あなたが白制服に着替えたら、それが恋のはじまり




次の日は土曜日だった。

夏帆の幼稚園勤務は土日祝日がお休み。艦艇勤務である成瀬も基本は同じ休み体制だ。しかし成瀬は急遽仕事が入ってしまい休日出勤となってしまった。夏帆は成瀬の朝食作りのために早起きをしていた。

部屋の窓を開け空気を入れかえる。青森も真夏はそれなりに気温が上がるが、朝晩は涼しいので助かる。夏帆は朝の清々しい空気を吸い込み、ゆっくりと吐いた。そしてキッチンに戻ってエプロンの紐を右前にきゅっと結んだ。

「朝はグリーンサラダに雑穀米パン、マッシュルームとチーズのスクランブルエッグにコンソメスープ!」

機嫌よく一人メニューをつぶきプライパンを取り出した。料理歴も長い夏帆は、食事作りのルーティーンは出来上がっている。温かく提供したいものが出来上がる時間を逆算してその他のおかずを準備してゆく。頭で考えるというより、体が勝手に動くといったほうが正しい。

玉ねぎを細切りにしてきつね色になるまでソテーしてから水を入れて沸かす。その間にサラダを洗って水切りし、マッシュルームとベーコンを刻み炒める。火が通たら一旦火を消す。成瀬が食べる直前に半熟で提供するためには卵を投入するのはまだ早い。次にパンをトースターにセットする。

最近は父親の健康も考えて雑穀パンに切り替えた。父親はもったいないというが、夏帆は健康をお金で買っているようなものだから贅沢とは思わない。早くに母親を亡くした夏帆にとって唯一の家族である父が健康でいることがなによりの幸せなのだから。 朝食の準備は時間通りに進んでいった。

「よし。できた」

(あとは成瀬さんが起きてきたら仕上げましょう♪)

夏帆は指差しながらルンルンでお膳を準備した。

「夏帆さん。おはようございますます」

成瀬の朝の挨拶が夏帆の背中越しに聞こえた。夏帆はドキンと胸打つ心臓に自分でもびっくりしながら振り返った。目の前にシンプルな紺のTシャツ姿に寝癖のない完璧な成瀬が立っていた。

(ひゃー。朝から爽やかすぎるっ!)

「お、おはようございます……」

おぼんを胸の前で抱えて、夏帆は成瀬の顔に見惚れそうになりながら返した。

「朝食、ちょうどできました。どうぞ食べてください」

「不思議ですね。昨日の夜、あんなに夏帆さんの手料理を食べたのに、朝食の匂いがしてきたらお腹が空いてきました」

成瀬は胃の辺りに手を当てながらそう言ってくれた。彼の自然な微笑みに慣れていない夏帆は心が落ち着かない。でも純粋に彼の言葉が嬉しかった。

「朝はサクッと食べられるメニューにしていますから」
「しかし、手は込んでいる。見ればわかります。本当に有難いです」

成瀬が柔らかい表情で夏帆を見てくる。そして席に着くと、夏帆をその顔で見上げてきた。目が合った夏帆は思わず訊ねた。

「どうかしました?」
「夏帆さんは、もう食べましたか?」
「いえ、まだですけど……」
「一緒に食べませんか?」
「い、いんですか?」
「いけない理由なんてないですよ」

ははっと成瀬が顔を崩して笑った。その顔をみた夏帆は成瀬がこの家でリラックスしていることがわかった。自分だけが変に意識して緊張していると。

(私、カチコチしすぎている?)

「じゃあ、一緒にいただきます」

夏帆も肩の力を抜き成瀬と一緒のテーブルに朝食をセットした。

「では、いただきます」

成瀬と夏帆は二人で手を合わした。

「スクランブルエッグのこの半熟具合。プロですね」
成瀬が口にほおぼりながら目を開いた。
「私、卵料理が好きなんです。だからだいぶ研究しましたよ」
「なるほど。夏帆さんは和食も洋食も得意なんですね」
「より美味しく、でも短時間で。そんなことを無意識に鍛錬しているかも」
「ふふ、夏帆さんはまるで職人だ」
「本当にそれです」
夏帆も自分で言って笑ってしまう。

休日の朝、成瀬と囲む食卓。夏帆が憧れる『家族と温かい食卓』とはまた違うけど、きっと楽しい時間を過ごすという意味では一緒なのかもしれない。コンソメスープを一匙すくってチラッと上目で成瀬をみる。

(新婚さんってこんな感じなのかな)

そう考えてしまった夏帆の頬がぽっと赤くなってしまった。成瀬に気がつかれないようにフーフーとスープを冷ます真似をしてみた。

「ああ、今日のコンソメスープは大成功みたいです。いつもより美味しくできてますよ」

夏帆は満足げに微笑んだ。

「オニオンをソテーしたんですね。やっぱり手作りは一味違います」
「手作りってわかるんですね。成瀬さんって、料理されるんですか?」
「いえ。母が洋食が得意で。子供の頃はよく横に立って見てましたから」
「洋食ですか、なんだかすごいごちそうを作ってくれそうですね」
「いえいえ。自分のために作ってくれたものは、梅干しおにぎもでも嬉しくて万歳しちゃいますよ」

成瀬がそう屈託なく笑うと、なぜか夏帆が顔を真っ赤にした。

「どうしました?」
「いえ……もしよかったらと思って作ったんですけど…」

夏帆はキッチン横に準備していたプティブーケの巾着を取り、そっと成瀬に手渡した。成瀬が不思議そうに中を開くと、かわいいドットピンクのアルミに包まれたおにぎりが二つ入っていた。

「船の修理中は食事も提供されないって父から聞いたので、おにぎりを握りました。……梅干しの」

俯き照れながら夏帆は説明をした。なぜ夏帆が照れたのかを理解した途端、成瀬が弾ける笑顔を見せた。

「嬉しいですよ、僕のために梅干しおにぎりを作っていただけるなんて。一応やっておきましょうか?」
「え? 何をですか」

バンザーイと成瀬は大袈裟ではない程度に両手を上げて喜んでくれた。

(こんなこともしてくれる人なんだ。ものすごく普通の人なんだな)

夏帆は成瀬の何げない心遣いに、彼への緊張が解けてゆくのがわかった。

「梅干しにして大正解でしたね」
「ですね」

二人は顔を見合わせ笑った。成瀬との会話は流れるように自然で気負いも遠慮もいらなかった。成瀬には何気ない一コマかもしれない。しかし夏帆にとっては成瀬との期限付きのこの朝食が一生の思い出になりそうだった。

そして夏帆は成瀬の出勤を玄関で見送る。成瀬が官帽をきゅっと被る。夏帆は成瀬の白制服姿を見ると、どうしても胸が高鳴ってしまう。

(かっこいいのは事実だもの。しかも成瀬さんとの同居は期間限定。見とれたって怒られないよね)

成瀬は朝食時の表情とは違って精悍だ。だから夏帆も背筋を伸ばした。

「夏帆さん、行ってきます」
「はい。お気をつけて」

(いつまでもみていたくなるよ……)

成瀬の後ろ姿を見送りながらにやけてしまいそうだった。しかし夏帆は用事を思い出した。閉めかけた玄関ドアを開いた。

「そうだっ! 今日、成瀬さんのお部屋に入ってもいいですか?」
「部屋にですか?」
「掃除をしたいんです。急だったのできちんとできてなかったので」
「お気遣いありがとうございます。ではよろしくお願いします」

そう言って成瀬はさわやかな笑顔を残し出勤をしていった。