旦那様、そろそろ離縁のご準備を〜契約結婚三年目、満了日を目前にして旦那様の様子がどこか変です〜


 彼をこれ以上傷つけたくない。イシュとの関係を誤解されたままは嫌だ。
 そんな思いが膨れ上がり、ソフィアは声を絞り出す。

「――待ってください」

 その声にレイモンドは足を止めた。振り返った彼の表情は、暗闇に溶けてはっきりしない。
 それでも、ソフィアはレイモンドを見据える。

「確かに旦那様のおっしゃるとおり……本当は、ただの友人じゃありません。……イシュとは、その……仕事のパートナーで……」
「……仕事?」

 意外だったのだろう。レイモンドの声には、わずかな戸惑いが滲んでいた。

「契約のことがあって、詳しい内容は申し上げられませんの。でも……これだけは確かです。彼とは決して、恋人同士ではありません」
「!」
「だから……旦那様のお気持ちが、わたしを苦しめるなんてことは……」

 言葉を紡ぎながらも、ソフィアは自分でも気持ちが定まらないのを感じていた。胸の奥で罪悪感と恐れがせめぎ合い、言葉は途切れ途切れになる。

 そんな彼女の様子を見て、レイモンドはゆっくりと歩み寄った。石畳を踏みしめる足音が近づき、やがて目の前に立ち止まる。

「……本当だな?」

 低い声がしたと同時に、大きな手がソフィアの手を包み込んだ。固く温かな掌が、逃げ場を与えないように握りしめる。

 ソフィアは息を呑んだ。驚きのあまり思わず手を引っこめようとしたが、レイモンドの力は強く、びくともしない。

「本当に、恋人ではないんだな?」
「……はい」
「異性として、慕う気持ちもないと?」
「ええ、ありません」

 か細い声で、それでも確かに答える。
 するとレイモンドは、至近距離でソフィアを見下ろした。

「……わかった。その言葉を信じよう」

 刹那、レイモンドの口元に柔らかな笑みが浮かぶ。それはぎこちなくも安堵に満ちており――ソフィアはどうしようもなく、胸を締め付けられる心地がした。
 

 それから二人は、互いに言葉を交わさぬまま、丘の上へと続く小径を並んで歩き出した。

 夜風が頬を撫で、遠くで波が砕ける音が響く。足元の石畳は冷たく固い。けれど、繋いだ手の温もりは、屋敷に戻るまで一瞬たりとも離れることはなかった。