誰だと言われても。
ロズモンド男爵だが、先程クリスがボコボコにして断罪した。
公爵家の使用人に一部そう思っている者がいるが、身の回りの世話をする者ではなかったし気に留めていない。
事実だしヴィヴィアは特に不満はなかった。
これはどういったら正解なんだろう。
クリスはヴィヴィアを愛さないまま契約結婚とした。その後、べザリーと恋に落ち、ヴィヴィアを切り捨てた。
今は彼の夫として自分を庇護してくれることにただ甘んじてはいけない。
そうすれば、後が苦しくなる。
結婚後のクリスは間違いなくヴィヴィアに優しかった。
契約結婚だということを忘れてしまうほど。
雷の夜に思い出す前までは、ヴィヴィアも彼に絆されつつあった。
でも、捨てられる。
子供も。
「気に留める必要はありません」
ヴィヴィアはにこりと微笑んだ。
もうここで自分ができることはないだろう。
あまり長居せずに明日立ち去ろう。
私がいてもお邪魔だし、このまま彼は王都の方へと向かうだろう。
こうしている間に仕事が溜まっているかもしれない。
確か、あと2週間は王都に滞在予定だったはず。
2週間は屋敷で1人過ごせる。
少し色々な出来事に遭遇したから頭の整理をしておきたい。
そう思っていたのに。
――翌朝。
「何で」
思わずこぼしてしまう言葉にヴィヴィアは口を押さえた。
何故自分の目の前にクリスがいるのだ。
屋敷へ帰る馬車にそのままクリスが一緒に乗ってきたのだ。
「ヴィヴィア」
「あ、はい。何でしょうか」
今の声が聞こえたよね。
何と誤魔化そうかとヴィヴィアがびくびくしていると、クリスがヴィヴィアの膝に置いているものを指差した。
「メイドに預けてはどうですか?」
「あ」
ヴィヴィアが思わず掴んでいたものは、孤児院にいたシエルからの贈り物だった。
お礼にと森の中からかき集めた花を束にしたものだ。
名前もない小さな花であるが綺麗に咲いていたものを集めて妹のノエルがリボンで包装してくれた。
「せっかくいただいたものだから持っておきたいのです」
「そうですか」
何か問題でもあるのかしら。
もしかして公爵夫人が持つものとして相応しくないというのだろうか。
せっかくシエルとノエルがくれたものなのに。
「何か問題でも」
「あまりに強く握りしめるから潰れてしまいそうです」
「え、あっ……」
確かに、無意識に力が入り形が崩れて一部潰れてしまっている。
いくら考えごとをしていたとしてもこれは残念なことだ。
ヴィヴィアは自分の愚かしさを恨んだ。
「私に預けてください」
クリスが手を差し伸べる。
「捨てたりしません」
そう言う彼にヴィヴィアはおそるおそる花束を渡した。
クリスが左手で花束を持ち、右手をかざす。
ふわっと柔らかな光が花束を包み込み、潰れた花がみるみる元の形へと戻った。
これがクリスの魔術、太陽の手。
彼の手は植物を元気にする効力があり、彼は自分の庭園を作りお気に入りのひまわりを育てていた。
小説では、ベザリーと楽しく夏の散策をしてさらに親密になっていくんだ。
クリスがべザリーに愛の告白をして、ベザリーは受け入れる。
それをヴィヴィアは目の当たりにして、ベザリーへの殺意を隠さなくなっていくのだ。
小説の一場面を思い出してヴィヴィアは暗くなった。
それを見てクリスは俯いた。
「どうすれば、お前を喜ばせられる」
ぼそとつぶやく言葉。
今何と言ったか聞こえずヴィヴィアは慌てた。
「申し訳ありません。聞き取れず」
「いや、独り言だ」
お互いそれ以上のことは口にしない。
気まずい雰囲気の中、馬車は屋敷へと向かって行った。
◆◆◆
しまった。
ヴィヴィアはすっかり忘れていた。
クリスが屋敷に帰ってきた。
しばらく一緒に過ごすことになる。
一緒に夜を過ごすことになる。
夫婦なんだから、しょうがない。
はじめてのことではない。
でも、前世の記憶を取り戻した後は非常に気まずい。
こんな状態でどうしろと。
ベッドの上でヴィヴィアはそわそわした。
ケイトに新しい寝巻きを用意された。ここぞと新しい下着まで。
着替えをみてようやく夜のお勤めを思い出しヴィヴィアは焦りだした。
今、クリスは入浴中である。
