旦那様、そろそろ離縁のご準備を〜契約結婚三年目、満了日を目前にして旦那様の様子がどこか変です〜


 ソフィアが元気よく名前を呼ぶと、イシュ・ヴァーレンはゆっくりと顔を仰ぎ、帽子を外して優雅に挨拶の礼をとった。

 ソフィアは、レイモンドと共に一気に階下へと降りた。
 玄関ホールには、アリスによって招き入れられたイシュが、一糸乱れぬ様子で立っていた。

「イシュ! 元気だった? 色々と大変だったでしょう!」

 ソフィアが駆け寄ると、イシュはレイモンドに、「品定め」をするような視線を投げ、にこりと微笑む。

「そうでもなかったよ。フェリクス卿とオスカー卿がよくしてくれたからね。それに、新しい商売の話もいくつかまとまったから」
「商売?」
「うん。それは後で話すよ。ところで、はいこれ。今日の本題だ」

 イシュが懐から取り出したのは、一通の封書だった。
 ハリントン家の紋章が刻まれた、重みのある一通。

「ありがとう、イシュ。……今、お茶を入れるわね。アリス、用意をお願い」
「はい、勿論ですわ。奥様」

 ソフィアは大切に封書を受け取ると、レイモンドと連れ立って、イシュを応接室へと案内した。

 ソファに腰を下ろすと、夏の乾いた風が白いレースのカーテンを軽やかに躍らせる。
 ソフィアはペーパーナイフを使い、丁寧に封を切った。

 一週間前、オスカーから密かに届いていたオフレコの手紙で、概略は知っていた。
 だが、新当主となったフェリクスの直筆による「公式な報告書」を手にしたことで、ようやく自分の過去に、一つの終止符が打たれたことを、ソフィアは肌で感じていた。

「……そう。お父様とお母様は、もう住まいを移されたのね」

 手紙には、父が家督をフェリクスに譲り、母ヴィクトリアと共に北の連峰の麓にある屋敷へ隠居したことが記されていた。
 そこは、探検家であるオスカーが、活動中に偶然見つけ出した「世俗から忘れられたような美しい地」。かつてヴィクトリアが少女時代に憧れたという、色彩豊かな花々に囲まれた静かな場所だ。
 社交界という戦場、そして「血筋」という呪縛に狂わされたヴィクトリアにとって、そこは残酷な追放先であり、同時に、ようやく訪れた安息の地でもあった。