもりなの。厨房に勤める者であればナツメグの適量を知っているでしょう」
「恐れながらあれが当家の適量で」
「閣下の肉料理を食べたけど明らかに量が違いました」

 ヴィヴィアの言葉にメイドはギリッと歯ぎしりをした。
 ここまで言っても反省することもないのであれば解雇も仕方ないことだ。

「いくら私のことが気に入らない女主人でもあなたたちのしたことは度が過ぎています。せいぜいお腹を壊せばいいものだと思っていたのかもしれませんが、へたすると死ぬこともあります」
「そんな大げさな……」

 へらへらと笑うメイドにヴィヴィアはケイトに料理を持って来させた。

 それはヴィヴィアが食べ残した肉料理である。

「これが適量だというのであれば今ここで食べてごらんなさい」

 その言葉にメイドたちはお互いの顔を見合わせ、肉料理の方をみた。見た目でもわかるほどナツメグが振りかけられたそれは明らかに苦々しかった。食べられるような代物ではない。

「ちなみにナツメグの過剰摂取をした場合、吐き気、めまい、頻脈が出てたいへん苦しい思いをします。幻覚に、混乱状態に陥り、最悪な事態では呼吸困難を引き起こし死ぬこともあります」

 しっかりと怖い情報を教える。

「さぁ、食べなさい。私が食べても大丈夫ならあなたたちも食べられるものでしょう? そうね。一人分の量だからあなたたちの中の誰でもいいわ。一人で食べるのよ。食べても平気なら暇を取り消して頭を下げて謝罪するわ」

 ヴィヴィアの言葉にメイドたちが一斉に一人をみた。
 肉料理に大量のナツメグを投入した張本人であった。

 あなたがしでかしたことよ。責任とってよ。

 メイドたちの冷たい視線にさらされ震えながらも肉料理に手を出す。

「……うぅ」

 一口食べて香辛料の強さを感じ取れる。それでも食べられなくはないし、何よりも良い肉なので美味しい。
 二口目を口にしてあまりの美味さに頬がとろけそうだった。

 あんなのただの脅しよ。
 私が聞いた話では酷い嘔吐と腹痛になる程度で、数日でよくなったというわ。
 何の問題もなければ暇は取り消し、それどころか生意気な夫人に頭を下げて謝罪させられる。
 どうせなら土下座を求めちゃおうかしら。

 上機嫌に完食後のことを想像して胸が高まった。
 ヴィヴィアは静かにメイドの方を見つめた。特に動揺する様子もない。
 その視線が妙に落ち着かない。

 絶対その鼻を明かしてやる。
 後で盛大に笑い話にしてやる。
 街中で噂にしてやる。

 何度も考えているうちにヴィヴィアの先ほどの言葉が頭の中を響く。


『最悪な事態では呼吸困難を引き起こし死ぬことがあります』


 その言葉が何度も頭の中にまとわりつく。
 三口目を食べようとしたが、急に手が震え始めた。

 妙に心臓の音が早く感じられる。心なしかめまいが出てきた。

「あ、嘘……いや」

 この程度の量で症状が出るなどありえない。

 最悪死ぬことがある。

 その言葉が頭に張り付いていく。ヴィヴィアの声が次第に変化していって男の声で繰り返される。

「いや、いやぁっ!!」

 首を横に振って恐怖に顔をゆがめるメイドに周りは何事かと声をかけた。

 肉料理を食べていたメイドはその声が届いていないようで何度も頭を掻きむしっていた。