八年越しの初恋、回収します。〜私のトリコになった部下に、八年前から溺愛されています〜




「朝倉くん!」

本当に道端に座っている彼の姿が遠目に見えたとき、さすがに心配になって駆け足になった。

「瞳子さん!」

私を見上げる朝倉くんは、恍惚とした表情を浮かべている。

(……本当に痛いのかしら?)

なんだか嬉しそうに私を迎えてくれた朝倉くんの前に立つと、私は屈み込んで右足のスラックスをまくり上げた。

そこには傷痕などない──はずだった。
のに! 右脛には青い痣が広がり、うっすらと腫れている。

「うそっ……やだ。本当に痛かったのね!」

てっきり私を呼び出す口実だと思っていた私は、一気に慌て出してしまう。

「ご、ごめんなさい! こんなに腫れているなんて……冷やすものと痛み止めを買ってくるわ!」

慌てて立ち上がろうとした私の腕を、朝倉くんに咄嗟に掴まれた。
そして、ゆっくりと優しく引き寄せる。
資料室と同じ、余裕の笑みを浮かべている。

「……朝倉くん?」
「瞳子さんの顔を見たら、痛みが治まりました」
私は傷に視線を落とす。

(強がり!)

「そんなわけないでしょう!」

正真正銘、そこには傷があるのだ。

「救急に連れて行こうか?」

私が本気で心配しているというのに、朝倉くんは嬉しそうに微笑んでいる。

「瞳子さん、心配しすぎですよ」

「だって、こんなに腫れているじゃない」

「この程度で救急に駆け込んでも追い返されるだけです。大丈夫、歩けますから」

そう言って立ち上がった朝倉くんを見て、私はほっと胸を撫で下ろした。

「歩ける……」

(もう……人を心配させておいて、嬉しそうにするんだから)

呆れながらも、彼の無事に心が一気に軽くなっていた。
そのときだった。

「あれ……雨森さん?」

朝倉くんが笑顔を消した。
視線は私の後方に向けられている。

「雨森さんって……」

私の彼氏の名前だった。
こんなラブホテル街に龍彦がいるわけがない。
そう思いながらも、なぜか胸騒ぎがした。
ゆっくり振り返る。
そして──息が止まった。

「……え?」

そこには、本当に龍彦がいた。

しかも、ピンクのネオンが煌々と光る『ホテル♡ラグジュアリー』の出口から、若い女性と腕を組んで出てきたのだ。

「……どういう……こと?」

心臓が大きく跳ねた。
目の前にいる男性を、もう一度確認する。

やっぱり龍彦だった。
龍彦も、正面に凍りつくように立っている私に気づいた。
ギョッと目を見開いて、直立不動になった。

「と、と、と、瞳子……なんでここに?」

彼の顔から血の気が引き、一気に蒼白になる。
そして咄嗟に女性の腕を振り払い、私のもとへ駆け寄ってきた。

「ち、違うんだ! これは営業の帰りで……彼女の具合が悪くなって、少し休んでいただけでっ!」

身振り手振りを交えながら、苦し紛れの言い訳を並べる。
残された女性は呆気に取られていたが、龍彦に腕を振り払われたことに腹を立てたらしい。

「雨森さん! その女は誰よ! 私が彼女でしょう⁉」

私は、その女性に見覚えがあった。
三田さんから聞いたことがある。
スタイルがよく、顔立ちも整った、広報部の鳴り物入りの美人──。

私は目を細める。

「あなた……たしか……」

「なんでもないよ! この人はっ」

龍彦が女性を背中で隠すように立ち塞がった。

けれど、その隠蔽を許さない人物がいた。
それは、朝倉祐二だった。

「広報の野々宮綾香さんです」

足を痛めていたはずの朝倉くんが、いつの間にか私の真横に立っていた。

「野々宮……綾香……」

以前、三田さんから聞いた名前が頭に蘇る。
龍彦を狙っていると噂されていた女性。
その二人が、ホテルから腕を組んで出てきた。

これで、どうやって言い訳するというのだろう。
目の前で言い訳をしている龍彦が、違う人間に見える。
声が震えそうになる。
でも、震えないように力を込めた。

「龍彦……これ、浮気よね?」
「違うっ! 本当に彼女の具合が悪くて!」

龍彦が、必死に手を大げさに動かす。

(ああ──……)

私は思わず、俯いた。

彼は嘘をつく時──オーバーリアクションをとる。

それは、2年付き合ってきた私にはわかることだった。

だからこそ、彼の下手な誤魔化しに顔を背けたくなった。

(こんなのって、ない。言葉が……出てこない)

そこへ朝倉くんが一歩、前に出る。

「身体にまとわりつく甘美なだるさと、毛先に残る水の痕。これって、事後の余韻ですよね?」
「なっ……!」

龍彦の顔が引きつった。

「朝倉! おまえっ、なんでここにいるんだよ!」

言い訳ができなくなった龍彦は、話の矛先を朝倉くんに変えようとしている。
そう感じた瞬間、私の怒りが一気に沸騰した。

「朝倉くんは関係ない!」

私は龍彦を睨みつけた。

「それより、なんで浮気しているのよ!」

我慢は限界だった。やっぱり声が震える。

「こういうことはっしない人だってっ……信じていたのにっ!」

不器用で純粋な人だから。
私が守ってあげなければ。
そう思って、ずっと支えてきた。

(なのに、この裏切りは許せない!)

怒りと悲しみで、涙腺が緩んでいくのがわかる。

「ごめんっ! 魔が差しただけなんだ! 俺には瞳子しかいない。許してくれ!」

拝み倒す龍彦を見て、過去の出来事が重なった。

仕事でミスをしたとき。
優良な顧客が欲しいとき。
龍彦はいつも、こうやって両手を合わせて懇願する。

そんな姿が哀れで、私はいつも助けてしまった。

「……龍彦」
「瞳子さんっ」

朝倉くんの鋭い声で、はっとした。

「雨森さんの浮気、決定的な証拠を目撃しましたよね?」

揺れ動く私の心を見透かしたような言葉だった。
私は息を飲む。

そうだ──これは、最大の裏切りだ。
許してはいけない!