「ヴィヴィア、私に用があって来たのですよね」
「あ、はい」
ヴィヴィアは自分がここへ来た理由を思い出した。
「お礼を言いたくて」
「お礼?」
「シエルとノエルのことです。閣下より高待遇で屋敷へ招き入れてくださり、ノエルの医者の件も感謝しております」
クリスは目を細めて笑った。
「お礼など、当然のことをしたまでです。あの2人はあなたのおかげで助かったのですよ。能力者を2人も失うところでした」
「能力者?」
「2人は能力者です。シエルは雨魔術、ノエルは土魔術を持っていました」
この国では能力を持って生まれる者たちがいる。
それを魔術として運用する能力である。
自分に特化した能力であれば生きていくうちに必要に迫られて使用できるようになるが、知らないまま生きていくものもいる。
7歳になれば鑑定を受けることができる。
昔は国を豊かにするための指導者になっていくため、能力者は貴族に多かった。時々、庶民の間でも能力者が生まれることがある。
シエルとノエルがそのパターンだろう。
「もう少し療養をさせてから教育施設を考えていました。2人とも君の役に立ちたいと言ってきたので、屋敷内で体力をつけながら教育を受けるのも悪くはないだろう。シエルは時々ヴィクター卿に任せようと思います」
「ヴィクター卿?」
「彼は騎士を目指したいようですが、栄養状態がよくなるまでは従僕見習いでいてもらいます。体力作りも必要ですし、剣の基礎的なことはヴィクター卿に指導を受けてもらいます。属性の相性がいいみたいだから魔術の使い方も確認してもらおうかと」
なるほど。
以前、見た彼は人の面倒を見られるのか怪しい部分があった。
だが、クリスの言っていることももっともだと感じられる。
彼がここまで考えてくれるとは思わなかった。
クリスがわざわざ言うということは優れた能力なのだろう。
公爵家にはお抱えの能力鑑定士もいるというから既に鑑定済みだろう。
ヴィヴィアは毒魔術がばれたくないから彼に会うのは避けているのだが。
「すごいですね。私は無能力者ですから羨ましいです」
毒魔術以外の能力だったらまだ違ったのかもしれない。
少なくとも無能力者の烙印は押されずにすんだだろう。
毒魔術がばれてしまった後の周りの視線が怖い。
鑑定を受ける7歳までは髪色のことがあっても父母からは最低限の相手をしてもらっていた。
一変したのは鑑定を受けてから。
7歳の時まで自分の能力は治癒魔術だと思い込んでいた。
毒魔術の解毒が治癒のように見えたからだ。
金髪を好み赤髪を厭う家門に生まれたヴィヴィアにはそれだけが頼りだった。
それなのに毒魔術だとわかった時の父母の落胆、諦め、嫌悪の眼差しは今も忘れられない。
鑑定士を買収して無能力者の烙印を押されて、実家の使用人からも冷遇される日々。
それに、小説内でヴィヴィアの有罪判決の材料になっていたのは毒魔術と周囲に知られたこともある。
その時の裁判の傍聴席から向けられた罵詈雑言、冷ややかな眼差しの中、ヴィヴィアは恐怖を覚えたと書かれていた。
ばれない方がいい。
ばれないで。
そっと頬に触れる手の感触に、ヴィヴィアは視線をクリスの方へ向けた。
心配そうにヴィヴィアを覗き込んでいる。
「あなたはいつも何かに怯えていますね」
的確な言葉。
ヴィヴィアのどこまでを見透かしているのだろうか。
「私が怖いですか?」
何故わかるのだろうか。
ヴィヴィアが恐れていることを。
小説でヴィヴィアを破滅に導いた一因はクリスにある。
クリスがヴィヴィアを妻にしなければ。
いつまでも冷遇して期待など抱かせなければ。
ベザリーと恋に落ちなければ。
ヴィヴィアの末路はあんなに悲惨なものではなかっただろう。
あんな末路は迎えたくない。
「ここではあなたは安らげないですか?」
何故こんな風に言うのだろう。
「わかっています。それでも、私はあなたを……」
