八年越しの初恋、回収します。〜私のトリコになった部下に、八年前から溺愛されています〜



(──っ!)

キャラそのままの、甘いセリフ!

恥ずかしさで、身体中が硬直する。
どうすることもできない。

韓ドラでしか見たことのないシチュエーションに、無理やり自分が主人公にされたような気分になる。

こんなとき、いったい何を言えばいいの?
気の利いた切り返しなんて、私には思いつかない。

ただ、熱のこもった頬が恥ずかしくて、肩をすぼめるしかできなかった。

彼の顔が近づいてくる。

綺麗な顔。
長い睫毛。
陶器のような肌。

こんな綺麗な男性に好意を持たれて、嫌な女性なんているのだろうか。

……しかし。

(やめてよ! 私の心を乱そうとするの!)

私は目を強くつぶった。

私は上司なのよ!
いくらかっこいいからって、甘いセリフで攻めようとしても、私は動じない!
ここで流されたら、上司としての威厳がなくなってしまう。

ナメてもらっては困るのよ!

「や、やめなさいっ!」

パイプ椅子の背もたれを握る私の手に、瞬発的に力が宿った。

その瞬間──。

ドガッッ!

力いっぱい押し出したパイプ椅子が、朝倉くんの右脛を直撃した。

「痛っ!」

鈍い音が、狭い資料室に響き渡る。

「えっ……」

思いのほか、強く打ち付けてしまった。

朝倉くんの顔が苦痛に歪み、そのまま後ずさる。
そして、右足を押さえながらしゃがみ込んでしまった。

(や、やりすぎた⁈)

「ご、ごめんなさいっ!」

私は慌ててパイプ椅子を放り出し、朝倉くんのもとへ駆け寄った。

「大丈夫? ちょっと見せて」
「……」
「朝倉くん?」

返事がない。
やっぱり、かなり痛かったのだろうか。
私は心配になって、彼の脛の状態を確認しようと手を伸ばした。
その瞬間。

ぎゅっ。

伸ばした手を、逆に掴まれてしまった。

「えっ?」

思わず顔を上げる。

「朝倉くん……?」

「大したことはないですよ」

先ほどまで痛そうに俯いていたはずの朝倉くんが、ゆっくり顔を上げる。

その顔には──まさかの余裕の笑み。

「え……?」

さっきまで、あんなに痛そうにしていたのに。

「でも……」

朝倉くんの指が、私の手を逃がさないように絡む。

「傷が痛む時は、瞳子さんがちゃんと手当てしてくださいね」

「……は?」

思わず間の抜けた声が出てしまった。
先ほどの痛がり方からは想像もできないほど、朝倉くんは嬉しそうに笑っている。
その緩急についていけず、私は呆気にとられてしまった。

「ちょっと……」

抗議する間もなく、朝倉くんは私の手を自分の手で包み込む。
そして、そのまま私の手を自分の頬へぴたりと当てた。

(なっ!)

陶器のように滑らかな肌が、手のひらに直接触れる。
私の一気に顔が熱くなった。

「ちょ、ちょっと朝倉くん!」

「瞳子さんに触れることができました」

「……だから何なのよっ」

「少しずつ、距離が近づいてますね」

朝倉くんの陶器肌に、ほんのり赤みが差している。
本気で喜んでいるのが伝わってくる。
その顔を見ていると、呆れるより先に、なんとも言えない気持ちになった。
ここまでされると、彼の異常な執着心に関心さえしてしまいそうになる。

(だけど……)

私は、ふっと息を吐いた。
そして急に、すん、と落ち着きを取り戻す。

(この執着も、若さゆえの一時的なものよ)

そうだ。
今は私のことしか見えていないのかもしれない。
でも、彼はまだ若い。
社会人として経験を積んで、いろいろな女性と出会えば、きっといつか目が覚める。
そう思うと、さっきまで全身を支配していた緊張が、嘘のように抜けていった。

私は小さく笑う。

「朝倉くん」
「はい」
「足は痛くない?」
「はい! 今は」
「もう、痛む予定があるような言い方して」
「手当てしてもらえるなら、少しくらい痛くても……」
「そういうことを言っているんじゃないの」

私は呆れてため息をついた。

「歩けるなら職場に戻ろう。さっきの話の詳細も聞きたいしね」

仕事の話をしている間くらいは、普通の部下と上司に戻ってもらわないと困る。
すると朝倉くんは、すっと表情を変えた。

「あの案件、瞳子さんと取りたいです!」

仕事モードに切り替わった朝倉くんを見て、私は胸を撫で下ろした。

「ええ。任せて。しっかりアシストするから」
「はい!」

その返事だけは、いつもの朝倉くんだった。

……いや。

(気にならないといえば……嘘になる)

私は朝倉くんを横目でちらりと見る。
彼は、少し変わっている。
距離感もおかしいし、時々とんでもないことを平然と言ってくる。
正直、どう接すればいいのかわからなくなることもある。

けれど。心は純真で、悪い人間ではない。

むしろ、私が困っていると誰より早く気づいてくれる。
今日だって、朝から思い詰めていた私を心配して、わざわざジュースまで持ってきてくれた。

迫られてドキドキしない女性なんて、いないだろう。
それだけ、彼は魅力に溢れた男性なのだ。
でも、今の私は、彼と真正面から向き合うことなんてできない。

思わず俯いてしまう。

(李人のこと……留学費のこと……それに、龍彦のことも……)

私には、考えなければならないことがたくさんある。

今までだって、そうやって生きてきた。

李人を守って、仕事を頑張って。
自分のことは後回しにして、それでも毎日を過ごしてきた。

それで楽しかったじゃない。
これ以上を望んだら、きっと罰が当たる。

私は顔を上げた。
そして、しっかりと前を向く。

「これからも仕事、頑張ろうね」

朝倉くんに言うというより、自分自身に言い聞かせるように、私はぽつりと呟いた。

「……ええ」

朝倉くんも静かに答えた。
その声に、私はもう一度だけ彼を見た。

だけど──。
このときの彼の目の輝きが、どこか異様だったことに私は、まだ気がついていなかった。