八年越しの初恋、回収します。〜私のトリコになった部下に、八年前から溺愛されています〜







「瞳子さん。おはようございます」

いつもの信号待ちで、いつも通り、朝倉くんが声をかけてきた。
眩しいほど美しい顔の朝倉くんが、にこりと笑っている。

(この笑顔は、癒しなのよね……)

彼は李人とどこか似た笑みを浮かべる。
私はマフラーに包まれながら、彼の顔をじっと見てしまった。

「おはよう、朝倉くん」

彼はなぜか、私の顔を覗き込むように見つめてくる。

「な、何か?」

私は気恥ずかしくなって、ふいっと目を逸らした。

「瞳子さん、疲れていますね。顔色があまり良くありません」

(すごっ。その通り!)

昨晩は李人の留学費について、悶々と考え続けていたのだ。
思わず目を丸くして、彼を見返した。

「朝倉くん……あなたって、すごい観察眼ね」
「はい! 毎日顔を合わせておりますから、些細な変化も見逃しません!」

「……ありがとう」

これなら、雨森との密会にも気づくはずだ。

(嬉しい……)

胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなる。
けれど、今の私には、それ以上に大きな現実問題が立ちはだかっていた。

「でも、今日は一人にしてね」

無意識に、そんな言葉が口からこぼれた。

「……瞳子さん?」

彼に説明する気力もなく、私は視線を前へ戻した。



「半年の留学で三百万円は必要です。保証を兼ねて、利用口座に入金があることを確認いたします、だって……」

ここは職場の総務部資料室。
人の出入りが少ない部屋に、私は閉じこもっていた。
がたつく椅子に座り、李人に打ち明けられた留学費用について調べている。

私が了解したところで、資金がどうしたって足りないのは明らかだった。

「はあ……教育費は青天井って、本当ね……」

考えすぎて糖分を使い果たしたようだ。
私は、がたつく机に突っ伏した。

(ああ……誰かに相談できたら、少しは気が軽くなるのにな)

そう思った瞬間、脳裏に浮かんだのは龍彦ではなかった。
柔らかな笑みを浮かべる、朝倉くんだった。

「……え?」

思わず上半身を跳ね起こす。

(なぜ、彼氏より朝倉くんが浮かんじゃうの⁈)

一気に頬へ熱が集まった。

「これでエネルギーをチャージしてください」

「はい?」

誰もいないはずの空間から、声がした。
いや……これは聞き覚えのある声。

ゆっくり振り返ると、真後ろにオレンジジュースを片手に持った朝倉くんが立っていた。

私はガタンッと大きな音を立てて椅子を倒し、慌てて立ち上がった。

(……だからっ、どうして今、この人が来るのよっ!)

なぜか胸の鼓動が速くなる。
彼から目が離せない。

「い、いつの間に後ろに?」

「今回はノックをしました。スマホに夢中で聞こえていなかったんですね」
そう言って、彼はチラリと入り口へ目を向けた。

「確かに……考え事をしていたから……」

(……あなたのことだけど)

私は急に目が泳ぎ出す。

「ど、どうしてここが⁈」

自分から訊いておいて、藪蛇だったと気づく。
彼は、いつも私を観察しているのだから。

「瞳子さん、朝から思い詰めていたので、心配になって糖分チャージをしに来ました」

そう言って、片手に持っていたジュースを差し出した。

「え?」

戸惑う私に、朝倉くんは淡々と続ける。

「──というのは表向きで、本当は仕事の相談です」

高級生搾りシリーズのオレンジジュースを、私の手に渡してくる。

二人きりの空間で、彼の好意を無下にはできない。
私はありがたく受け取ることにした。

「……ありがとう」

部下からの気遣いが、少し気恥ずかしい。
小さく呟くように礼を伝えた。

(切り替えよう。仕事だ!)

「それで、相談って何かしら?」
私は乱れた髪を手櫛で整えながら訊ねた。

「大口の契約が取れそうです」
「本当? すごいじゃない!」
「はい。しかし、一年目の私では信頼が薄いので、実績のある上司との同伴を条件に、契約を検討すると言われまして……」

朝倉くんが残念そうに、そっと目を伏せた。

(いくら凄腕の金融マンでも、実績は一年目だものね。ここは私がひと肌脱がないと!)

「大口契約ね。任せて。朝倉くんが取れるように、私がアシストするから!」

李人の留学費のこともあり、私も俄然やる気がみなぎった。

(大丈夫。二人の力で契約を取れる!)

期待に胸を膨らませ、私は目を輝かせた。

しかし、ふと前を見ると──椅子を挟んで、目の前に朝倉くんが迫っていた。

(ん? ちょっと近いかな)

私は意識して一歩下がった。
すると、彼が一歩近づく。

(わかってやってるわね。この距離の詰め方……よくない、よくない!)

私の心臓が徐々に速く打ち出す。
椅子を挟んで、私は一歩、また一歩と後退していく。
彼もそれに合わせるように、歩を進めてくる。
そしてついに私は、シェルフとシェルフの間で壁に背をつけた。

(もう、後がないっ)

それなのに、朝倉くんは無表情のまま、一歩、また一歩と近づいてくる。

私は慌ててパイプ椅子の背もたれを掴み、彼との間に緩衝地帯を確保した。

「朝倉くん、居室に戻って話を聞くわ。そこをどいてもらえる?」

ざわつく心をおくびにも出さず、私は冷静に伝えた。
しかし、彼には伝わっていなかった。
シェルフに両腕を伸ばし、私を囲ってしまう。

椅子一脚分の距離が、唯一の安全地帯。

(なんとも頼りない!)

「こ、これ以上はダメよっ」

慎みのない彼の追い詰め方に、私の心が乱れる。

それに気づいたのか、朝倉くんが、ふっと目を細め小さく笑う。

「ふっ、この椅子が唯一の武器なんですね?」

「なっ!」

心を見透かされ、私は一気に顔が熱くなる。

調子づく朝倉くんは、手を緩めない。

「僕が屈めば、瞳子さんに口づけできます」