あなたが白制服に着替えたら、それが恋のはじまり




あれから亮介からは何も音沙汰もなかった。

(成瀬さんのおかげ。本当に頼もしい)

夏帆は風呂から上がり、化粧水をパタパタつけていた。

いよいよ明日、小湊ねぶた祭りだ。
夏帆は地区の運営管理の係りがあり、祭り前に一足先に会場に入って飲み物や弁当の手配をする。そのため明日はねぶたの会場で成瀬と待ち合わせになる。その説明を成瀬にしなければいけない。

(成瀬さん、さっき帰ってきてたよね)

小湊ねぶたのチラシを手に取り、そっと部屋のドアを開けてみる。成瀬の部屋の明かりが漏れていた。

(成瀬さん、いる!)

早速説明をしに行こうと思ったので、一応姿鏡で自分の姿をチェックした。今日はミルキーピンクの柄もないいたってシンプルな寝巻を着ている。ホットパンツは露出が気になるところだが、成瀬は全く反応しないようなので大丈夫だろう。それよりも夏帆は鏡に近寄った。

(素顔っていうのが、ちょっと恥ずかしいのよね)

夏帆の普段の化粧は濃くはないが、気になる部分はメイクでカバーしている。素顔はそこもすべてさらけ出しているので好きな男性の前では少し恥ずかしいのだ。軽くメイクでもしていくかと悩んだ。

(お風呂に入ってメイクしているのも不自然だよね)

結局素顔のままで部屋に行くことにした。コンコンとノックしすると中から声が聞こえ、着替えを済ませた成瀬がドアを開いた。

「―――夏帆さん? ど、どうしました?」

成瀬が一瞬驚いた表情になった。その顔をみて夏帆も焦った。

(あ……やっぱり、すっぴん、まずかった?)

成瀬の目の前に来てしまったのでいまさらであった。夏帆はそのまま話を進めた。

「あ、あの。明日のねぶたの待ち合わせを決めようと思いまして」
「あ……そうですね。じゃあ……中へどうぞ」
「ありがとうございます」

相変わらず綺麗な部屋だった。中央に二人で座り夏帆はチラシを成瀬に向けておいた。そのチラシには会場の地図や出場組、時間などが記載されている。夏帆は会場図を指さしながら成瀬に説明する。

「明日はここで待ち合わせましょう。私の係りの仕事はすぐに終わるので、ねぶたは一緒に鑑賞できますから」

そう言って成瀬に笑顔をみせた。明日の祭りで二人並んでみれることを想像すると、夏帆はいまからウキウキになってしまう。説明する夏帆の声もどこか弾んでいた。成瀬はどこか上の空で「はい…」と返事をするだけだった。

(あれ? 成瀬さんのテンションが低いな)

「成瀬さん、体調でも悪いですか? 元気がないようですけど」

「いいえ。そんなことはありません」

成瀬は我に返り手を振った。そして視線をチラシに集中させながらつぶやく。

「ちょっと……仕事のことを考えていて……」

「お忙しいですもんね。明日は仕事になりそうですか?」

「いえっ。大丈夫です。明日は一緒に見ましょう」

夏帆には成瀬らしくない作ったような笑顔に見えた。

「本当に?」
「本当ですよ」

夏帆はなんだかしっくりこなかった。

「では、わたしもお風呂に入ってきますね」

成瀬のよそよそしさは気になったが、大変な仕事なのだからそういう日もあるのかなと夏帆をそう思うことにした。

「では、明日。楽しみにします」

夏帆は成瀬の部屋をでた。

(成瀬さん、もしかして体調悪いのかな)

夏帆はぼーっとしていた成瀬が心配になった。

(成瀬さんも人間だもの。体調の浮き沈みくらいあるわよ)

夏帆はそう理解していた。



夏帆が部屋から出て行ってポツンと部屋に残った成瀬だった。風呂の準備は始めず、胡坐に腕組をして深く考え込んだ。

(無自覚な色気ほど罪なものはないな)

仕事から帰ってきてホッとしているときに夏帆がやって来た。しかも、風呂上がりのピカピカ素顔に可愛らしい色のパジャマを着て。成瀬も他の男性と同じく、女性の素顔は化粧している顔より断然に可愛いと思ってしまう。それなのに夏帆は美しい素顔で恥じらいながら部屋に入ってきたではないか。成瀬はねぶたの打ち合わせとわかってはいるが、何かを期待してしまう自分に戸惑っていたのだった。

(夏帆さん。あの姿であの笑顔はきついです……)

座った夏帆のホットパンツから太ももが見えていた。

(同居してからずっと直視を避けてきたのに)

夏帆は成瀬は自分のパジャマ姿に興味がないと勘違いをしているが、実はそうではなかった。成瀬は夏帆の白く透き通る肌を魅せられると、久々に自分が男であったことを自覚させられてしまうのだった。普段、家の中では視線さえ合わさなければ簡単に回避できた。しかし「見てください」と夏帆の膝辺りにパンフレットを置かれてしまい、否応なしに目線をへ向けなけらばならなかった。集中してしまわぬように意識を逸らす努力をしていたのだ。それで夏帆からの問いかけに生返事になってしまったのだが。

恋人同士なら正直にいえるだろうが、まだ成瀬たちはただの同居人。「欲情しそうです」などと言えるわけがない。咄嗟に出てきたのが「お風呂の準備をしますので」という言葉だった。

なんとも情けない気持ちの成瀬は膝の上においた手を握った。夏帆の無邪気な笑顔に触れたいと惜しみつつも、ぐっと踏ん張った自分は偉いと思う。しかし、欲情気味の自分が何もなかったように風呂に入ることはできない。

(どうするか。こうなったら安全に発散させるしかないだろうな)

成瀬は走り込みをするために運動用のシャツに着替えた。玄関でスニーカーの紐を結んでいたら、夏帆に声を掛けられてしまう。

「成瀬さん⁈ こんな時間にどうしたんですか?」
「あっその……最近、運動不足なので走り込みをしてきますね」

(夏帆さんの顔をまともに見られない!)

「でも、もう二十二時ですよ?」
「……今夜は走り込んだほうがよく眠れそうなので。行ってきます!」
「……そうですか。気を付けてくださいね」

首を傾げる夏帆をしり目に、成瀬は振り返らずに走りにでていくのだった。

走り込んだ成瀬の全身からは大粒の汗が吹き出していた。どうやら欲も流れ去り気分は爽快だった。家に帰り着き、水を飲もうとダイニングにいくと夏帆がひょこっと顔を出した。

「成瀬さん、お疲れ様でした!」
「夏帆さん……どうしたんですか?」
「じゃーん。特製の梅ジュースです!」

夏帆から冷えたグラスを手渡された。中にはシュワっと炭酸が入っている。

「毎年、梅をジュースにしているんです。梅にはクエン酸が入ってますから疲労回復に役立ちますよ」

夏帆は先ほどと同じ笑顔で成瀬を見せていた。しかしすでに走り込んで毒を流した成瀬は変に反応することはなかった。むしろそんな夏帆をみて、ホッとすると同時に純粋に抱きしめたくなった。

(夏帆さんは、やっぱり可愛い)

「有難くいただきます」

そういって甘酸っぱいシュワシュワ梅ジュースを飲むのだった。