朝方、目を覚ますとベッドの上は自分1人であることにヴィヴィアは気付き、起き上がった。
今、何時?
机の上に置いてある懐中時計を見て、随分寝過ごしていたのがわかった。
朝早いクリスはすでに起きていて今は執務中であろう。
「おはようございます。奥様」
様子を窺いに来たケイトにヴィヴィアはこほんと咳払いして挨拶をした。
「おはよう。寝過ごしてしまったのだけど……」
「問題ありません。旦那様から寝かせておくように言われましたので」
普段であれば時間になれば声をかけてくれるケイトがどうしてと思ったらそういうことか。
「閣下は執務室かしら」
「はい、お昼頃にご一緒したい為、執務室に来て欲しいと承りました」
朝の身支度を済ませて、別のメイドが朝食を持ってきてくれた。
昼ご飯にちょうどよく空腹になるように軽めのメニューであった。
お昼に執務室と言っていたわね。
食堂ではなく執務室という単語にヴィヴィアは考えを巡らせた。
おそらくノートンで起きた出来事のことだろう。
今思えばとんでもない騒動だっただろう。
◆◆◆
時間になり、ヴィヴィアはクリスの執務室へとやってきた。
「ヴィヴィアです」
ノックをしながら名乗ると、扉が開いた。
「中へ来て欲しい。君に渡したいものがあります」
やはり後からヴィヴィアの調書が必要になるのだろう。
言われるままソファに腰をかけると目の前に置かれた箱がある。
古い木箱と、布の上に置かれた鍵束。
開けるように言われ、中身を確認すると現れたのは銀の装飾が施された印章。
言われるまま印章を手に取り確認した。
ゴーヴァン公爵家の紋章が刻まれている。
「印章はゴーヴァン公爵家の女主人の持ち物だ。これでゴーヴァン家内の家政に関して自由にして良いです」
「私が持って良いものでは」
「あなた以外に公爵夫人はいないでしょう」
ヴィヴィアの言葉を遮るようにクリスは言った。しばらくしてクリスは自分がヴィヴィアの言葉を遮ったことに気付きひとつ咳払いをして謝った。
「失礼。本当はもっと早くに渡すべきでした。あなたを急き立てるような結婚でしたので重荷を感じさせたくなくて保留にしていましたが、それがあなたの立場を軽んじられる結果となりました」
ヴィヴィアが影で何と軽口を叩かれているかクリスは耳にし彼女の現状をようやく把握した。
社交界はともかく屋敷内でヴィヴィアを悪く言う者がいようとは。
少なくとも領地内、自分の居城たる屋敷ではそれはないと思っていた。
自分の甘さ故だとクリスは恥じていると語った。
「その印章はゴーヴァン公爵家女主人の証であり、この領内であなたを軽んじる者がいればあなたはその者を好きに罰せられます。鞭打ち刑も、追放刑も」
それを聞いたヴィヴィアは印章を箱に戻した。
「私には過ぎたものです」
ヴィヴィアは改めて言った。
「私はこの通り公爵夫人の仕事を行えておりません。義務を負わずに権利を得る気はありません」
「義務なら自分から背負い、見事に果たしましたよ。あなたは貴族夫人として領地内の孤児院や、病院施設を訪問し彼らの実情を見て運営の改善策を立てました。そればかりか、私が気づかず放置していたロズモンド男爵の横暴を暴きました。あなたのおかげでノートンの民も、孤児院の子らも、ロズモンド男爵夫人も助けられました。あなたがいなければどれだけの犠牲が出ていたことか」
クリスは印章を取り出して、ヴィヴィアの手に握らせた。
「私が証明します。あなたは間違いなく立派な公爵夫人です」
「でも私は」
いつか捨てられる予定の公爵夫人なのだ。
クリスとベザリーの仲を引き裂こうとする悪女。
それを言ってはいけない。
ヴィヴィアは口ごもった。
もしここでそんなことを言えば気が狂ったと思われかねない。
公爵夫人の証は重荷であるものの精神病院に入れられるのはいやだ。
この中世ヨーロッパ風世界の精神病院は、牢獄のようなものだ。
