八年越しの初恋、回収します。〜私のトリコになった部下に、八年前から溺愛されています〜






その日のお昼だった。
ランチタイムから戻ると、朝倉くんが嬉々とした表情でやってきた。

「瞳子さん、例のお客さまから連絡がきました! 契約の話を進めたいから、今から会いたいそうです!」
「本当に⁈」

朝倉くんが抱えていた、あの案件が前進した。
その瞬間、私の頭の中でそろばんが弾かれる。
私も関わることができれば、成績に大きく寄与する。

(つまり、次の夏のボーナスが期待できる!)

俄然、やる気が出てきた。

「アポは取れているの?」

「はいっ! 車の手配もできています」

それを確認すると、私は水谷さんと三田さんに振り返った。

「これから顧客に営業をかけてくるわ。絶対に取ってくるからね!」

「頑張ってくださいねー」

私の気合いとは反対に、二人は呑気な顔で手を振っている。

……温度差がすごい。

「もうっ。じゃあ、行ってきます!」

勇み足の私は、朝倉くんに振り返った。

「朝倉くん、行きましょう!」
「はいっ!」
彼も嬉しそうだった。



「営業車にドイツの高級車があったかしら?」

私は営業車ではなく、ドイツ製の高級SUV、そのハイパフォーマンスモデルに乗せられていた。

「これは自分の車です」

左ハンドルを華麗に操る朝倉くんが、平然と答えた。

(いやいやいや!)

社会人一年目が手にする車ではない。
そう突っ込みたくなる。
けれど、二十歳の頃から株を運用し、余剰金まで持っている朝倉くんなら、ものすごく納得できてしまう。

納得している場合じゃない。
これは仕事だ。
公私混同はよくない!

私は口元に手を当て、一つ咳払いをしてから、きちんとした上司の顔を作った。

「営業先には営業車を使うのが会社の決まりでしょう?」
「瞳子さん、今回の顧客情報を確認しましたか?」
「え?」

思わず聞き返す。
私は慌てて鞄を開き、朝倉くんから渡されていた資料を取り出した。
急いでページをめくる。

住所だけではわかりにくいが、地図で確認すると、目的地は等高線八六〇メートル付近に記されていた。

「目的地はここから二十キロほどですが、山の中です。舗装されていない場所もあるので、四輪駆動のほうが安心です。会社にも許可を取ってあります」

「……」

(すごい。そこまでチェックしているのね)

思わず尊敬の眼差しで、彼の横顔を見てしまう。
この人は、なにからなにまで完璧に仕事ができる。

「ごめんなさい……住所だけ見ていたから、気がつかなかったわ。本当に山の上なのね」

私は膝の上に資料を広げ、改めて顧客情報を確認した。

「たしか、陶芸アトリエを開いている方よね?」
「ええ。国内での知名度はまだ低いですが、柳元東吾の作る作品は素晴らしいものばかりです」
「ベテランの陶芸家さんなのかしら?」
「いいえ。新進気鋭の二十八歳です。南芸大を卒業してからアトリエを構えています」
「二十八歳……若いのね」
「彼のすごいところは、理系の仲間を引き入れて、科学的に作品を作っているところです」
「芸術に科学の力を使うの? すごい発想ね」

朝倉くんは顧客のリサーチも怠らない。
その姿勢には本当に頭が下がる。

「海外の富裕層コレクターの間では有名な芸術家です。市場に出ている作品数も少ないので、争奪戦が起こっているほどですから」
「へえ……」

自信ありげな微笑みから、朝倉くんがその作家の作品まで知っていることが伝わってくる。

一体、そんな情報をどこから手に入れたのだろう。
むしろ、そちらのほうが気になってしまう。
けれど、いまさら聞くのも勘繰っているようで、私は口を閉じた。

私たちの仕事は、顧客の財産を運用すること。
余計なことを考えている場合じゃない。

「つまり、利益があるから運用したいってことね!」

私も徐々に仕事モードへ切り替えていく。

「芸術バブルも、いつ弾けるかわかりません。フリーで活動する彼らは、自分で将来の備えをしておく必要がありますから」
「なるほど……」
「今回の契約は、そこを僕が提案しました」
「朝倉くんが営業をかけたの?」
「はい。彼が有名になれば、同業者に奪われます。その前に僕が口説きました」
「……口説くって……すごい」

(意中の女性ができたら、同じ情熱で攻めそう……)

そこまで考えて、ハッとする。

(偏った目で見ちゃダメ!)

朝倉くんは、先見の明が玄人すぎるだけよ!

私は勝手に自分が恥ずかしくなり、赤くなる頬を手で隠した。
ちらりと横を見る。
綺麗なEライン。
横顔まで完璧。

(この人には、欠けているものがないのかしら……)

そんなことを考えているうちに、車は徐々に木々の生い茂るエリアへ入っていった。
対向車とすれ違うこともなくなる。
朝倉くんが少しスピードを落とした。
道路脇には、警告看板が設置されている。

「ここは雨量規制区間ですね。大雨で通行止めになるようです」

朝倉くんが、つぶやくように読み上げた。
このときの私は、その看板がどんな意味を持つのか、まったく想像していなかった。

やがて山頂に向かうにつれ、勾配はさらにきつくなり、道幅も狭くなっていく。
山側の壁には、擁壁工事を施したコンクリートや、落石防止のネットが張られていた。

「大雨が降ったら、土砂崩れしそうね」
「今日は快晴ですから、心配ないですよ」
「そうね」

信用度の高い朝倉くんがそう言うのだから、不思議と安心できた。

私は車内から空を見上げる。

そこには、雲一つない青空が広がっていた。