どんな顔で迎えろと。
ガチャ
扉が開き、ヴィヴィアは跳ね起きた。
「あ、おこんばんわ」
先程会ったばかりなのに夜の挨拶をしてしまう。
寝巻き姿のクリスは、想像以上の姿だった。
昼間のピッチリした紳士姿とは対照的にはだけたラフな姿。
寝巻きの隙間から逞しい胸板、引き締まった筋肉が見られる。
めちゃくちゃエロい。
目の行き場に悩んでしまう。
はじめてではないのに。
そう言い聞かせても意識してしまう。
どうあれ、彼とは夫婦なのだ。
心臓がばくばくしてしまう。
「ヴィヴィア、疲れているだろう。今日はしっかりおやすみなさい」
「え、え」
クリスはすっとベッドのなかへもぐりこんだ。
予想しない言葉にヴィヴィアは首を傾げる。
確かに疲れたといえばそうだが。
と屋敷に到着するまでのことを思い出す。
休みなく馬車は動いてくれてヴィヴィアは馬車の中で眠っていただけだ。
他の者たちの方が、旅の合間でも仕事をこなしていたクリスの方がよほど疲れているだろう。
「ほら、寝なさい」
クリスはぽんぽんと隣のまくらを叩いた。
「う、はい」
とはいえ、落ち着いて眠れる自信はない。
ヴィヴィアは彼の横で横たわりながらベッドの天蓋を眺めていた。
隣をみればクリスがいると意識してしまう。
とりあえず寝たように装うかと瞼を閉ざししばらくするとストンと体が重くなっていくのを感じた。
「……」
一瞬でヴィヴィアは眠りについた。
1日以上を費やす旅路、馬車の中でもそれなりに疲労感は溜まっていくものだ。
ヴィヴィアの寝息を確認して、クリスはその顔を眺めた。
その視線は温かなものであるが、深い眠りについたヴィヴィアはそれを知ることはない。
◆◆◆
時間は少し遡り、ヴィヴィアたちがゴーヴァン公爵家の屋敷に到着した後のこと。
ヴィヴィアは自室で休んでもらい、クリスは執務室で執事長の報告を聞きながら書類を確認した。
「これは?」
「奥様が視察した施設の報告と、改善案を記載した提案書です。内容に関して問題はなく、納得できるものですが、前例がなく旦那様に目を通して欲しく存じます」
「問題ない。ヴィヴィアが求める通りにしてください」
クリスとしてはヴィヴィアの願いはある程度聞くつもりだ。
実際、ヴィヴィアの観点は的を射ておりクリスが密かに悩み、他の仕事で埋もれて案が出せない内容だった。
実践する価値があると感じられる。
それにしても、随分と立派な提案書だ。
クリスの見込み通り、ヴィヴィアはあの家で搾取される子だったのを実感する。
世間でのヴィヴィアの評価はこうである。
魔術を使えない無能力者、家のこともろくに行えない半端者と呼ばれていた。
お茶会も失敗を繰り返して家族から飽きられていたとか。
対して、妹のシシリアは器量良い子で家の手伝いをして、お茶会も完璧に切り盛りできる完璧なレディーと呼ばれている。一族特有の治癒魔術もあり、負傷した騎士や病床の子への奉仕活動をしている。天使と呼ばれていた。
ヴィヴィアはシシリアに嫉妬して虐めていたという噂もある。
実際は逆。
ヴィヴィアは治癒魔術以外の能力を持つが体裁が悪く隠されていた。
ルフェル子爵家が好む金髪碧眼を持たずに生まれた為兄弟格差をつけられ、家族から事務仕事の雑用を押し付けられ貴族淑女の活動に支障をきたすほどだった。
ヴィヴィアの身辺調査をして、彼女が悪評高い暴力男に嫁がされると知ってクリスは強引に婚姻の話を取り付けたのだ。
強引すぎてヴィヴィアとの間に壁や溝を作ってしまったが、それでも後悔していなかった。
ヴィヴィアがあの家に居続けることも、暴力男のもとへ嫁がされるのも我慢できなかった。
「とはいえどうすればいいか」
少し前に溝が少しずつ埋まっていく感触を覚えていたが、ヴィヴィアがノートンへ行ってから溝が深くなったように感じた。
「まだ旦那様も奥様もお若いので時間はいくらでもあります」
見かねた執事長が声をかけた。
「そうですね。まずは旦那様は奥様に自分のことを見せてはどうでしょう」
「どういう意味だ」
「世間がいう理想の花婿としての旦那様ではなくありのままの旦那様をです」
それを聞き、クリスはため息をついた。