それ以上は言わないで欲しい。
聞いてしまったら堪えられなくなる。
「ごめんなさい。体調が悪くて」
彼の言葉を遮り、ヴィヴィアは申し訳なさそうに微笑んだ。
「部屋まで送りましょう」
「大丈夫ですよ。すぐ近くにケイトが控えていますので」
ヴィヴィアは差し障りないことを言って執務室を飛び出した。
廊下を早走りしてできる限りクリスから離れたい。
「違う、違う」
何度も口にしているうちに、急に気分が悪くなり壁際にもたれかかった。
頭がすーっとして気が遠くなりそうだ。
身体が重苦しく感じる。
「奥様、どうされましたか!」
通りがかりのメイドがヴィヴィアに声をかけた。
どうすればいいか悩み、とにかく人を呼ぼうとした。
「旦那様!」
よりによって今遠ざかりたい相手を呼ぶなどやめてほしい。
大丈夫だから、呼ばないで。
そう口にしたくてもメイドはピューッと走り去っていった。
立ち上がらなければと思うが思うように動けない。
「ヴィヴィア!」
クリスの声がした。
安心させるために立たないといけない。
なのにどうして彼が来てくれるとこんなに嬉しいのだろうか。
触れてくるクリスの手はあたたかくて心地よかった。
◆◆◆
「一体何があった? 何の病気か」
クリスは険しい表情で医者に詰め寄った。
助手はおろおろと周りをみるが、ケイトは表情を崩さずにヴィヴィアの看護にあたっていた。
「旦那様、言いにくいのですが月の障りの前症状です」
その言葉を聞いてクリスはちらっとヴィヴィアを見つめた。
すやすやと寝息を立てて眠っている。
代わりに答えたのはケイトだった。
「そうですね。今月はもうそろそろかなと気を配っていましたが」
医者の意見とケイトの脳内スケジュールが合致していた。
クリスは顔を赤くした。
「とはいえ、最近はストレスを抱えていたようです。まずはゆっくり休んでいただきましょう」
月経痛の薬の残薬を確認して医者たちは部屋を出た。
「旦那様、あとは私が見ますので別室でお休みになってください」
「いや、私もここにいる。必要な時は部屋の外で待機するし」
そもそもここはヴィヴィアとクリスの寝室である。クリスの寝床は執務室の奥の小部屋にあるが、別々で過ごすのもおかしなことだろう。
「月の障りで心理的な不調を起こしやすい方もいます。旦那様がそこでじっとしていても奥様は休めません」
邪魔と言わんばかりのケイトの態度にクリスはじとっと睨む。
しかしケイトは後退しない。
彼女の主人はヴィヴィアでありクリスではない。
本来は不遜だと主人は怒るだろうが、クリスはそんな気は起こさない。
クリスもそんなケイトを見越してヴィヴィア付きに任じたのである。
ケイトは絶対にヴィヴィアを裏切らない。
その信頼があった。
「それに明日は王都へ向かわれるのでしょう。休まれてはいかがです?」
「王都へは行かない」
キャンセルだ。
妻が体調を崩しているのなら屋敷にとどまる。ここでも仕事はできないこともない。
「奥様が負担に感じますよ。旦那様がノートンへ行った時も、旦那様に迷惑をかけたとしばらくうじうじされていましたので。王都へ行くのもキャンセルしたとなるとますます奥様は気に病みます」
そう言われるとクリスは何も言えない。
だが、ヴィヴィアが負担に感じているのは事実だろう。
クリスは渋々部屋の扉へと向かった。
「ケイト、ヴィヴィアを頼んだ」
クリスが立ち去った後、しばらくしてヴィヴィアはくすんくすんと泣き出した。
悪夢にうなされているのだろう。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
ただそれだけをいう。
「ごめんなさい」
ケイトはヴィヴィアの頭を撫でた。
「大丈夫です。ここでは奥様を傷つける者はいません。私が許しません」
いつもの淡々とした声、その中にぬくもりを感じられる。
