旦那様、そろそろ離縁のご準備を〜契約結婚三年目、満了日を目前にして旦那様の様子がどこか変です〜


「――っ」

 ソフィアは短い悲鳴を飲み込み、ソファの上で身を強張らせた。
 入ってきたのは、フェリクスだった。手には水の入ったグラスを携えている。その表情は驚くほど静かだったが、顔色は死人のように青白かった。

「気がついたか、ソフィア。……気分はどうだ? すまない、あんな手荒な真似をして。喉が渇いているだろう」

 フェリクスが静かに歩み寄り、グラスを差し出す。
 やはり、自分をここに運んだのは兄だった。その事実に、ソフィアの体は拒絶を示した。グラスを受け取ることができず、ソファの端へ、這うようにして後ずさる。

 差し出されたフェリクスの手が、空中で止まった。
 彼は自嘲気味に口角を歪めると、グラスを机に置く。

「……そうだな。怖いよな。私が、お前を壊したのだから」

 掠れた声は、まるで自分自身を呪っているかのようだった。フェリクスは一歩、二歩、と後退し、ソフィアから距離を取る。

「母上から聞いた。お前が夫と上手くいっていないと。……それは、本当か?」

 ソフィアは言葉に詰まった。
 上手くいっていないわけではない。ただ、彼とはそもそも、「契約」で結ばれた仲だというだけ。それを、兄にどう説明すればいいのか。

 沈黙を肯定と受け取ったのか、フェリクスの瞳に、深い絶望が宿る。

「何も言わないか。……なら、イシュと国外へ逃げようとしていたというのは?」

 やはり、ソフィアは答えられない。
 その沈黙が、フェリクスの罪悪感に火をつけた。

「すまない、ソフィア。全部、私のせいだ。七年前、私は自分の心を制御できず、お前を傷つけた。お前から男への信頼を奪ってしまった。……お前を、一生消えない恐怖の中に閉じ込めてしまった。だから……お前は……」

 フェリクスは、視線を床に向け、拳を握りしめる。

「本当は分かっていたんだ。オルディナでお前の姿を見つけたとき、お前をあのまま行かせるべきだったと。……だが、体が言うことを聞かなかった。母の命令が蘇り、私の脚はお前を馬車へと運んだ。私はもう、私自身ですらいられない。母の操り人形だ」
「……っ」
「ソフィア……お前は信じられないかもしれないが、私はお前の幸福を心から願っている。だが……実際は、こうしてお前を地獄へ引き戻すことしかできない。……ソフィア、私は……どうしたらいい?」