その言葉だけが、急に私的だった。
私は、息を吸う。
返事の選択肢がいくつも浮かぶ。
懐かしいとか、元気だったとか。
過去の話題に逃げる言葉。
でも、口から出たのは、仕事の延長みたいな声だった。
「そうですね。……久しぶりです」
あきは、少しだけ笑った。
笑い方が、昔と同じだった。
「同じ業界にいると、会いますね」
「……そうですね」
「この会場、いいですね。現場が丁寧です」
褒め言葉。
でも、どこか評価にも聞こえる。
私は曖昧に頷いた。
「ありがとうございます」
そこで、あきが何か言いかける。
——昔なら、この間に何かを言ったかもしれない。
でも、彼は言葉を引っ込めた。
引っ込めるのが上手くなっていた。
代わりに、名刺を一枚差し出してくる。
「一応、改めて」
私は受け取る。
“高橋 秋忠”の文字。
肩書。
会社名。
あの頃の彼の未来が、紙の上に整然と並んでいる。
私は、自分の名刺を返した。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
あきは一度だけ会釈して、サロンを出ていく。
扉が閉まる音が、静かに響く。
私は名刺を指先で持ったまま、
その場にほんの少しだけ立ち尽くした。
胸の奥が、冷えるわけでも、熱くなるわけでもない。
ただ、
時間が一枚、めくれたみたいだった。
