王都にあるゴーヴァン公爵家の館にも、大勢の使用人たちが働いていた。
領地内のモーガンの屋敷の方が広いが、王都内の他の貴族とは比べようもないほどの広大な敷地に館を構えていた。
朝の支度のひとつとしてメイドたちは厨房で料理人たちの作り出した食事をお皿に盛りつける作業をしていた。
手を動かしつつも、メイドたちはお喋りに夢中になっており、それがどんどん声が大きくなっていく。
「ねぇ、昨日のお出迎えで奥様をご覧になった?」
ヴィヴィアが館へ到着したときに挨拶の為に参列していたメイドに声をかける。
「ええ、すっごい赤髪でびっくりしたわ。あの赤髪で染めない貴婦人がいるなんて」
赤髪はあまり好まれる色ではない。
貴族に好まれるのは金髪であった。
クリスやシシリアのような。
この国の貴族で赤髪の女性はいない。
高い染料で金色や好みの色の髪に変えて外出することが多かった。
赤い髪の女性は染料を買うことができない平民や身分の低いものたち。
卑しい女性の象徴とさえ言われていた。
だから赤髪を染めずにそのままで王都へやってきたヴィヴィアの姿にメイドは内心呆れた。
「顔立ちはどうでした? 美人? 赤髪をそのままにするということは随分と自分の顔に自信があるのでしょう?」
あけすけな質問に誰も失礼などとは言わない。
むしろヴィヴィアの容姿や評判に興味を示していた。
「うーん、普通だった。やっぱりモカ令嬢の愛らしさを見たらぱっとしないわ」
だよねーと他のメイドが騒ぐ。
モカ令嬢というのはベザリー・モカのことだ。
ゴーヴァン公爵家の奨学生としてカリバー学園に通う令嬢。
ゴーヴァン公爵家へ挨拶の為に何度か訪問しており、その際に下働きのメイドたちと良いお喋り仲間になり顔なじみになっていた。
「モカ令嬢の方が美しくて明るくて……一緒にいるだけでぱぁっと華やかな気持ちになれるの。彼女が持ってきてくれる手作りの薔薇のクッキーも、お茶も香水も素敵なもので化粧水もこんなに肌つやがよくなったのよ」
ベザリーは自分で手作りした品物をお土産にとメイドたちに手渡していた。
良い香りの薔薇のクッキー、薔薇のジャム、紅茶に化粧水とどれをとっても売り物になるほどの上質なものでメイドたちはそれに酔いしれていた。
王都の洒落た令嬢の仲間入りを果たしたような高揚した気分にさせてくれる。
こんな素敵なものを作り、配ってくれるベザリーは何と素晴らしい令嬢かと称賛するメイドは多い。
「モカ令嬢に比べて奥様は刺々しい印象で見ていてなんだかなぁって」
「仮にも女主人よ。そんなことを言ったら失礼よ」
「あら、あなただって同じことを思っているのでしょ」
ふふっとメイドたちは笑った。否定する気はないようだ。
「あーあ、奥様ってば意地悪よね。もうデビュタントを終わらせているのでしょう。なのに、星河祭に豪華なドレスを準備しちゃっていやらしいわ」
「モカ令嬢のデビュタントなのにねぇ。もしかしたらモカ令嬢と旦那様がファーストダンスをしちゃうかもしれないとわくわくしていたのに」
「ねぇ、それって『素敵な紳士様』の一説でしょ。私、あの小説大好き!」
若い女性向けの大衆文学のタイトルがでる。
貴族令嬢でありながら身寄りのない不遇な令嬢は、ある日素敵な紳士に見初められて学業の支援を受ける。デビュタントを迎えるがパートナーがおらずぽつんとしているところに紳士が手を差し伸べる。一曲踊ろうと。
メイドたちが言っているのはそのワンシーンであった。
ベザリーは『素敵な紳士さま』の主人公の令嬢で、クリスはその相手の紳士さまだと当てはめて心をときめかせているのだ。
厨房の扉が開いて、そこからモリス秘書官が現れた。
「あなたたち、お喋りをせずに仕事をしなさい」
厨房の外、廊下まで響いていることをさすがに通りがかりのモリス秘書官が注意をした。
「旦那様の大事な朝食の準備にお喋りをして……唾など入るので用心しなさい」
確かにその通りであるとメイドたちは反省した。
「ごめんなさーい」
モリス秘書官が立ち去った後に、先ほどよりも小さな声でひそひそと囁いた。
