クリスに案内された先は公爵家の庭園の中にあるガゼボだった。
既にメイドたちが準備してくれたためテーブルの上には昼食が並んでいた。
「どうぞ」
クリスはヴィヴィアを椅子の方へと誘う。
「ありがとうございます」
ヴィヴィアは椅子をひいてくれたクリスの方へと振り返った。
クリスの顔をみてヴィヴィアはすぐに目の前の方へと向ける。
何だろう。
絶対クリスのことはもう未練などない。
ヒロインが現れればそのままフェードアウトしてしまおうと考えていたというのに。
心がばくばくと鼓動をたてていき、頬が熱くなっていくのを感じる。
前世の記憶があるとはいえ、ヴィヴィアの中にはまだ彼女自身の感情が隠れているのだ。
ヴィヴィアはクリスに恋をしていた。
契約結婚とはいえ、結果的に子爵家での搾取から救いだしてくれた男である。
それに顔もよく、物腰柔らかな好青年。
世間では理想の花婿候補と呼ばれる存在。
そんな彼から情を向けられれば勘違いしてしまいそうになる。
ついこの前までは未練はない。こっちから願い下げだと豪語していた自分はどこへ行ったのだ。
ヴィヴィアは自身の頬をはたきたくなった。
「ヴィヴィア」
「あ、はい……」
「お肉はこのくらいの大きさでよかったですか?」
クリスの手にあるお皿には昼食のメインであるポークステーキが切られてあった。
「え、まさか私のですか?」
てっきりクリスが自分の皿に盛られたステーキを切っていたと思っていた。
「ええ、せっかくなのであなたのステーキを切って差し上げたくて……どうですか?」
「閣下のお手間を煩わせてしまい」
「私がしたかったので、そのようにかしこまる必要はありません」
それでサイズは大丈夫だろうかと質問してくるクリスにヴィヴィアはこくりとうなずいた。
「はい。ありがとうございます」
ステーキはちょうどよく切られており食べやすい。
実はヴィヴィアはステーキを切ることが苦手であった。
実家のメイドからは嫌がらせのように硬くて切りにくいステーキの皿を置かれて、それで不快な音を立ててしまって両親からダイニングルームから追い出されることがよくあった。
食事のマナーができていないからと一人だけ別の部屋で教育係の監視のもとで食事をとる日々が幼い頃の記憶である。
何度も何度も硬い美味しくないステーキを切る練習をさせられて、間違える度に教育係から手と腕を鞭で打たれた。
今は何とか形になっているが、こうした幼い頃の日々の影響でヴィヴィアはステーキを切ることが苦手であった。
今食べているポークステーキはほどよい噛み応えがあり食べやすい。
それに味がとてもいい。
実家で食べていた料理とは比較にならない程。
さすが公爵家の料理だと言わざるを得ない。
ステーキの美味さをかみしめながら堪能しているとクリスがじっとヴィヴィアを見つめている。
ヴィヴィアははっと顔を戻した。
「閣下? 私の顔に何かついているのでしょうか」
「いや、美味しそうに食べるようになったなと思いまして」
その言葉にヴィヴィアは顔を赤くした。
「別に粗相をしているわけではない。そうかしこまらないで」
クリスは自分の皿に盛られているステーキをぱくっと口にして咀嚼する。
「はじめてあなたが公爵家で食事していた時は随分と表情が硬かったのを覚えています」
「お恥ずかしい限りです」
高位貴族の夫人になるとは思わず、自分の所作に問題はないかと緊張状態だったことを思い出す。
食事は間違いなく美味しかったが、楽しむ余裕などなかった。
緊張は数日でだいぶ緩んでしまったのだが。
クリスが選んだメイドのケイトのもてなす能力が非常に優れていたのもあるのだが。
メイドのケイトがお茶を用意しているのが見えた。
クリスが立ち上がり、ケイトに何かしら指示してケイトは運んでいた小さな缶を差し出した。
何をしているのだとヴィヴィアは首を傾げてそれを眺めていると、クリスが茶葉を掬いポットの中へといれる。お湯を注ぎ込み、ポットごとヴィヴィアの傍まで近づいてきた。
水が入ったグラス。その横にある空のティーカップ。
