旦那様、そろそろ離縁のご準備を〜契約結婚三年目、満了日を目前にして旦那様の様子がどこか変です〜


 それでも針を進めるうちに、心は次第に刺繍へと没入していった。
 やがて二時間ほどが過ぎ、花弁が完成に近づいた間際、ソフィアはふと呟く。

「……やっぱりここは、もっと淡い色の方がいいかしら。――アリス、()()を取ってくれる?」

 だが、少しして差し出されたのは()()の糸だった。アリスにしては珍しい間違いだ。ソフィアは針を止め、首を傾げる。

「それは藍色よ。藤色はもっと紫が柔らかい――、……っ!」

 けれど、顔を上げた瞬間、視界に映り込んだのはレイモンドの姿で。
 ソフィアは一瞬にして蒼ざめる。

「……だ、旦那様っ!?」

 声が裏返り、慌てて立ち上がった。

「申し訳ありません! てっきりアリスだと思って……。大変失礼いたしました」

 いつから部屋にいたのだろう。ノックはしたのだろうか。――いや、レイモンドのことだ。きっとしたに違いない。自分が気づかなかっただけだ。
 つまり、自分はレイモンドに挨拶すらせずに、作業をしていたことになる。しかも――部屋にいるはずのアリスの姿はない。

 ソフィアが顔を赤くしたり青くしたりしていると、レイモンドは「ふっ」と吹き出した。

「驚かせたか。一応声はかけたんだが……」
「すっ、すみません。集中すると周りの声が聞こえなくて……」
「いや、俺の方こそすまなかった。それにしても、君の刺繍はいつ見ても見事だな」
「……ありがとうございます」

 どうやらレイモンドは少しも気にしていない様子だ。ソフィアはほっと胸を撫でおろす。

「ところで、旦那様はどうしてお屋敷に? この時間はお仕事のはずでは……」