注文を取りに来たのは、やっぱりあの人だった。
丁寧で、変わらない距離。
「ご注文、決まりましたか?」
さっきまでと、少しだけ聞こえ方が違う。
「……お願いします」
名前を呼ぶことはできなくて、
目も合わせられないまま、注文を伝える。
「ありがとうございます。ごゆっくりどうぞ」
それだけ言って、
彼は静かにカウンターへ戻っていった。
オペラにフォークを入れる。
チョコレートの甘さは濃いのに、
あとに残るのは、静かな苦みだった。
この人は、
踏み込めないんじゃない。
踏み込まない人なんだ。
名前を知った、それだけのはずなのに。
自分の心にできた優しい違和感に気づかないまま、
もう一口、ケーキを口に運ぶ。
甘くて、やさしい味がした。