クリスは静かにカップの中へポットを傾けた。
落ち着いた香りのお茶が満たされていき、ヴィヴィアはその一連の所作にため息をついた。
そこから目覚めさせるかのようにクリスの優しい声が響く。
「あなたはあなたらしくあればいいのです。この家ではあなたに何かできる者などいない」
クリスがお茶を淹れてくれるなど思いもしなかった。
しかもとても美味しい。
悔しいことに、ヴィヴィアが淹れるよりもずっと美味しかった。
お茶を淹れることはメイドの給仕の仕事であるが、お茶会ではホストが自ら淹れて客人をもてなす。
お茶を淹れる作法についても貴族であれば教え込まされる。
「閣下は何でもできるのですね」
「そうでもない」
褒めすぎだとクリスは笑った。
「ほんの少しでもお礼になれば嬉しいのだが」
「お礼?」
「ノートンでの出来事だ」
「お礼の言葉は既にいただいています」
「これでも足りません。あなたは私の領民を救ってくれました」
ノートンでの出来事は予想外にクリスの為になったようだ。
ヴィヴィアはお茶を飲みながら考えた。
クリスの役に立ったということは。
「これで少し殺される運命から逃げられたのかしら」
ぼそっと呟く言葉にクリスは眉をひそめた。
「殺されるとはどういうことですか?」
思わず口にしてしまった言葉にヴィヴィアは青ざめた。かちゃんとカップが落ちてしまい、残っていた中身がヴィヴィアのドレスにかかってしまった。
クリスは立ち上がり、ケイトを呼び寄せた。クリスに言われるまでもなくケイトはタオルを手にしていた。
「すぐに医者を呼ぶから、ケイトはヴィヴィアを部屋の方へ」
「だ、大丈夫です。既に熱くないですし……それに申し訳ありません。折角閣下が淹れてくださったお茶を」
「ヴィヴィア」
クリスの声は極めて険しいものでヴィヴィアはびくっと震えた。
その怯えようを見てクリスはすぐに声の調子を戻した。眉も元に戻しているつもりである。
「私はあなたを心配しています。どうか自分を大事にしてください……すぐに申し訳なさそうにしないでください。私の顔色を伺わないで……」
クリスの言葉にヴィヴィアは何と反応すれば良いかわからなかった。
謝ることを彼は望んでいない。
ケイトに手を引かれながらヴィヴィアは自室へと戻った。
「失礼いたします」
着ているドレスを脱がされて、お茶がこぼれた膝辺りをケイトはじっと見つめた。
「膝は火傷はしていないようです」
「ええ、お茶は熱くなくなっていたもの」
「ですが左手はみてもらう必要があります」
ケイトに言われてヴィヴィアは左手を見た。彼女に言われてひりひりした痛みを実感した。
コンコン
ドレスを着替えた頃にノックの音がした。
現れたのは公爵家お抱えの医者である。後ろに控えているのは助手の女性であった。
「失礼いたします。奥様が火傷をなされたと伺い、彼女を連れてきました」
肌を直に見る必要があるための配慮である。
「左手を火傷しております。深度は1度と思いますが、数日後にも確認する必要があると思います」
助手はヴィヴィアの皮膚の状態を診察して医者に報告し、必要な薬剤についても応えた。
もちろん皮膚の状態は医者自身も診ている。助手の言葉に医者はこくこくとうなずき、予め準備していた塗り薬をヴィヴィアに見せた。
塗り方についてケイトに伝えて、ケイトは畏まりましたとうなずいた。
ヴィヴィアはその説明を聞きながら薬を手にして皮膚に塗った。
「奥様、私が塗りますので」
「大丈夫よ。塗りにくい場所でもないし」
ヴィヴィアは笑いながら皮膚に染み込んでくる薬をイメージ化する。
頭の中に浮かんだ薬の配合具合を確認してヴィヴィアはうんうんとうなずいた。
内心公爵家お抱えの医者が作った塗り薬に興味があった。
この世界でもこの薬剤が存在しているとは思わなかったなぁと思いながら。
今ヴィヴィアは自分の能力を使って、薬の分析を行っていた。
前世の記憶、趣味趣向も混ざってしまったのかどうしても薬をみると分析してしまいたくなってしまう。