「モリス秘書官ったらピリピリしているわ」
「仕方ないわ。モカ令嬢のことをとても気に入っていたもの。モカ令嬢が来ていた時に、モリス秘書官が『あなたが公爵夫人だったらどんなにいいか』と言っていたの私は聞きましたわ」
女主人のヴィヴィアがいるというのに何という不敬な言動かと思うが、メイドたちはむしろモリス秘書官に賛同していた。
「やっぱりねぇ……」
「奥様が勝手に思い付きでいろんなところ飛び回って、それで後処理に奔走しているのでしょう? お気の毒……モカ令嬢なら絶対そのような苦労はさせないのに」
小さな声の中に潜んでいる毒気は少しずつ広まっていた。
一人が厨房の中にある調味料の瓶を手に取った。
「いっそ、奥様は星河祭に参加できないようにしたらどうかしら?」
メイドはくすっと笑った。
「まさか毒を盛るの? そうするとさすがにやばいわよ」
「違うわよ。知り合いから聞いたんだけどね、この調味料を大量に摂取すると下痢症を引き起こすの。これを奥様が食べるお肉に大量に盛りましょう。何か言われてもこれが当家の味付けですと言えばいいのよ」
いい案だろうという言葉にメイドたちは笑いながらヴィヴィアの食べる予定の肉料理に大量の調味料をかけた。
◆◆◆
モリス秘書官が廊下を歩いているとメイドと一緒に歩いている夫人をみかけた。
「モリス秘書官、おはようございます」
ヴィヴィアは軽くドレスの裾をあげて朝の挨拶をした。
モリス秘書官は軽く会釈をする。
「ここ最近変わったことはありませんか?」
「そうですね。奥様が来られた為、色々とスケジュールを整理しているところです」
ずきりと痛む。
確かに、急に来てクリスのスケジュールが変わってしまったことだろう。
「星河祭のパーティーに参加したい」とクリスにお願いしたのも急すぎただろう。
だって、あのまま私が参加すると言わないと本当に星河祭の間はイベント放って私とモーガンで過ごそうという勢いだったもの。
クリスからの贈り物攻撃と手紙攻撃の日々を思い出す。
一番振り回されているのは彼なのかもしれない。
それにしても雰囲気が随分と変わったように思える。
以前はもう少し柔らかい雰囲気の青年だったようにみえるが、自分のことを敵視しているようにもみえる。
忙しさのあまり余裕がないのかもしれない。
ヴィヴィアがロズモンド孤児院を無理に訪問して、色々とロズモンド男爵の悪事を暴いてしまったせいでクリスが急遽助けに入ることとなった。
その間に代理の仕事をまわすことはかなりの苦労だっただろう。
思えば、クリスとベザリーの大事な出来事、学園内の事件にクリスは不在だった。
二人の関係が近づく大事なイベントだったのに。
代わりに対応していたのはモリス秘書官と聞いている。
学園内にいる騎士見習いの手配も彼がしたそうだ。
おかげでベザリーのパートナーはガエリエ卿になった。ガエリエ卿が彼女をクリスの元へ挨拶に連れて行きダンスをするという流れであり、何とか小説の軌道に戻ろうとしているように思えた。
「そういえば、閣下は奨学生の世話をしておりましたね。今年の奨学生はどのような方なのでしょうか?」
話題作りのために奨学生のことをそれとなく聞いてみた。
同時にベザリーの現状が気になったから。
「今年の新奨学生のモカ令嬢はたいへん優秀な生徒です。気立てがよく、正義感もあり、度胸もあり……その上で優れた治癒魔術の使い手です」
モリス秘書官は急に饒舌に語り始めた。
随分と彼女のことを気に入っている様子だった。
「きっと公爵家の為になる人材です。公爵様にはなくてはならない存在になるでしょう」
最後の言葉にヴィヴィアは胸が疼くのを感じた。
まるでベザリーこそクリスの伴侶にふさわしいと言われているようだ。
小説のことが気になりすぎて、モリス秘書官の言葉に過敏になってしまった。
「そうね。楽しみだわ」
頬がひきつりながらも何とか笑顔を作っていく。
モリス秘書官は礼をして離れていった。
その後ろ姿をケイトは一瞥して、ヴィヴィアに声をかけた。
「奥様」
ケイトの言葉でヴィヴィアはぼうっとしていたことに気づき、息を吸って吐いた。
