推しと清く正しい逢瀬(デート)生活 ーこっそり、隣人推しちゃいますー

「これどうぞ」
 彼女の手の中にはいちごミルク飴が1つ。
 彼女の意図が分からず戸惑っていると、彼女はとんでもない秘密を打ち明けるかのように、俺の耳元に口を寄せて囁いた。
「蓮は、この飴が大好きなんですよ」
 いたずらっ子のような表情で笑う彼女に、俺は面食らってしまった。そんなこと初めて知った。……というか、何情報だそれは? 俺の知るあいつは、飴なんかで喜ぶような男じゃない。そんな可愛げのある奴ではないのだ。
 だけど、彼女はとても嬉しそうに言う。
「蓮が好きだって知ってから、持ち歩くようにしているんです。不意に蓮に出会うなんて幸せイベントに遭遇しても、すぐに渡せるように」
 無邪気にそう言う彼女の様子に力が抜ける。
「そっか。いつか渡せるといいね」
 思わず頬が緩んで、そんな言葉が口をついて出た。
 俺は彼女の想いのお裾分けを受け取ると、包み紙を開いて小さなピンクの飴をポイっと口へ放り込む。久しぶりに食べたいちごミルク味の飴は、甘酸っぱくて優しい味がした。
 今度蓮に会う時は、いちごミルクの飴を差し入れしよう。この熱心なファンの女の子の代わりに。自然とそう思えた。
 彼女は、俺の視線が上がったことを確認すると、そっと立ち上がった。
「それじゃあ、私はそろそろ」
 俺も一緒に立ち上がる。その拍子に、膝からペットボトルとハンカチが滑り落ちた。俺がそれを拾い上げているうちに、彼女はその場を立ち去ってしまった。
 なんてことのない出来事だった。名前も何も知らない女の子とのひと時。だけど、それは俺の心に確かな変化をもたらした。
「努力……してなかったわ」
 俺にはまだチャンスがあるだろうか。いや、あると信じたい。適当に流されていては生き残れない世界だ。俺には立ち止まっている暇なんてなかった。
 あいつらは、俺よりも一歩先にいるけれど、それでも努力し続ければいつか追いつけるだろうか。……いや、追いつくんだ!
 そんな想いを胸に、それからの俺は真剣に仕事に打ち込むようになった。歌もダンスも演技も全て全力。少しでも自分の糧になるように。未来の俺に繋げられるように。
 俺はあいつらに追いつけるのか、追い越せるのか。はたまた、そんな日は来ないのか……。それが分かるのは、まだもう少し先のこと。努力の先に答えがある。
 俺が前を向いたことで、蓮たちとの溝は少しずつ修復されていった。

 あれから数年が経ったーー
 あの時のあの子のことは、ずっと忘れずに俺の心に残っていた。