「重く受け止めないで。今はあなたの身を守るものと思ってください。正当な理由があれば、サンヒル騎士団をあなたの手足にできます」
「それが重いのです」
しかし、いつまでもヴィヴィアが拒むわけにはいかない。
ベザリーにその座を奪われるとはいえまだクリスはベザリーと親密な関係ではないのだ。
ここでゴネてもクリスが困るだろう。
ヴィヴィアの立場を守る為に預けてくれたのだから。
「わかりました。悪用しないように気をつけます」
「別にあなたが何をしようと我が家門が揺らぐことはない。どんなことがあろうと私があなたを守ります」
未来はそうではない。
ヴィヴィアは公爵夫人の立場を悪用し、私腹を肥やし一部の領民を苦しめる。権力を使い、ベザリーを陥れて、ついには暗殺を企てた。
クリスはヴィヴィアの愚かしさにただ呆れて見捨てるのだ。
大丈夫。
まだそうはなっていない。
印章はずしりと重く、ヴィヴィアの手のひらで存在感を放っていた。
「わかりました。大事にします」
いつまでも手に持っていると落としてしまいそうになるので、先ほどの木箱の中へと収めた。
「それとこちらの鍵は何でしょう?」
箱の隣に置かれていた布の上の鍵束。
「我が家の保管庫の鍵です」
国宝レベルの剣などの武器や防具、古代魔術の資料原書が保管されているという。
内容を聞くとどれも破損したら首が飛びそうな品であり、一気に鍵が重く感じられた。
「私も同じ鍵束を持っています。持ち歩きづらいのであれば、自室の金庫に入れて必要な時に利用してください」
クリスが自分の鍵束を見せてくれた。必要ないのにわざわざ触らせてもらった。
さすがに結構ですとも言いづらくヴィヴィアは手垢がつくのも畏れ多いと感じながら触れた。
「あれ」
クリスの鍵束が自分のものよりひとつ多いことに気づいた。
「それは、当主のみの持ち物で夫人とは共用できません。ですが、いずれは夫人にも見ていただこうと思う部屋です」
別に共用したい訳ではないのだが。
一体どんな部屋だろうか。
まさか、拷問部屋ではなかろうか。
ヴィヴィアはゾワッと震えた。小説内でヴィヴィアには罪状を明らかにするために拷問を受けた痕が見受けられた。
「恐ろしがる必要はありません」
ヴィヴィアが何を考えているか察してクリスはくすくすと笑った。
「ヴィヴィアは竜杯をご存知ですか」
竜杯、という単語にヴィヴィアはこくりとうなずいた。
有名な子供の御伽噺だ。
ブライト王国、初代王アルトスの騎士ルヴァンが悪竜を討伐し、天より与えられた宝である。
騎士の血で杯を満たせばどんな願いも叶う。しかし、他者の血では不可能であり、騎士ルヴァン自身もしくは彼の末裔の血である必要がある。
騎士ルヴァンは王の娘を嫁にし、竜杯を家宝とし国の苦難に際して願いをかけようと誓った。
その騎士の末裔がゴーヴァン公爵家の祖である。
ちなみにこの伝承にはヴィヴィアの祖先も出てくる。聖女ルフェル、彼女は悪竜との戦いに直接参加していないが後方支援で騎士を助けていた。
これだけは暗唱できるようにさせられたな。
「私が、竜杯を見ても良いのですか?」
「今すぐは無理ですが」
クリスは苦く笑った。
「公爵家に嫁いだ女性が竜杯を見ることが許されるのは、その、あなたが私の子を宿した時です」
それを聞き、ヴィヴィアは顔を真っ赤にした。
「あ、そうですか。そう、ですね」
反応に困ってそうとしか言えなかった。
ぐぅぅ……
話の間に流れる音にヴィヴィアはますます顔を赤くした。
もうお昼の時間だ。お腹が空いてしまっている。
「ヴィヴィア、せっかくなので外で食べましょう」
クリスは立ち上がりヴィヴィアに向けて手を差し伸べた。
まるでデートの誘いのように思える。
自然なクリスのエスコートにヴィヴィアは胸の高まりを覚えた。
そういえば彼と出かけることはなかった。
今、何時?