「あ、はい」
ヴィヴィアは自分がここへ来た理由を思い出した。
「お礼を言いたくて」
「お礼?」
「シエルとノエルのことです。閣下より高待遇で屋敷へ招き入れてくださり、ノエルの医者の件も感謝しております」
クリスは目を細めて笑った。
「お礼など、当然のことをしたまでです。あの2人はあなたのおかげで助かったのですよ。能力者を2人も失うところでした」
「能力者?」
「2人は能力者です。シエルは雨魔術、ノエルは土魔術を持っていました」
この国では能力を持って生まれる者たちがいる。
それを魔術として運用する能力である。
自分に特化した能力であれば生きていくうちに必要に迫られて使用できるようになるが、知らないまま生きていくものもいる。
7歳になれば鑑定を受けることができる。
昔は国を豊かにするための指導者になっていくため、能力者は貴族に多かった。時々、庶民の間でも能力者が生まれることがある。
シエルとノエルがそのパターンだろう。
「もう少し療養をさせてから教育施設を考えていました。2人とも君の役に立ちたいと言ってきたので、屋敷内で体力をつけながら教育を受けるのも悪くはないだろう。シエルは時々ヴィクター卿に任せようと思います」
「ヴィクター卿?」
「彼は騎士を目指したいようですが、栄養状態がよくなるまでは従僕見習いでいてもらいます。体力作りも必要ですし、剣の基礎的なことはヴィクター卿に指導を受けてもらいます。属性の相性がいいみたいだから魔術の使い方も確認してもらおうかと」
なるほど。
以前、見た彼は人の面倒を見られるのか怪しい部分があった。
だが、クリスの言っていることももっともだと感じられる。
彼がここまで考えてくれるとは思わなかった。
クリスがわざわざ言うということは優れた能力なのだろう。
公爵家にはお抱えの能力鑑定士もいるというから既に鑑定済みだろう。
ヴィヴィアは毒魔術がばれたくないから彼に会うのは避けているのだが。
「すごいですね。私は無能力者ですから羨ましいです」
毒魔術以外の能力だったらまだ違ったのかもしれない。
少なくとも無能力者の烙印は押されずにすんだだろう。
毒魔術がばれてしまった後の周りの視線が怖い。
鑑定を受ける7歳までは髪色のことがあっても父母からは最低限の相手をしてもらっていた。
一変したのは鑑定を受けてから。
7歳の時まで自分の能力は治癒魔術だと思い込んでいた。
毒魔術の解毒が治癒のように見えたからだ。
金髪を好み赤髪を厭う家門に生まれたヴィヴィアにはそれだけが頼りだった。
それなのに毒魔術だとわかった時の父母の落胆、諦め、嫌悪の眼差しは今も忘れられない。
鑑定士を買収して無能力者の烙印を押されて、実家の使用人からも冷遇される日々。
それに、小説内でヴィヴィアの有罪判決の材料になっていたのは毒魔術と周囲に知られたこともある。
その時の裁判の傍聴席から向けられた罵詈雑言、冷ややかな眼差しの中、ヴィヴィアは恐怖を覚えたと書かれていた。
ばれない方がいい。
ばれないで。
そっと頬に触れる手の感触に、ヴィヴィアは視線をクリスの方へ向けた。
心配そうにヴィヴィアを覗き込んでいる。
「あなたはいつも何かに怯えていますね」
的確な言葉。
ヴィヴィアのどこまでを見透かしているのだろうか。
「私が怖いですか?」
何故わかるのだろうか。
ヴィヴィアが恐れていることを。
小説でヴィヴィアを破滅に導いた一因はクリスにある。
クリスがヴィヴィアを妻にしなければ。
いつまでも冷遇して期待など抱かせなければ。
ベザリーと恋に落ちなければ。
ヴィヴィアの末路はあんなに悲惨なものではなかっただろう。
あんな末路は迎えたくない。
「ここではあなたは安らげないですか?」
何故こんな風に言うのだろう。
「わかっています。それでも、私はあなたを……」