この塗り薬を配合できるわけではないのに。
既にメイドたちが準備してくれたためテーブルの上には昼食が並んでいた。
「どうぞ」
クリスはヴィヴィアを椅子の方へと誘う。
「ありがとうございます」
ヴィヴィアは椅子をひいてくれたクリスの方へと振り返った。
クリスの顔をみてヴィヴィアはすぐに目の前の方へと向ける。
何だろう。
絶対クリスのことはもう未練などない。
ヒロインが現れればそのままフェードアウトしてしまおうと考えていたというのに。
心がばくばくと鼓動をたてていき、頬が熱くなっていくのを感じる。
前世の記憶があるとはいえ、ヴィヴィアの中にはまだ彼女自身の感情が隠れているのだ。
ヴィヴィアはクリスに恋をしていた。
契約結婚とはいえ、結果的に子爵家での搾取から救いだしてくれた男である。
それに顔もよく、物腰柔らかな好青年。
世間では理想の花婿候補と呼ばれる存在。
そんな彼から情を向けられれば勘違いしてしまいそうになる。
ついこの前までは未練はない。こっちから願い下げだと豪語していた自分はどこへ行ったのだ。
ヴィヴィアは自身の頬をはたきたくなった。
「ヴィヴィア」
「あ、はい……」
「お肉はこのくらいの大きさでよかったですか?」
クリスの手にあるお皿には昼食のメインであるポークステーキが切られてあった。
「え、まさか私のですか?」
てっきりクリスが自分の皿に盛られたステーキを切っていたと思っていた。
「ええ、せっかくなのであなたのステーキを切って差し上げたくて……どうですか?」
「閣下のお手間を煩わせてしまい」
「私がしたかったので、そのようにかしこまる必要はありません」
それでサイズは大丈夫だろうかと質問してくるクリスにヴィヴィアはこくりとうなずいた。
「はい。ありがとうございます」
ステーキはちょうどよく切られており食べやすい。
実はヴィヴィアはステーキを切ることが苦手であった。
実家のメイドからは嫌がらせのように硬くて切りにくいステーキの皿を置かれて、それで不快な音を立ててしまって両親からダイニングルームから追い出されることがよくあった。
食事のマナーができていないからと一人だけ別の部屋で教育係の監視のもとで食事をとる日々が幼い頃の記憶である。
何度も何度も硬い美味しくないステーキを切る練習をさせられて、間違える度に教育係から手と腕を鞭で打たれた。
今は何とか形になっているが、こうした幼い頃の日々の影響でヴィヴィアはステーキを切ることが苦手であった。
今食べているポークステーキはほどよい噛み応えがあり食べやすい。
それに味がとてもいい。
実家で食べていた料理とは比較にならない程。
さすが公爵家の料理だと言わざるを得ない。
ステーキの美味さをかみしめながら堪能しているとクリスがじっとヴィヴィアを見つめている。
ヴィヴィアははっと顔を戻した。
「閣下? 私の顔に何かついているのでしょうか」
「いや、美味しそうに食べるようになったなと思いまして」
その言葉にヴィヴィアは顔を赤くした。
「別に粗相をしているわけではない。そうかしこまらないで」
クリスは自分の皿に盛られているステーキをぱくっと口にして咀嚼する。
「はじめてあなたが公爵家で食事していた時は随分と表情が硬かったのを覚えています」
「お恥ずかしい限りです」
高位貴族の夫人になるとは思わず、自分の所作に問題はないかと緊張状態だったことを思い出す。
食事は間違いなく美味しかったが、楽しむ余裕などなかった。
緊張は数日でだいぶ緩んでしまったのだが。
クリスが選んだメイドのケイトのもてなす能力が非常に優れていたのもあるのだが。
メイドのケイトがお茶を用意しているのが見えた。
クリスが立ち上がり、ケイトに何かしら指示してケイトは運んでいた小さな缶を差し出した。
何をしているのだとヴィヴィアは首を傾げてそれを眺めていると、クリスが茶葉を掬いポットの中へといれる。お湯を注ぎ込み、ポットごとヴィヴィアの傍まで近づいてきた。
水が入ったグラス。その横にある空のティーカップ。