机の上に置いてある懐中時計を見て、随分寝過ごしていたのがわかった。
朝早いクリスはすでに起きていて今は執務中であろう。
「おはようございます。奥様」
様子を窺いに来たケイトにヴィヴィアはこほんと咳払いして挨拶をした。
「おはよう。寝過ごしてしまったのだけど……」
「問題ありません。旦那様から寝かせておくように言われましたので」
普段であれば時間になれば声をかけてくれるケイトがどうしてと思ったらそういうことか。
「閣下は執務室かしら」
「はい、お昼頃にご一緒したい為、執務室に来て欲しいと承りました」
朝の身支度を済ませて、別のメイドが朝食を持ってきてくれた。
昼ご飯にちょうどよく空腹になるように軽めのメニューであった。
お昼に執務室と言っていたわね。
食堂ではなく執務室という単語にヴィヴィアは考えを巡らせた。
おそらくノートンで起きた出来事のことだろう。
今思えばとんでもない騒動だっただろう。
◆◆◆
時間になり、ヴィヴィアはクリスの執務室へとやってきた。
「ヴィヴィアです」
ノックをしながら名乗ると、扉が開いた。
「中へ来て欲しい。君に渡したいものがあります」
やはり後からヴィヴィアの調書が必要になるのだろう。
言われるままソファに腰をかけると目の前に置かれた箱がある。
古い木箱と、布の上に置かれた鍵束。
開けるように言われ、中身を確認すると現れたのは銀の装飾が施された印章。
言われるまま印章を手に取り確認した。
ゴーヴァン公爵家の紋章が刻まれている。
「印章はゴーヴァン公爵家の女主人の持ち物だ。これでゴーヴァン家内の家政に関して自由にして良いです」
「私が持って良いものでは」
「あなた以外に公爵夫人はいないでしょう」
ヴィヴィアの言葉を遮るようにクリスは言った。しばらくしてクリスは自分がヴィヴィアの言葉を遮ったことに気付きひとつ咳払いをして謝った。
「失礼。本当はもっと早くに渡すべきでした。あなたを急き立てるような結婚でしたので重荷を感じさせたくなくて保留にしていましたが、それがあなたの立場を軽んじられる結果となりました」
ヴィヴィアが影で何と軽口を叩かれているかクリスは耳にし彼女の現状をようやく把握した。
社交界はともかく屋敷内でヴィヴィアを悪く言う者がいようとは。
少なくとも領地内、自分の居城たる屋敷ではそれはないと思っていた。
自分の甘さ故だとクリスは恥じていると語った。
「その印章はゴーヴァン公爵家女主人の証であり、この領内であなたを軽んじる者がいればあなたはその者を好きに罰せられます。鞭打ち刑も、追放刑も」
それを聞いたヴィヴィアは印章を箱に戻した。
「私には過ぎたものです」
ヴィヴィアは改めて言った。
「私はこの通り公爵夫人の仕事を行えておりません。義務を負わずに権利を得る気はありません」
「義務なら自分から背負い、見事に果たしましたよ。あなたは貴族夫人として領地内の孤児院や、病院施設を訪問し彼らの実情を見て運営の改善策を立てました。そればかりか、私が気づかず放置していたロズモンド男爵の横暴を暴きました。あなたのおかげでノートンの民も、孤児院の子らも、ロズモンド男爵夫人も助けられました。あなたがいなければどれだけの犠牲が出ていたことか」
クリスは印章を取り出して、ヴィヴィアの手に握らせた。
「私が証明します。あなたは間違いなく立派な公爵夫人です」
「でも私は」
いつか捨てられる予定の公爵夫人なのだ。
クリスとベザリーの仲を引き裂こうとする悪女。
それを言ってはいけない。
ヴィヴィアは口ごもった。
もしここでそんなことを言えば気が狂ったと思われかねない。
公爵夫人の証は重荷であるものの精神病院に入れられるのはいやだ。
この中世ヨーロッパ風世界の精神病院は、牢獄のようなものだ。
