八年越しの初恋、回収します。〜私のトリコになった部下に、八年前から溺愛されています〜





私たちはペンションまでやってきた。
雨は相変わらず、勢いよく降り続いている。
車から降りると、二人でペンションの入り口まで一気に駆け込んだ。

「瞳子さんもびしょ濡れですね」

朝倉くんがタオルを手渡してくれる。
私はそれを受け取ろうとしたのだけど、彼は私の髪に残った水分をそっと拭き取ってくれた。

もう、ギョッとすることはなかった。
これは彼の純粋な優しさだって、知っているから。

「これくらい大丈夫。中で暖を取らせてもらおう」
「はいっ」

なんだか、やけに嬉しそうな朝倉くんの顔が目に焼きついた。

ペンションの中へ入ると、数名のお客様がソファーに座ったり、窓の外を眺めたりしていた。

(この大雨の中でも、泊まりにいらっしゃる方がいるのね)

私は特段、不思議には感じなかった。

「瞳子さんは暖炉の前で待っていてください。僕が事情を伝えてきますので」
「ありがとう」

(やっぱり、朝倉くんは紳士だ)

実は、雨で濡れてシャツが身体に張りついていることが、少々気になっていた。
妙な色気を出されたら困る。
私は暖炉の前に立ち、濡れたシャツを軽くかざした。

(帰るまでには乾くでしょう)

暖炉の熱が身体を包み、冷え切っていた指先が少しずつ温まっていく。
ほっと息をついた私は、そっと後ろを振り返った。

カウンターでは、朝倉くんとペンションの主人が、まだ何かを話し込んでいる。

(どうしたんだろう? 何かトラブルでもあったのかしら)

心配になってカウンターへ向かおうとした、その時だった。
朝倉くんが戻ってきた。

「瞳子さん。お待たせしました」

朝倉くんは、なぜか晴れやかな表情をしている。
ついさっきまで雨に濡れて凍えていた人とは思えないほど、機嫌がいい。

「大丈夫だった? ご主人はなんて……」

そこまで言ったところで、あるものが目に入った。
私の言葉が途切れる。
口も閉じた。

朝倉くんの手には、なぜか部屋の鍵が握られていた。
その鍵を、彼は軽く掲げる。

「今晩の部屋、取りました」

私の頭は、まだ現実についていっていない。

「朝倉くん、ここに泊まっていくの?」

それなら私はタクシーで帰るしかないのかと、ぼんやり考えていた。

「瞳子さんも泊まります」

「……私も……?」

「ええ」

「一緒に?」

「そう。一緒に」

(いや、それは無理です)

どうしてそんなに淡々と話を進められるのか。
私は呆れてしまった。

「私は弟が待っているから帰るわ」
「雨が止んでも、通行止めは解除されないそうです」
「え?」
「山から集まってくる雨水で、これから水量が増えるので、むしろ危険だそうです。ですから、仕方なく宿泊決定です」

そう言って、再び笑顔で鍵を掲げる。

だけど……私には、鍵が一つしか見えなかった。

(待って。二人とも宿泊するなら、二つの鍵が必要なんじゃない?)

まさか……そんなわかりやすいこと、しないよね?

私の中に、じわじわと猜疑心が募っていく。
思わず眉を寄せた。

「朝倉くん……なぜ一部屋分の鍵しかないの?」

「これが最後の一部屋でした」

「うそ……」

「この先で工事をしている関係者の方たちも、帰れなくなって泊まることになったそうです。満室だそうですよ」

私はウェルカムルームを振り返った。
確かに、平日の大雨の日にしては、不自然なほどお客様が多い。
そして、よくよく見れば、作業着姿の人も何人か混じっている。

「……こ、こんなことってある?」

奇妙な偶然が重なりすぎて、怖くなってくる。
唇が、わずかに震えた。

「実際に今がそうですよ?」

朝倉くんが嬉しそうに小首を傾げる。

「温泉もあるので、こうなったらゆっくり過ごしましょう!」

身体が冷えているはずの朝倉くんから、上気した熱を感じる。

……気のせいだろうか。

私は項垂れ、そのまま後ろのソファーに腰を下ろした。

「不可抗力とはいえ……部下と同じ部屋に泊まるなんて、だめよっ」

私の道徳観が、激しく抵抗している。
最近の彼を、誠実な男性だと思うようになっていた。
だけど、それとこれとは話が別だ。
一緒の部屋に泊まるというのは、次元が違う!

「大前提を忘れないで。私たち、男女の上司と部下なのよ?」

「間違いを起こすとでも? 僕が信用できませんか?」

一瞬、朝倉くんの目が鋭くなる。
彼を傷つけるつもりはないが、私も軽いノリで決断もできない。

「信用の問題ではないわ。こんなの……だめに決まっているでしょう?」

朝倉くんは困惑する私をじっと見つめる。
ふっと俯いたかと思ったら、にこりと顔を上げた。

「と言っても、非常事態ですから、致し方ありませんよー」

私は拍子抜けになりそうになる。
その通りなのだけれど、そんなに軽く言わないでほしい。

ことはかなり重大なのだから。
会社に知られたら、懲戒ものだ。

私は頭を抱えてしまった。

「瞳子さん。僕からは何もしませんので、安心してください」

そんな彼の言葉に驚いて、私は顔を上げた。
彼の表情は、先ほどとは違いきゅっと引き締まっている。

「本当に?」

少し前にも、密室で距離を詰められたことがある。
そんな彼の言葉を、果たして信じるべきなのだろうか。
私が迷っていると、朝倉くんは小首を傾げた。

「だって、強制は犯罪でしょう?」
「……」

朝倉くんは才能がありすぎて、一般常識が抜け落ちていると思っていた。
でも、犯罪の一線は理解しているらしい。
確かに、今までもすべて未遂で終わっている。
朝倉くんが私を無理やり押し倒すようなことは、しないだろう。

(私が振られて弱っていた時も、彼は最後まで紳士だった!)

その信頼だけで、今夜を乗り越えられるかしら。
再び目眩に襲われ、私は頭を抱えた。

(今週は色々ありすぎて、もう疲労がピークなのに……)

「……考えるのも疲れたわ。有難く部屋を使わせてもらいましょう」

今夜、下山できないことは事実なのだ。
だったら、朝倉くんを信じて身体を休ませることを優先しよう。

「賢明な判断です」

朝倉くんは、私の荷物を持ってくれた。
その顔には、どこか満足そうな笑みが浮かんでいる。

(彼なら……大丈夫)

私は心を決めて立ち上がった。




布団と布団の間を最大限に空けて、彼を寝かしつけてから自分が眠ればいい。
私は子供の寝かしつけを思い出しながら、朝倉くんと部屋へ向かった。

『白樺』という部屋の前で立ち止まる。
朝倉くんが鍵を差し込み、扉を開けた。
そして、レディーファーストで私を先に通してくれる。

(ふふ。本当に、どこまでも紳士ね)

彼への信頼が、さらに高まった。
その瞬間だった。
私は目の前に飛び込んできたものに驚愕し、膝から崩れそうになった。



「ダブルベッド……??」