あなたが白制服に着替えたら、それが恋のはじまり





ここは下北半島、陸奥湾の内湾沿いにある海上自衛隊小湊基地。

失恋したばかりの夏帆は同僚の真希に基地で行われているサマーフェスのヘリコプター体験搭乗に誘われてやってきた。ヘリ搭乗に興奮している真希は高い声で夏帆に話しかける。

「体験搭乗の抽選が当たるなんてラッキーなのよ! ヘリパイが間近でみられるなんて、すっごいことなんだからねっ!」

その圧に押されながらも夏帆はうんうんと頷いて聞いていた。真希のこの高揚は仕方がない。だって根っからの自衛官好きだからだ。

二人が住んでいる市内に海上自衛隊の基地があるため、街中でも白制服を着た自衛官にで会うこともある。だからといって望めば自衛官と付き合えるという短絡的な出会いなどないが。

心を躍らせる真希に少し呆れながら夏帆は案内されるがままヘリに乗り込んだ。初めて足を踏み入れたヘリの中、夏帆は目を一周させた。ヘリ内は簡素な作りで派手な装飾などなかった。両端に腰掛けが備え付けてあり指示された場所に座った。

自衛官は短髪の人ばかりだ。ヘリ搭乗の関係者たちは白制服ではなく迷彩服を着こんでいる。迷彩服を着こんだ人たちに囲まれることなんて日常ではないので、夏帆も少しばかり背を伸ばし緊張してしまった。

夏帆がコックピットに目を向けると、右舷側のヘリコプターパイロットが目の前に無数にあるスイッチをカチカチ操作しているのが見えた。そしてこのヘリパイ、横顔がとても端正に見えた。後頭部のラインが綺麗に弧を描いていたからだ。日差しを避けるためのサングラスをかけているから顔つきまではよくわからない。

(映画で見るのと同じで、やっぱりカッコよく見えちゃうよね)

夏帆は制服あるあるを一人思い出し微笑んでしまう。全員が乗り込みピットがしまった。ここまでは夏帆にはなんてことなかった。

本日は晴天の絶好の天気。視界は良好である。ヘリパイが慣れた手つきで始動操作を行う。”スタート”というかけ声と同時にエンジンの始動音が聞こえ始めた。

「きゃーっ、ヘリパイかっこいい~」

自衛官好きの真希が夏帆の腕にしがみ付き小声で興奮してくる。徐々にヘリのタービンの回転が上がっていくのがわかった。夏帆が搭乗しているのはSH-60J哨戒ヘリ。護衛艦に搭載されているヘリだ。ふわりと機体が上昇を始めた。夏帆は体に重力のような圧を感じ始めた。

順調に上昇した機体。視界を遮るものがなくなりそとの景色が一気に変わった。夏帆が小窓を覗きこむと広い群青色の陸奥湾が見渡せた。なぜか夏帆の心臓がバクバク音を立て始める。

(緊張かな? なんだろう気分が変……)

急いで視線を戻し胸に手を当てた。跳ねだした心臓が落ち着くことはなく、夏帆の顔面から血の気がひいていく。

「ホバリングしてるっ。ヘリパイかっこいい~」

真希は変わらず黄色い声を出していた。もちろんそんな真希は夏帆の変化に気がつかない。

機体が方向を変えたので、真っすぐ視線の先に釜臥山の山頂と目が合った。この山の麓の幼稚園に夏帆は勤めている。普段、この山は見上げるものだったのに。

(今、私、山のてっぺんと向かい合ってるの?)

夏帆が高さを認識した瞬間、眩暈と同時に目の前が砂嵐になり意識が遠くなるのがわかった。せめて周囲に迷惑をかけないようにと真希にもたれかかるように。

「ちょっと、夏帆? どうしたの?」

隣にいる真希の声さえも遠くに聞こえる始末。そんな中、夏帆は思った。

(私って、高所恐怖症なのかもーー)

「どうされましたか? 大丈夫ですかっ」

操縦席からあのイケメンパイロットが夏帆に声を必死にかけてくれているのが頭から離れなかった。





ここは小湊基地の養護室ベッド。夏帆が貧血を起こしたため、大事をとってしばらく横にさせてもらっていた。

「夏帆って高い所、苦手なんだね」
「そうみたい…。飛行機も乗ったことなかったし、自分でも知らなかった。迷惑かけてごめんね」
「そんなの仕方ないよ。フェスタはまだやってるし、それに―」

