あなたが白制服に着替えたら、それが恋のはじまり




夏帆と成瀬の同居が始まって二週間が経とうとしていた。ライフライン修理中の艦艇は未だ復旧は未定だという。期限付きの同居はもう少し続きそうだ。

「先週の園の祭りの片付けがあるの。今日は早めに出勤するね」

夏帆は仕事のために成瀬の出勤時間の六時半に合わせて支度をしていた。

「一緒に出勤ですね」
「そうなんです」

朝から雰囲気のいい二人に父の佳孝は見て見ないふりをするのが精いっぱいだ。この数日で成瀬と夏帆の距離がさらに近づいたことを佳孝も感じていた。

「じゃあ、お父さん。行ってくるね」
「では、いってまいります」

夏帆に続いて成瀬も挨拶をして玄関をでた。二人はそれぞれ車通勤だ。夏帆はバックから車のキーを取り出していると横にいた成瀬が足を止めた。

「あ、忘れ物をした。夏帆さん、先に出勤していてください」
「はい。では、お先に」
「気を付けていってらっしゃい」
「成瀬さんも」

お互いに挨拶をして成瀬を一旦家に戻った。夏帆はそのまま敷地に止めてある車に向かった。スマートキーで開錠し運転席ドアを開いた時だった。

「夏帆」

夏帆を呼び止める声がした。それは聞き慣れた、そしてニ度と聞くことはないと思っていた声。夏帆は跳ねるように顔を上げた。そこにいたのは元カレの亮介であった。

くっきり二重の整った顔に短髪。一見、清潔感のある男だ。しかしそれは夏帆が苦しんで縁を切った男である。その顔が視界に入った夏帆は呼吸を止めてしまう。

(何しに来たの?)

胸がズシンと重くなり苦しくなった。

「久しぶりだな。夏帆」
「……」
「なんだよ。無視か? この前だってメールしたのに、なんで返信してくれないんだ」 

そういって亮介は夏帆の自宅敷地内に入ってきた。

「……来ないでっ!」

夏帆はか細く震える声でなんとか制した。二か月前の出来事はまだ生々しく覚えている。失恋の傷口がようやく治って来たのに、そこを無理やり抉られるような気分に襲われた。

「夏帆と話がしたいんだ。時間をくれよ」
「話すことなんてない。帰って!」

今更、夏帆は話などする気はなかった。しかし亮介は軽く息を吐いてこう言うのだ。

「カスミがバツイチ子持ちなのこと、なんで俺に教えてくれなかったの?」

浮気相手だった誠くんママの話をされ、夏帆は一瞬で険しい表情を作った。

「カスミに子供の幼稚園の祭りに誘われてさ、初めて子持ちのバツイチってカミングアウトされた。しかもカスミの子供、夏帆の幼稚園に通ってんだってな」

亮介はなんともふてぶてしい態度だった。どうやらカスミがシンママであることを知らずに付き合いが始まったらしい。そして、先日の園でのねぶた祭りに誘われた際に子供の存在を知り、話が違うとばかりに不機嫌になったのだろう。

亮介は好きな人のバックグラウンドを受け入れるような器が大きい男ではなかった。それが透けて見え、過去にこんな人と付き合っていたのかと夏帆は情けなくなるし悔しくなった。嫌悪から夏帆の腕に鳥肌が立つのがわかった。

「それは亮介とカスミさんの問題でしょう? 二人で話し合って」

夏帆も突き放すように伝えた。しかし亮介がひくことはなかった。

「子供の存在を後出しするなんてカスミもずるいよな。そのことでカスミと揉めてんだよ。知ってて黙ってた夏帆にだって責任はあるよな?」

二人の問題なのに亮介が夏帆を責めてきたのだ。見当違いも甚だしかった。

「私に責任を転嫁しても解決にはならないでしょう? きちんと相手を知ろうとしないで付き合ったあなたが悪いわっ」

夏帆は亮介に鋭い視線を刺した。

「でも、俺たちの別れ話のときに教えられたはずじゃん。なんで黙ってたの?」

自分に落ち度はないという亮介の開き直りに、夏帆の怒りもじわじわと高まってゆく。

「自分の別れ話のときに、亮介の浮気相手のことなんて考える余裕なんてあると思う? 私は辛かったっ! ものすごく傷ついていたのよっ?」

「もしかして夏帆、俺に腹が立ったからわざと黙ってた? おれが不幸になればいいって思ってただろう?」

亮介は自分のやったことは棚に上げて今度は被害者づらをしてきた。さすがの夏帆もこれには呆れてしまった。相手にするべきではないと頭の隅ではわかっていても言ってやりたくなった。