それ以上は言わないで欲しい。
聞いてしまったら堪えられなくなる。
「ごめんなさい。体調が悪くて」
彼の言葉を遮り、ヴィヴィアは申し訳なさそうに微笑んだ。
「部屋まで送りましょう」
「大丈夫ですよ。すぐ近くにケイトが控えていますので」
ヴィヴィアは差し障りないことを言って執務室を飛び出した。
廊下を早走りしてできる限りクリスから離れたい。
「違う、違う」
何度も口にしているうちに、急に気分が悪くなり壁際にもたれかかった。
頭がすーっとして気が遠くなりそうだ。
身体が重苦しく感じる。
「奥様、どうされましたか!」
通りがかりのメイドがヴィヴィアに声をかけた。
どうすればいいか悩み、とにかく人を呼ぼうとした。
「旦那様!」
よりによって今遠ざかりたい相手を呼ぶなどやめてほしい。
大丈夫だから、呼ばないで。
そう口にしたくてもメイドはピューッと走り去っていった。
立ち上がらなければと思うが思うように動けない。
「ヴィヴィア!」
クリスの声がした。
安心させるために立たないといけない。
なのにどうして彼が来てくれるとこんなに嬉しいのだろうか。
触れてくるクリスの手はあたたかくて心地よかった。
◆◆◆
「一体何があった? 何の病気か」
クリスは険しい表情で医者に詰め寄った。
助手はおろおろと周りをみるが、ケイトは表情を崩さずにヴィヴィアの看護にあたっていた。
「旦那様、言いにくいのですが月の障りの前症状です」
その言葉を聞いてクリスはちらっとヴィヴィアを見つめた。
すやすやと寝息を立てて眠っている。
代わりに答えたのはケイトだった。
「そうですね。今月はもうそろそろかなと気を配っていましたが」
医者の意見とケイトの脳内スケジュールが合致していた。
クリスは顔を赤くした。
「とはいえ、最近はストレスを抱えていたようです。まずはゆっくり休んでいただきましょう」
月経痛の薬の残薬を確認して医者たちは部屋を出た。
「旦那様、あとは私が見ますので別室でお休みになってください」
「いや、私もここにいる。必要な時は部屋の外で待機するし」
そもそもここはヴィヴィアとクリスの寝室である。クリスの寝床は執務室の奥の小部屋にあるが、別々で過ごすのもおかしなことだろう。
「月の障りで心理的な不調を起こしやすい方もいます。旦那様がそこでじっとしていても奥様は休めません」
邪魔と言わんばかりのケイトの態度にクリスはじとっと睨む。
しかしケイトは後退しない。
彼女の主人はヴィヴィアでありクリスではない。
本来は不遜だと主人は怒るだろうが、クリスはそんな気は起こさない。
クリスもそんなケイトを見越してヴィヴィア付きに任じたのである。
ケイトは絶対にヴィヴィアを裏切らない。
その信頼があった。
「それに明日は王都へ向かわれるのでしょう。休まれてはいかがです?」
「王都へは行かない」
キャンセルだ。
妻が体調を崩しているのなら屋敷にとどまる。ここでも仕事はできないこともない。
「奥様が負担に感じますよ。旦那様がノートンへ行った時も、旦那様に迷惑をかけたとしばらくうじうじされていましたので。王都へ行くのもキャンセルしたとなるとますます奥様は気に病みます」
そう言われるとクリスは何も言えない。
だが、ヴィヴィアが負担に感じているのは事実だろう。
クリスは渋々部屋の扉へと向かった。
「ケイト、ヴィヴィアを頼んだ」
クリスが立ち去った後、しばらくしてヴィヴィアはくすんくすんと泣き出した。
悪夢にうなされているのだろう。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
ただそれだけをいう。
「ごめんなさい」
ケイトはヴィヴィアの頭を撫でた。
「大丈夫です。ここでは奥様を傷つける者はいません。私が許しません」
いつもの淡々とした声、その中にぬくもりを感じられる。