真希が言いかけたとき救護室の扉が開いた。真希がすごい速さで振り返った。その人物の認識分析を一瞬で行い、目にハートを作った。

「失礼します。自分は成瀬と申します。体調はいかがですか?」

成瀬と名乗る人物が夏帆の寝ているベットに近づき、ようやく夏帆の視界にも入った。迷彩服に身を包み高身長の清潔感あふれるイケメンだ。なるほど、これなら真希もハートを作ってしまうと納得した。夏帆はゆっくり身を起こした。

「平気です。ベッドまでお借りして、本当にありがとうございます」
「それは問題ないですよ。搭乗したヘリは揺れました?」
「いいえ、乗り心地は良かったです。高い所が苦手だったみたいで。もう身体も戻りまし、大丈夫そうです」

夏帆は感謝の気持ちを込めて頭を下げた。

「そうでしたか。貧血が回復され良かったです。念の為、お名前と連絡先を教えてもらっていいですか?」

成瀬はそう言って隣にあるデスクから用紙とペンをとりだした。その端正な横顔のシルエットを見て、夏帆は搭乗したヘリパイだと気がついた。

「もしかして、ヘリを操縦されていたパイロットさんですか?」
「え? そうです。よくわかりましたね」

成瀬も目を丸く作った。夏帆はなおさら申し訳なくなってしまった。成瀬本人が操縦者だったので心配してくれているのだろう。夏帆の貧血は操縦の技術ではなく高所恐怖症が原因だ。

「あの……成瀬さんの操縦の問題ではありませんので……どうか気になさらないでください」
「いえいえ、こちらこそ。気を遣わせてしまいましたね。ありがとうございます」

成瀬のその声色とスピード、柔らかく優しい雰囲気が伝わってくる。多分、普段から温厚な人なんだろうなと夏帆にも容易に想像がついた。

「あ、えっと、名前ですよね。私、井沢夏帆です」

夏帆が名前を伝えると成瀬が握るペン先が止まった。そして、すっとそのイケメン顔を夏帆に向けた。

「……井沢さん? もしかして」

成瀬さんが何かを言いかけた。そこに真希が入り込んできた。

「成瀬さんって”二尉”なんですね!」
「え? あ、はい」
「お年はおいくつですか?」
「二十六ですが」
「二十六で二尉ってことは……もしかして、成瀬さんて防衛大卒のパイロットですか?」

自衛官は階級ごとに分けられており、着用する制服には必ず階級章を付けている。成瀬の”尉官”階級は幹部職である。自衛官に詳しい真希は年齢と階級章だけで見分けがつくらしい。

「防大卒パイロット!! 成瀬さん、めちゃくちゃエリートじゃないですか!」

成瀬の周りで小躍りで近づく真希に夏帆は嫌な予感を覚える。

(このままだと真希が暴走しちゃう。ここは早めに退散したほうがよさそう)

夏帆は真希が成瀬に絡む前に部屋から連れ出すことにした。ベッドから降りて浮かれる真希の横につき、夏帆は成瀬に向かい合った。

「成瀬さん、大変お世話になりました! これで失礼します!」

「は、はい……」

あっけに取られる成瀬の前から、夏帆は真希を退散させようと腕を取った。
「ほら、いこう」と真希を連れ出す夏帆の背中越しに成瀬が再び声をかけた。

「夏帆さん」

いきなり名前で呼ばれた夏帆は胸が鳴り思わず振り返った。

「また会えるかもしれませんね。その時は、よろしくお願いします」

成瀬の柔らかい微笑みに夏帆の鼓動が大きくなるのがわかった。

「あの……それはどういう意味ですか?」

(また成瀬さんとどこかで出会うの?)

訳のわからない夏帆は成瀬の言葉を待った。しかし、ノックされたドアからスタッフが入ってきてしまった。

「成瀬二尉、伊藤隊長がお呼びですが行けそうですか?」
「わかった。では、ここを頼む」

成瀬は軽く顔を夏帆に向け微笑むと、軽く右手をあげて部屋から出ていった。

(そんな素敵な笑顔で去られたら、ものすごく気になるじゃないの)

戸惑う夏帆を見る真希の視線が少しばかり痛かった。