「少し考えるか」
ロズモンド男爵だが、先程クリスがボコボコにして断罪した。
公爵家の使用人に一部そう思っている者がいるが、身の回りの世話をする者ではなかったし気に留めていない。
事実だしヴィヴィアは特に不満はなかった。
これはどういったら正解なんだろう。
クリスはヴィヴィアを愛さないまま契約結婚とした。その後、べザリーと恋に落ち、ヴィヴィアを切り捨てた。
今は彼の夫として自分を庇護してくれることにただ甘んじてはいけない。
そうすれば、後が苦しくなる。
結婚後のクリスは間違いなくヴィヴィアに優しかった。
契約結婚だということを忘れてしまうほど。
雷の夜に思い出す前までは、ヴィヴィアも彼に絆されつつあった。
でも、捨てられる。
子供も。
「気に留める必要はありません」
ヴィヴィアはにこりと微笑んだ。
もうここで自分ができることはないだろう。
あまり長居せずに明日立ち去ろう。
私がいてもお邪魔だし、このまま彼は王都の方へと向かうだろう。
こうしている間に仕事が溜まっているかもしれない。
確か、あと2週間は王都に滞在予定だったはず。
2週間は屋敷で1人過ごせる。
少し色々な出来事に遭遇したから頭の整理をしておきたい。
そう思っていたのに。
――翌朝。
「何で」
思わずこぼしてしまう言葉にヴィヴィアは口を押さえた。
何故自分の目の前にクリスがいるのだ。
屋敷へ帰る馬車にそのままクリスが一緒に乗ってきたのだ。
「ヴィヴィア」
「あ、はい。何でしょうか」
今の声が聞こえたよね。
何と誤魔化そうかとヴィヴィアがびくびくしていると、クリスがヴィヴィアの膝に置いているものを指差した。
「メイドに預けてはどうですか?」
「あ」
ヴィヴィアが思わず掴んでいたものは、孤児院にいたシエルからの贈り物だった。
お礼にと森の中からかき集めた花を束にしたものだ。
名前もない小さな花であるが綺麗に咲いていたものを集めて妹のノエルがリボンで包装してくれた。
「せっかくいただいたものだから持っておきたいのです」
「そうですか」
何か問題でもあるのかしら。
もしかして公爵夫人が持つものとして相応しくないというのだろうか。
せっかくシエルとノエルがくれたものなのに。
「何か問題でも」
「あまりに強く握りしめるから潰れてしまいそうです」
「え、あっ……」
確かに、無意識に力が入り形が崩れて一部潰れてしまっている。
いくら考えごとをしていたとしてもこれは残念なことだ。
ヴィヴィアは自分の愚かしさを恨んだ。
「私に預けてください」
クリスが手を差し伸べる。
「捨てたりしません」
そう言う彼にヴィヴィアはおそるおそる花束を渡した。
クリスが左手で花束を持ち、右手をかざす。
ふわっと柔らかな光が花束を包み込み、潰れた花がみるみる元の形へと戻った。
これがクリスの魔術、太陽の手。
彼の手は植物を元気にする効力があり、彼は自分の庭園を作りお気に入りのひまわりを育てていた。
小説では、ベザリーと楽しく夏の散策をしてさらに親密になっていくんだ。
クリスがべザリーに愛の告白をして、ベザリーは受け入れる。
それをヴィヴィアは目の当たりにして、ベザリーへの殺意を隠さなくなっていくのだ。
小説の一場面を思い出してヴィヴィアは暗くなった。
それを見てクリスは俯いた。
「どうすれば、お前を喜ばせられる」
ぼそとつぶやく言葉。
今何と言ったか聞こえずヴィヴィアは慌てた。
「申し訳ありません。聞き取れず」
「いや、独り言だ」
お互いそれ以上のことは口にしない。
気まずい雰囲気の中、馬車は屋敷へと向かって行った。
◆◆◆
しまった。
ヴィヴィアはすっかり忘れていた。
クリスが屋敷に帰ってきた。
しばらく一緒に過ごすことになる。
一緒に夜を過ごすことになる。
夫婦なんだから、しょうがない。
はじめてのことではない。
でも、前世の記憶を取り戻した後は非常に気まずい。
こんな状態でどうしろと。
ベッドの上でヴィヴィアはそわそわした。
ケイトに新しい寝巻きを用意された。ここぞと新しい下着まで。
着替えをみてようやく夜のお勤めを思い出しヴィヴィアは焦りだした。
今、クリスは入浴中である。
どんな顔で迎えろと。