「何でもないわ。行きましょう」
領地内のモーガンの屋敷の方が広いが、王都内の他の貴族とは比べようもないほどの広大な敷地に館を構えていた。
朝の支度のひとつとしてメイドたちは厨房で料理人たちの作り出した食事をお皿に盛りつける作業をしていた。
手を動かしつつも、メイドたちはお喋りに夢中になっており、それがどんどん声が大きくなっていく。
「ねぇ、昨日のお出迎えで奥様をご覧になった?」
ヴィヴィアが館へ到着したときに挨拶の為に参列していたメイドに声をかける。
「ええ、すっごい赤髪でびっくりしたわ。あの赤髪で染めない貴婦人がいるなんて」
赤髪はあまり好まれる色ではない。
貴族に好まれるのは金髪であった。
クリスやシシリアのような。
この国の貴族で赤髪の女性はいない。
高い染料で金色や好みの色の髪に変えて外出することが多かった。
赤い髪の女性は染料を買うことができない平民や身分の低いものたち。
卑しい女性の象徴とさえ言われていた。
だから赤髪を染めずにそのままで王都へやってきたヴィヴィアの姿にメイドは内心呆れた。
「顔立ちはどうでした? 美人? 赤髪をそのままにするということは随分と自分の顔に自信があるのでしょう?」
あけすけな質問に誰も失礼などとは言わない。
むしろヴィヴィアの容姿や評判に興味を示していた。
「うーん、普通だった。やっぱりモカ令嬢の愛らしさを見たらぱっとしないわ」
だよねーと他のメイドが騒ぐ。
モカ令嬢というのはベザリー・モカのことだ。
ゴーヴァン公爵家の奨学生としてカリバー学園に通う令嬢。
ゴーヴァン公爵家へ挨拶の為に何度か訪問しており、その際に下働きのメイドたちと良いお喋り仲間になり顔なじみになっていた。
「モカ令嬢の方が美しくて明るくて……一緒にいるだけでぱぁっと華やかな気持ちになれるの。彼女が持ってきてくれる手作りの薔薇のクッキーも、お茶も香水も素敵なもので化粧水もこんなに肌つやがよくなったのよ」
ベザリーは自分で手作りした品物をお土産にとメイドたちに手渡していた。
良い香りの薔薇のクッキー、薔薇のジャム、紅茶に化粧水とどれをとっても売り物になるほどの上質なものでメイドたちはそれに酔いしれていた。
王都の洒落た令嬢の仲間入りを果たしたような高揚した気分にさせてくれる。
こんな素敵なものを作り、配ってくれるベザリーは何と素晴らしい令嬢かと称賛するメイドは多い。
「モカ令嬢に比べて奥様は刺々しい印象で見ていてなんだかなぁって」
「仮にも女主人よ。そんなことを言ったら失礼よ」
「あら、あなただって同じことを思っているのでしょ」
ふふっとメイドたちは笑った。否定する気はないようだ。
「あーあ、奥様ってば意地悪よね。もうデビュタントを終わらせているのでしょう。なのに、星河祭に豪華なドレスを準備しちゃっていやらしいわ」
「モカ令嬢のデビュタントなのにねぇ。もしかしたらモカ令嬢と旦那様がファーストダンスをしちゃうかもしれないとわくわくしていたのに」
「ねぇ、それって『素敵な紳士様』の一説でしょ。私、あの小説大好き!」
若い女性向けの大衆文学のタイトルがでる。
貴族令嬢でありながら身寄りのない不遇な令嬢は、ある日素敵な紳士に見初められて学業の支援を受ける。デビュタントを迎えるがパートナーがおらずぽつんとしているところに紳士が手を差し伸べる。一曲踊ろうと。
メイドたちが言っているのはそのワンシーンであった。
ベザリーは『素敵な紳士さま』の主人公の令嬢で、クリスはその相手の紳士さまだと当てはめて心をときめかせているのだ。
厨房の扉が開いて、そこからモリス秘書官が現れた。
「あなたたち、お喋りをせずに仕事をしなさい」
厨房の外、廊下まで響いていることをさすがに通りがかりのモリス秘書官が注意をした。
「旦那様の大事な朝食の準備にお喋りをして……唾など入るので用心しなさい」
確かにその通りであるとメイドたちは反省した。
「ごめんなさーい」
モリス秘書官が立ち去った後に、先ほどよりも小さな声でひそひそと囁いた。
「モリス秘書官ったらピリピリしているわ」
