あなたが白制服に着替えたら、それが恋のはじまり





「成瀬ーっ」

飛行訓練の申請を終えて事務所から出てきた成瀬は呼び止められた。振り向くと、それは夏帆の父親である井沢佳孝であった。

「井沢さん。どうしました?」
「これから演習か?」
「いいえ。訓練フライトですよ」

自衛隊パイロットには年間飛行規則というものがあり、操縦技術の維持向上のために年間の飛行訓練時間が定められている。そのため配置転換などで地上職となっても、週に数日はフライト訓練で操縦桿を握る時間がある。

「フライトか。その前にちょっとだけ時間もらってもいいか」
「はい」

成瀬は井沢家で同居しているので家でも話はできるはずだかと不思議に思いながらもついていった。休憩コーナーの自販機で佳孝はコーヒーを購入し一つを成瀬に手渡した。
「ありがとうございます」
備え付けベンチに腰を掛ける佳孝に成瀬は頭を下げて受け取った。
「成瀬も座ってくれ」
佳孝に促され成瀬もベンチに腰を下ろした。プシュっとプルタブを開けて佳孝が一口飲み口を開いた。

「成瀬、うちの居心地はどうだ。不便はしていないか」
「不便なんてとんでもないです。毎日、快適に過ごさせてもらっています」
成瀬は膝の上に拳を作り置き頭を下げた。
「ここは気楽に話を聞いてくれ」
「はい」

「夏帆のこと、相手をしてくれてありがとうな」
何事かと思ったらそれは夏帆の話であった。
「いえ、わたしのほうが色々とお世話になりっぱなしで。井沢さんがおっしゃっていた通り、気さくで優しい娘さんですね」
「はははっ。な、俺の言ったことは間違ってなかったろ?」
「ええ、確かに」

佳孝が口を開けて笑った。つられて成瀬も目じりを下げて笑ってしまう。というのも成瀬はこの小湊基地に赴任してきてから、機会があるたび佳孝から娘の夏帆を推されてきたからだ。

『うちの娘は料理が上手で家庭的、根が優しくて素直、見た目も母親に似て美人、幼稚園の教員をしているから転勤をしても働ける』などなど。

それはもはや夏帆の売りこみだった。独身の成瀬は過去にも同じ職場の上司や先輩方から娘を紹介されそうになったことが何度かあった。もちろん成瀬にはその気はなく、毎回やんわりとお断りしていた。だから今回も同じく佳孝には失礼はないよう話は聞くだけで、娘の夏帆に興味をもつことはなかった。

しかしあのフェスタで偶然にも夏帆と出会った。そして興味を持つことになった。興奮して成瀬にまとわりつく友人を引き離し、そそくさと外に連れ出した夏帆には驚いた。チャンスは逃さないとばかりに連絡先交換をお願いされることが多かった成瀬にとって、夏帆の行動は新鮮だった。

夏帆は控えめだが周りが見えていて落ち着いて話ができる女性。夏帆に対する成瀬の第一印象だ。この時、成瀬は夏帆に興味を覚えた。だから船で生活できなくなり佳孝に声をかけられた時、夏帆がいることを承知で世話になることを決めたのだ。

同居が始まり、夏帆のおもてなしの心遣いを受けて改めて素敵な女性だと思えた。そして昨夜ベランダで二人きりで話をしていた時、最後は夏帆に触れたくなり久々に恋愛の甘酸っぱい感情が湧き上がった。そこで成瀬は夏帆に好意をもっていると自覚したのだった。

「だろ? 自慢の娘なんだよ。でもよ、おれが一人になるって心配して、ここからでようとしないんだ」
「ご実家からですか?」
「ああ。短大に進学した時、青森市内で一人暮らしをしていたんだ。そのままあっちで生活するのかと思っていたら戻ってきて就職しちまった」