「亮介の性格がこんなに悪いなんて知らなかった! 知っていたらカスミさんに伝えていたわっ。亮介はやめた方がいいって!」

夏帆が語気を強めて言い放った。さすがの亮介にも突き刺さるかと思いきや、当人はしらけムードを出していた。

「じゃあ、俺と別れるように夏帆からカスミに言っといてよ。カスミは美人なんだけどさ、気が強くて別れ話になると執着がすごくて参ってるんだよ」

「……ふざけないで」

「でさ、今後も夏帆と連絡とりたいわけ。だから俺とのメールか電話を復活させといてよ」

話の通じない亮介に夏帆は怒りで動けなかった。にやついた顔で亮介が夏帆に一歩二歩と近づいてきた。しかし亮介は足を止め、夏帆の左斜め上を目を丸くして見ていた。

(え? なに?)

亮介の視線をそのまま追いかけると、夏帆の左横には成瀬が立っていたのだ。成瀬は無表情にも見えた。しかし体中にエネルギーを溜めているような熱を感じた。

「成瀬さんっ……」

成瀬を見た瞬間、夏帆は我に返った。

(亮介とのくだらない会話、成瀬さんに聞かれた?)

成瀬は二人の会話を聞いていただろう。なんともくだらない、そしてどうしようもない会話だったはずだ。なんてついていないのだろうと夏帆はこの状況に泣きたくなってしまった。
 
亮介は家から出てきた成瀬を認識すると呆れ顔になった。

「なんだよ……夏帆、もう男がいるのかよ」

付き合っている最中に浮気相手に走った亮介にはいわれたくない。夏帆は亮介を睨んだ。

「ちがうっ。あなたと一緒にしないでっ!」

「あ、もしかして夏帆もこいつと浮気してた? だから俺とあっさりと別れたんだ。そうだろう?」

一人で勘違いして納得する亮介に夏帆のイライラが最高潮になってしまう。

「私は浮気なんてしないっ。勝手なことばかり言わないでもう帰って!」

夏帆は怒りに満ちた声をぶつけた。同時に成瀬が大きなコンパスでゆっくりと亮介の目の前に立った。さすがに百八十近い成瀬が目の前に立ちはだかると、亮介もくっと見上げてしまう。

「な、なんだよ。どいてくれる?」

亮介は眉間にしわをよせ成瀬を追い払おうとした。そこに成瀬が被せるように口を開く。

「夏帆が嫌がっています。お帰りください」

今、夏帆―――って呼んだ?

成瀬に何が起きたのかと夏帆は目を丸くしてみてしまった。夏帆を名で呼ぶ成瀬に亮介はいやらしく目を細めた。

「夏帆―か。今日はお泊りですか? 俺と別れてすぐにこんな関係になってんなら、夏帆も俺のこと責められないじゃん」

毒づく亮介をみて成瀬の目も鋭くなる。

「夏帆とは結婚を前提に同棲をしています。あなたと一緒にされては不愉快です」

それを聞いて驚いたのは亮介だけではない。同居がいつから同棲になったのだろうと夏帆も戸惑った。

(もしかして成瀬さん、亮介を追い払うために私の彼氏のフリをしてくれているの?)

たぶんそうだろうと理解した。亮介から夏帆を助けようと成瀬が庇ってくれている。申し訳ない気持ちと同時に頼もしく思えてしまった。

「夏帆に手を出したら許さない。今すぐここから出ていけ」

成瀬はいたって冷静に対応していた。

「じゃあ、帰らなかったら彼氏さんは俺に手をだすの?」

亮介は手を出せとばかりに近づき煽って来た。成瀬はそんな亮介にのることなく見下ろしていた。

「自衛官は手をだしたら懲戒もんでしょ? どうせ何も出来ないくせに強がらないでくださいよ。ははっ」

亮介は成瀬を嘲笑った。それを見た成瀬も小さく笑った。

「おっしゃる通りです。だから先ほど警察に通報しておきました。敷地内に不審者が侵入しているとね」
「け、警察?」
「そろそろ来ます。それでもここに居たいのなら、ご自由にどうぞ」