「仕方ないわ。モカ令嬢のことをとても気に入っていたもの。モカ令嬢が来ていた時に、モリス秘書官が『あなたが公爵夫人だったらどんなにいいか』と言っていたの私は聞きましたわ」
女主人のヴィヴィアがいるというのに何という不敬な言動かと思うが、メイドたちはむしろモリス秘書官に賛同していた。
「やっぱりねぇ……」
「奥様が勝手に思い付きでいろんなところ飛び回って、それで後処理に奔走しているのでしょう? お気の毒……モカ令嬢なら絶対そのような苦労はさせないのに」
小さな声の中に潜んでいる毒気は少しずつ広まっていた。
一人が厨房の中にある調味料の瓶を手に取った。
「いっそ、奥様は星河祭に参加できないようにしたらどうかしら?」
メイドはくすっと笑った。
「まさか毒を盛るの? そうするとさすがにやばいわよ」
「違うわよ。知り合いから聞いたんだけどね、この調味料を大量に摂取すると下痢症を引き起こすの。これを奥様が食べるお肉に大量に盛りましょう。何か言われてもこれが当家の味付けですと言えばいいのよ」
いい案だろうという言葉にメイドたちは笑いながらヴィヴィアの食べる予定の肉料理に大量の調味料をかけた。
◆◆◆
モリス秘書官が廊下を歩いているとメイドと一緒に歩いている夫人をみかけた。
「モリス秘書官、おはようございます」
ヴィヴィアは軽くドレスの裾をあげて朝の挨拶をした。
モリス秘書官は軽く会釈をする。
「ここ最近変わったことはありませんか?」
「そうですね。奥様が来られた為、色々とスケジュールを整理しているところです」
ずきりと痛む。
確かに、急に来てクリスのスケジュールが変わってしまったことだろう。
「星河祭のパーティーに参加したい」とクリスにお願いしたのも急すぎただろう。
だって、あのまま私が参加すると言わないと本当に星河祭の間はイベント放って私とモーガンで過ごそうという勢いだったもの。
クリスからの贈り物攻撃と手紙攻撃の日々を思い出す。
一番振り回されているのは彼なのかもしれない。
それにしても雰囲気が随分と変わったように思える。
以前はもう少し柔らかい雰囲気の青年だったようにみえるが、自分のことを敵視しているようにもみえる。
忙しさのあまり余裕がないのかもしれない。
ヴィヴィアがロズモンド孤児院を無理に訪問して、色々とロズモンド男爵の悪事を暴いてしまったせいでクリスが急遽助けに入ることとなった。
その間に代理の仕事をまわすことはかなりの苦労だっただろう。
思えば、クリスとベザリーの大事な出来事、学園内の事件にクリスは不在だった。
二人の関係が近づく大事なイベントだったのに。
代わりに対応していたのはモリス秘書官と聞いている。
学園内にいる騎士見習いの手配も彼がしたそうだ。
おかげでベザリーのパートナーはガエリエ卿になった。ガエリエ卿が彼女をクリスの元へ挨拶に連れて行きダンスをするという流れであり、何とか小説の軌道に戻ろうとしているように思えた。
「そういえば、閣下は奨学生の世話をしておりましたね。今年の奨学生はどのような方なのでしょうか?」
話題作りのために奨学生のことをそれとなく聞いてみた。
同時にベザリーの現状が気になったから。
「今年の新奨学生のモカ令嬢はたいへん優秀な生徒です。気立てがよく、正義感もあり、度胸もあり……その上で優れた治癒魔術の使い手です」
モリス秘書官は急に饒舌に語り始めた。
随分と彼女のことを気に入っている様子だった。
「きっと公爵家の為になる人材です。公爵様にはなくてはならない存在になるでしょう」
最後の言葉にヴィヴィアは胸が疼くのを感じた。
まるでベザリーこそクリスの伴侶にふさわしいと言われているようだ。
小説のことが気になりすぎて、モリス秘書官の言葉に過敏になってしまった。
「そうね。楽しみだわ」
頬がひきつりながらも何とか笑顔を作っていく。
モリス秘書官は礼をして離れていった。
その後ろ姿をケイトは一瞥して、ヴィヴィアに声をかけた。
「奥様」
ケイトの言葉でヴィヴィアはぼうっとしていたことに気づき、息を吸って吐いた。
「何でもないわ。行きましょう」