クリスは静かにカップの中へポットを傾けた。
落ち着いた香りのお茶が満たされていき、ヴィヴィアはその一連の所作にため息をついた。
そこから目覚めさせるかのようにクリスの優しい声が響く。
「あなたはあなたらしくあればいいのです。この家ではあなたに何かできる者などいない」
クリスがお茶を淹れてくれるなど思いもしなかった。
しかもとても美味しい。
悔しいことに、ヴィヴィアが淹れるよりもずっと美味しかった。
お茶を淹れることはメイドの給仕の仕事であるが、お茶会ではホストが自ら淹れて客人をもてなす。
お茶を淹れる作法についても貴族であれば教え込まされる。
「閣下は何でもできるのですね」
「そうでもない」
褒めすぎだとクリスは笑った。
「ほんの少しでもお礼になれば嬉しいのだが」
「お礼?」
「ノートンでの出来事だ」
「お礼の言葉は既にいただいています」
「これでも足りません。あなたは私の領民を救ってくれました」
ノートンでの出来事は予想外にクリスの為になったようだ。
ヴィヴィアはお茶を飲みながら考えた。
クリスの役に立ったということは。
「これで少し殺される運命から逃げられたのかしら」
ぼそっと呟く言葉にクリスは眉をひそめた。
「殺されるとはどういうことですか?」
思わず口にしてしまった言葉にヴィヴィアは青ざめた。かちゃんとカップが落ちてしまい、残っていた中身がヴィヴィアのドレスにかかってしまった。
クリスは立ち上がり、ケイトを呼び寄せた。クリスに言われるまでもなくケイトはタオルを手にしていた。
「すぐに医者を呼ぶから、ケイトはヴィヴィアを部屋の方へ」
「だ、大丈夫です。既に熱くないですし……それに申し訳ありません。折角閣下が淹れてくださったお茶を」
「ヴィヴィア」
クリスの声は極めて険しいものでヴィヴィアはびくっと震えた。
その怯えようを見てクリスはすぐに声の調子を戻した。眉も元に戻しているつもりである。
「私はあなたを心配しています。どうか自分を大事にしてください……すぐに申し訳なさそうにしないでください。私の顔色を伺わないで……」
クリスの言葉にヴィヴィアは何と反応すれば良いかわからなかった。
謝ることを彼は望んでいない。
ケイトに手を引かれながらヴィヴィアは自室へと戻った。
「失礼いたします」
着ているドレスを脱がされて、お茶がこぼれた膝辺りをケイトはじっと見つめた。
「膝は火傷はしていないようです」
「ええ、お茶は熱くなくなっていたもの」
「ですが左手はみてもらう必要があります」
ケイトに言われてヴィヴィアは左手を見た。彼女に言われてひりひりした痛みを実感した。
コンコン
ドレスを着替えた頃にノックの音がした。
現れたのは公爵家お抱えの医者である。後ろに控えているのは助手の女性であった。
「失礼いたします。奥様が火傷をなされたと伺い、彼女を連れてきました」
肌を直に見る必要があるための配慮である。
「左手を火傷しております。深度は1度と思いますが、数日後にも確認する必要があると思います」
助手はヴィヴィアの皮膚の状態を診察して医者に報告し、必要な薬剤についても応えた。
もちろん皮膚の状態は医者自身も診ている。助手の言葉に医者はこくこくとうなずき、予め準備していた塗り薬をヴィヴィアに見せた。
塗り方についてケイトに伝えて、ケイトは畏まりましたとうなずいた。
ヴィヴィアはその説明を聞きながら薬を手にして皮膚に塗った。
「奥様、私が塗りますので」
「大丈夫よ。塗りにくい場所でもないし」
ヴィヴィアは笑いながら皮膚に染み込んでくる薬をイメージ化する。
頭の中に浮かんだ薬の配合具合を確認してヴィヴィアはうんうんとうなずいた。
内心公爵家お抱えの医者が作った塗り薬に興味があった。
この世界でもこの薬剤が存在しているとは思わなかったなぁと思いながら。
今ヴィヴィアは自分の能力を使って、薬の分析を行っていた。
前世の記憶、趣味趣向も混ざってしまったのかどうしても薬をみると分析してしまいたくなってしまう。
この塗り薬を配合できるわけではないのに。