それが夏帆が現在勤めている小湊幼稚園である。佳孝自身も今後のことを夏帆から直接聞いたことはなかった。しかし、ここまでの経緯をみていれば佳孝が一人になるのを心配した夏帆が再び故郷に戻って就職したのは容易に想像できた。今、隣で聞いている成瀬さえそれが理解できるのだから。

「夏帆さんが父親想いなのは見ていてよくわかります」

美味しい食事や居心地の良いおもてなしは夏帆の人間性を表している。自分よりも他人を優先して大切にする、そんな夏帆が父親を大事にしているのは一目瞭然だった。佳孝は目の前の長い廊下の先を見つめていた。

「だからよ成瀬。おまえが夏帆をここから連れ出してくれないか」

「えっ?」

連れ出すとは一体どういう意味が含まれているのか。佳孝の突然のお願いに成瀬は短い言葉でしか答えることができなかった。

成瀬は幹部自衛官のため異動は二年ごとにある。しかも異動先は南は沖縄まであり全国に渡るのだ。そうなると佳孝の発言が意味するのは『連れ出す=結婚』ということになるのではないだろうか。そう成瀬は理解したのだがあまりにも突然なため、さすがの成瀬も答えに窮してしまう。

しかし佳孝はすでに夏帆の成瀬への想いに気が付いていた。そして成瀬の夏帆に対する気持ちにも……。成瀬が素直に『わかりました』とは言えないだろうと佳孝も理解している。

「おれのことは気にするな。おれは地元育ちだから、ここには親戚も知人もたくさんいる」
「しかし…」
「おれはあと四十年は現役で暮らせる自信もある。だからな、おれのせいで夏帆を家に縛り付けたくはないんだ」
「…はい」

ぐっと真面目な顔つきになる成瀬。

「本当に…わたしでいいのでしょうか?」
「お前なら安心して託せる」
「そう言っていただき有難いです。でも、なぜわたしに?」

正直、父親の佳孝に背中を押してもらえたのだから成瀬としては嬉しいことなのだ。しかし自分はそんなそぶりを佳孝の前で見せたことはなかったはずだと。ここで佳孝はコーヒーをまた一口飲んだ。そして軽く俯くと頬を緩ませた。

「昨日の夜、二人でベランダにいただろう?」
「あっ……」
「見てたぞ。あんな真似して、夏帆が成瀬にのぼせた責任はきちんととれよ」

佳孝は昨夜自宅のベランダで成瀬が夏帆を抱きしめているところを目撃していたのだった。あの場面が成瀬の頭の中で再生された。同時にその様子を密かに見ていた佳孝の視線まで想像してしまう。

(がっつり見られていたな)

頭を抱えそうになるくらいの羞恥が成瀬を襲った。

「本当にその……すみませんでしたっ」

自覚があった成瀬は珍しく頬を染めて焦っていた。

「謝ることじゃない。むしろを俺がいない方が都合がよかったな」

佳孝がそんな冗談をいうと、成瀬がふるふると小刻みに頭を振った。佳孝は一気にコーヒーを飲み切り立ち上がった。

「話は以上だ。時間もらってすまなかったな。フライト気を付けて行ってこい」
「はい」

佳孝はリサイクルボックスに空き缶を投入し事務所に戻ろうとした。その背中に向かって成瀬が声をかける。

「井沢さんっ」
「ん、なんだ?」
佳孝が軽く顔だけ振り向いた。
「気持ちを汲んでいただき、ありがとうございます!」

成瀬は最敬礼のお辞儀をした。

「うん。ただ……」
「ただ?」

成瀬が顔をあげた。

「夏帆の頭の中は平和すぎるんだ。成瀬の仕事をどこまで理解しているか。その壁は二人で乗り越えていかないとな」

佳孝の言わんとする意味を成瀬はよくわかっていた。

現場の先輩たちが嘆いていた家族の現実―――。

成瀬の表情がピンっと引き締まる。

「はいっ」

芯から響く声で佳孝の声援に応える成瀬だった。