成瀬はそう言うと亮介から視線を外し、夏帆に柔らかい笑顔で振り向いた。

「もう、大丈夫だから」

そして成瀬が本当の恋人同士のように自然に右手で夏帆の肩を抱き寄せた。夏帆のつややかな髪がさらりと揺れた。

(きゃーーーー。今、抱き寄せられていますけどぉ⁈)

夏帆は何が起こったのか理解が追いつかない。ただただ顔を紅潮させて成瀬の右腕の中にすっぽり収まっていた。そんな胸キュンとは正反対に、亮介の動揺っぷりはすごかった。

「…お、俺は不審者じゃない! 通報なんてするなよ!」

亮介はきょりきょろと周囲を見回り焦りだした。商売人に亮介にとって警察にやっかいになるのは一番避けたい。警察のお世話になってしまったら小さな町にはすぐに噂が回り商売に影響がでてしまう。というのもドラックストアは父親が経営者であり、亮介の立場はそこの従業員。悪いうわさが立てば父親にこっぴどく叱られてしまうのだ。

「ふ、ふざけんな。お、俺は何にもしてないからなっ!」

亮介はそんなセリフを吐き、足早に敷地から出て行ってしまった。その逃げ足の速さに夏帆も口を開けて呆れてしまう。成瀬は見事に傲慢な亮介を負け犬の如く撃退させてしまった。

「夏帆さん、大丈夫でしたか?」

成瀬は腕をさらりと腕を解き、夏帆を案じてくれた。

(夏帆さん、に戻っちゃった……
 成瀬さん、離れちゃった……)

夏帆はこんな時に全く関係ないことで残念がるなんてと戸惑った。しかし、成瀬の亮介への対応は素直に嬉しかった。まるで恋人のようにふるまってくれた成瀬に夏帆の心が跳ねていまだにキュンキュンしていた。

「あの、成瀬さん。本当にありがとうございました」

夏帆は丁寧に頭を下げてお礼を伝えた。

「夏帆さんを守るのも家の男の使命ですから」

成瀬はそんなことをさらっと言いのけてくる。どういう意味なのかと夏帆の頬がぽあっと赤くなる。たぶん、同居している間の仮の家族としての使命なのだろうと理解した。

「まさか成瀬さんが彼氏のフリをしてくれるなんて」

夏帆が申し訳なさそうにする。成瀬は一瞬キョトンとするが少し考えてから「……咄嗟にでてしまいました」少し困った顔でそう笑った。

「夏帆さん、油断しないで。また来たら本当に通報してください」
「え? 今回も通報したんでしょう?」
「していませんよ。彼の売り言葉に乗っただけだから」

成瀬はなんてことはないといった顔でまた笑った。

(すごい。私なんてまともに相手にしてしまった。一人だったらきっと、あのまま収集がつかなかった)

夏帆の中でますます成瀬への信頼と恋心が増してゆくのがわかった。

「仕事に遅れるな。そろそろ行きましょう。夏帆さん、本当に大丈夫ですね?」

「平気です。最後は成瀬さんが気持ちよく撃退してくれたからすっきりしています」

そして二人でクスリと笑った。



出勤中、車を運転しながら成瀬は考えていた。

”夏帆”と呼んでしまったこと、
”同棲”と宣言したこと、
夏帆の肩を抱き寄せたこと。


全てが咄嗟にでたのは事実だ。しかし決して演技ではなかった。感情に任せていたら自然とそうなった。あの不実な亮介の話を聞いていたら猛烈に腹が立った。そんな男に必死に立ち向かう夏帆を守りたいと強く思った。すべてがその結果だ。目の前の信号が赤に変わり、成瀬はブレーキを踏んで停止した。

今の気持ちを整理してみる。成瀬はかつては自分も持っていた感情を今は完全に取り戻していると確信していた。

夏帆の付き合っていた彼氏が目の前に現れた。この男が――と嫉妬に似た感情が沸き上がった。あの亮介のダメぶりを目の当たりにして、これ以上夏帆に近づくなと強く思った。そして気が付いたときには”大切な人を自分のものにしたい”と強く願い、夏帆を抱きしめたくなった。

だからあの時なんのためらいもなく”夏帆”と呼び、愛情があるからこそ”同棲”と言い、そして小さな肩をたまらず抱き寄せたのだろう。

信号が青に変わった。

成瀬はアクセルを踏み込んだ。基地まで続く海岸線を眺めながら成瀬は心をフラットにする。それでもやはり答えは一緒であった。

ふっと思わず口から洩れる。そして自分に向かって声をかけた。

「思っていたより深く、夏帆さんに落ちてるな」