「重く受け止めないで。今はあなたの身を守るものと思ってください。正当な理由があれば、サンヒル騎士団をあなたの手足にできます」
「それが重いのです」
しかし、いつまでもヴィヴィアが拒むわけにはいかない。
ベザリーにその座を奪われるとはいえまだクリスはベザリーと親密な関係ではないのだ。
ここでゴネてもクリスが困るだろう。
ヴィヴィアの立場を守る為に預けてくれたのだから。
「わかりました。悪用しないように気をつけます」
「別にあなたが何をしようと我が家門が揺らぐことはない。どんなことがあろうと私があなたを守ります」
未来はそうではない。
ヴィヴィアは公爵夫人の立場を悪用し、私腹を肥やし一部の領民を苦しめる。権力を使い、ベザリーを陥れて、ついには暗殺を企てた。
クリスはヴィヴィアの愚かしさにただ呆れて見捨てるのだ。
大丈夫。
まだそうはなっていない。
印章はずしりと重く、ヴィヴィアの手のひらで存在感を放っていた。
「わかりました。大事にします」
いつまでも手に持っていると落としてしまいそうになるので、先ほどの木箱の中へと収めた。
「それとこちらの鍵は何でしょう?」
箱の隣に置かれていた布の上の鍵束。
「我が家の保管庫の鍵です」
国宝レベルの剣などの武器や防具、古代魔術の資料原書が保管されているという。
内容を聞くとどれも破損したら首が飛びそうな品であり、一気に鍵が重く感じられた。
「私も同じ鍵束を持っています。持ち歩きづらいのであれば、自室の金庫に入れて必要な時に利用してください」
クリスが自分の鍵束を見せてくれた。必要ないのにわざわざ触らせてもらった。
さすがに結構ですとも言いづらくヴィヴィアは手垢がつくのも畏れ多いと感じながら触れた。
「あれ」
クリスの鍵束が自分のものよりひとつ多いことに気づいた。
「それは、当主のみの持ち物で夫人とは共用できません。ですが、いずれは夫人にも見ていただこうと思う部屋です」
別に共用したい訳ではないのだが。
一体どんな部屋だろうか。
まさか、拷問部屋ではなかろうか。
ヴィヴィアはゾワッと震えた。小説内でヴィヴィアには罪状を明らかにするために拷問を受けた痕が見受けられた。
「恐ろしがる必要はありません」
ヴィヴィアが何を考えているか察してクリスはくすくすと笑った。
「ヴィヴィアは竜杯をご存知ですか」
竜杯、という単語にヴィヴィアはこくりとうなずいた。
有名な子供の御伽噺だ。
ブライト王国、初代王アルトスの騎士ルヴァンが悪竜を討伐し、天より与えられた宝である。
騎士の血で杯を満たせばどんな願いも叶う。しかし、他者の血では不可能であり、騎士ルヴァン自身もしくは彼の末裔の血である必要がある。
騎士ルヴァンは王の娘を嫁にし、竜杯を家宝とし国の苦難に際して願いをかけようと誓った。
その騎士の末裔がゴーヴァン公爵家の祖である。
ちなみにこの伝承にはヴィヴィアの祖先も出てくる。聖女ルフェル、彼女は悪竜との戦いに直接参加していないが後方支援で騎士を助けていた。
これだけは暗唱できるようにさせられたな。
「私が、竜杯を見ても良いのですか?」
「今すぐは無理ですが」
クリスは苦く笑った。
「公爵家に嫁いだ女性が竜杯を見ることが許されるのは、その、あなたが私の子を宿した時です」
それを聞き、ヴィヴィアは顔を真っ赤にした。
「あ、そうですか。そう、ですね」
反応に困ってそうとしか言えなかった。
ぐぅぅ……
話の間に流れる音にヴィヴィアはますます顔を赤くした。
もうお昼の時間だ。お腹が空いてしまっている。
「ヴィヴィア、せっかくなので外で食べましょう」
クリスは立ち上がりヴィヴィアに向けて手を差し伸べた。
まるでデートの誘いのように思える。
自然なクリスのエスコートにヴィヴィアは胸の高まりを覚えた。
そういえば彼と出かけることはなかった。
