旦那様、そろそろ離縁のご準備を〜契約結婚三年目、満了日を目前にして旦那様の様子がどこか変です〜



 夕刻。
 軍港を赤く染める夕日が、波間に黄金の道を引いていた。
 レイモンドはソフィアとふたり、心地よい潮風に吹かれながら、港の遊歩道をゆっくりと歩いていた。

 二週間前、この場所で絶望と期待に震えながら彼女と向き合っていたのが、まるで遠い日の出来事のように感じられる。今はただ、隣を歩く彼女の体温と、柔らかな足音が心地よい。

 ――だが、ソフィアは夫の横顔に宿る、隠しきれない「迷い」を敏感に感じ取っていた。

「……旦那様。そう言えば、別れ際、イシュと何を話していたのですか?」

 刹那、レイモンドは目に見えて動揺し、一度は無言で視線を逸らした。
 イシュのあの不敵な囁きが、頭の中でリフレインする。――『彼女に直接聞いてみたらどう?』

「……いや。その、大したことではない。ただ、奴の……」

 言いよどむレイモンド。だが、今の彼に、ソフィアを欺く術はない。
 彼は意を決して、ソフィアの方を向いた。

「ソフィア。君は、イシュに……彼に妻子がいることを、知っていたか?」

 決死の覚悟で尋ねると、ソフィアは瞬きを繰り返した。
 あまりに想定外の質問だったのか、不思議そうに小首を傾げる。

「……ええ。もちろんです。去年、お嬢様が生まれた時には、お祝いにベビードレスを贈りましたよ」

「……何?」

 レイモンドが、驚愕の声を上げた。

「イシュは家族をとても大切にされていますわ。彼のペンダントには、奥様とお子様の肖像画が入っておりますし……それが、何か?」
「…………」

 レイモンドは絶句した。
 ソフィアがイシュに恋愛感情を抱いていないのは、あの夜、波打ち際で聞いた。イシュと共にこの国を出ようとしていた理由が、自立のための苦渋の選択だったことも理解している。

 けれど、イシュは確かに、ソフィアを愛していたはずだ。
 あの舞踏会の夜、「今すぐ離縁しろ」と迫られたとき、あの男の眼差しに宿っていたのは紛れもない執着だった。
 それなのに、妻子とは仲が良く、しかもそれをソフィアも知っていて、家族ぐるみの付き合いさえしている……?

 レイモンドは、頭の中が真っ白になった。
 イシュ・ヴァーレンという男の「愛」の定義は、いったいどこにあるのか。