ガチャ
扉が開き、ヴィヴィアは跳ね起きた。
「あ、おこんばんわ」
先程会ったばかりなのに夜の挨拶をしてしまう。
寝巻き姿のクリスは、想像以上の姿だった。
昼間のピッチリした紳士姿とは対照的にはだけたラフな姿。
寝巻きの隙間から逞しい胸板、引き締まった筋肉が見られる。
めちゃくちゃエロい。
目の行き場に悩んでしまう。
はじめてではないのに。
そう言い聞かせても意識してしまう。
どうあれ、彼とは夫婦なのだ。
心臓がばくばくしてしまう。
「ヴィヴィア、疲れているだろう。今日はしっかりおやすみなさい」
「え、え」
クリスはすっとベッドのなかへもぐりこんだ。
予想しない言葉にヴィヴィアは首を傾げる。
確かに疲れたといえばそうだが。
と屋敷に到着するまでのことを思い出す。
休みなく馬車は動いてくれてヴィヴィアは馬車の中で眠っていただけだ。
他の者たちの方が、旅の合間でも仕事をこなしていたクリスの方がよほど疲れているだろう。
「ほら、寝なさい」
クリスはぽんぽんと隣のまくらを叩いた。
「う、はい」
とはいえ、落ち着いて眠れる自信はない。
ヴィヴィアは彼の横で横たわりながらベッドの天蓋を眺めていた。
隣をみればクリスがいると意識してしまう。
とりあえず寝たように装うかと瞼を閉ざししばらくするとストンと体が重くなっていくのを感じた。
「……」
一瞬でヴィヴィアは眠りについた。
1日以上を費やす旅路、馬車の中でもそれなりに疲労感は溜まっていくものだ。
ヴィヴィアの寝息を確認して、クリスはその顔を眺めた。
その視線は温かなものであるが、深い眠りについたヴィヴィアはそれを知ることはない。
◆◆◆
時間は少し遡り、ヴィヴィアたちがゴーヴァン公爵家の屋敷に到着した後のこと。
ヴィヴィアは自室で休んでもらい、クリスは執務室で執事長の報告を聞きながら書類を確認した。
「これは?」
「奥様が視察した施設の報告と、改善案を記載した提案書です。内容に関して問題はなく、納得できるものですが、前例がなく旦那様に目を通して欲しく存じます」
「問題ない。ヴィヴィアが求める通りにしてください」
クリスとしてはヴィヴィアの願いはある程度聞くつもりだ。
実際、ヴィヴィアの観点は的を射ておりクリスが密かに悩み、他の仕事で埋もれて案が出せない内容だった。
実践する価値があると感じられる。
それにしても、随分と立派な提案書だ。
クリスの見込み通り、ヴィヴィアはあの家で搾取される子だったのを実感する。
世間でのヴィヴィアの評価はこうである。
魔術を使えない無能力者、家のこともろくに行えない半端者と呼ばれていた。
お茶会も失敗を繰り返して家族から飽きられていたとか。
対して、妹のシシリアは器量良い子で家の手伝いをして、お茶会も完璧に切り盛りできる完璧なレディーと呼ばれている。一族特有の治癒魔術もあり、負傷した騎士や病床の子への奉仕活動をしている。天使と呼ばれていた。
ヴィヴィアはシシリアに嫉妬して虐めていたという噂もある。
実際は逆。
ヴィヴィアは治癒魔術以外の能力を持つが体裁が悪く隠されていた。
ルフェル子爵家が好む金髪碧眼を持たずに生まれた為兄弟格差をつけられ、家族から事務仕事の雑用を押し付けられ貴族淑女の活動に支障をきたすほどだった。
ヴィヴィアの身辺調査をして、彼女が悪評高い暴力男に嫁がされると知ってクリスは強引に婚姻の話を取り付けたのだ。
強引すぎてヴィヴィアとの間に壁や溝を作ってしまったが、それでも後悔していなかった。
ヴィヴィアがあの家に居続けることも、暴力男のもとへ嫁がされるのも我慢できなかった。
「とはいえどうすればいいか」
少し前に溝が少しずつ埋まっていく感触を覚えていたが、ヴィヴィアがノートンへ行ってから溝が深くなったように感じた。
「まだ旦那様も奥様もお若いので時間はいくらでもあります」
見かねた執事長が声をかけた。
「そうですね。まずは旦那様は奥様に自分のことを見せてはどうでしょう」
「どういう意味だ」
「世間がいう理想の花婿としての旦那様ではなくありのままの旦那様をです」
それを聞き、クリスはため息をついた。
「少し考えるか」
