旦那様、そろそろ離縁のご準備を〜契約結婚三年目、満了日を目前にして旦那様の様子がどこか変です〜


 そんな気は少しもなかった。しかし言われてみると、確かにレイモンドの言う通りかもしれない。
 以前の自分ならレイモンドと一緒に裁縫店へ入ることはなかったはずだ。レイモンドの好みに合わせた店を選び、ましてや先ほどの様に、夢中で定員とやり取りをする姿など見せなかっただろう。
 なのに今日は、アリスといるときのようにはしゃいでしまった。それを「心を許す」と言わずして何というのだろうか。

(わたしったら、どうしちゃったの? ……こんなの、おかしいわ)

 思考の渦に呑み込まれながら歩いていると、レイモンドが思い出したように口を開く。

「そう言えば、君が屋敷でしていた刺繍は、誰かへの贈り物か?」
「……え?」

 これまた予想外の問いだ。
 ソフィアは一瞬返答に詰まったが、すぐに小さく首を振る。

「いいえ……特にそのような予定はありませんけれど」

 すると、レイモンドは期待を込めた眼差しでソフィアを見つめた。

「なら、あのハンカチ、俺がもらってもいいだろうか?」

 ソフィアは目を瞬く。

「えっと……もちろんかまいませんけれど、女性ものですわよ? 旦那様が持つには少々可愛いらしすぎるかと。それに、ハンカチなら今までに何枚も……」
「そうだな。君からもらった刺繍入りの小物は、すべて俺の大切な宝物だ。だが今日君が刺していた花は〝すみれ〟――君の瞳の色と同じ、澄んだ紫だった。俺はあれが欲しい」
「!」

 刹那、ソフィアはぴたりと足を止めた。こんなに人の往来の多い場所で、突然そんなことを言うなんて――再び茫然とし、一拍遅れて、羞恥心に顔を赤く染める。
 だがレイモンドは他意のない顔で、不思議そうに首を傾げるだけ。

「ソフィア、どうした? 何か気になる店でもあったのか?」
「……っ」
(まさか無自覚なの? ……旦那様って、こんな人だったかしら)

 どう返せばいいのかわからず、ソフィアは必死に言葉を絞り出す。

「い……いえ、何でもありませんわ」
「そうか? 入りたい店があれば遠慮せず言うといい。……ああ、だがそろそろ昼食の時間だな。他を回る前に腹ごしらえといこう。一本奥の通りに美味い店が――」