光暈時雨〜彼の旋律に、恋が降る〜

降り続いた雨は、いつの間にか止んでいた。

朝、カーテンを開けると、
昨日までの空が嘘みたいに澄んでいる。

濡れた地面が、光を反射していた。

(……夢、じゃなかったよね)

昨日のことを思い出そうとすると、
音と気配と、あの距離だけが先に浮かぶ。

言葉は、ほとんどなかった。
――それが、より鮮明に残ってる。

歯を磨きながら、
何度も、名取さんの横顔を思い出す。

ピアノを弾く指。
雨音に混じる旋律。

そして――
何も言わなかった、その沈黙。

(……何も、なかったんだよね)

そう言い聞かせる。

でも、“なかった”にしては、
胸がうるさすぎる。

学校へ向かう道すがら、
水たまりを避けながら歩く。

空は晴れているのに、
心だけが、まだ湿っていた。

――惚れるなよ。

あの言葉に、
こわくて引き戻される。

でも、昨日。

雨の中で、
名取さんは離れなかった。

触れなかった。
言わなかった。

それでも、
距離は、確かに近かった。

(……もう、本当にずるくて、しんどい)

期待してはいけないって、
何度も言い聞かせたのに。

『また、弾くか』

あの声が、何度も、
頭の中でこだまする。

独り言みたいで、
でも、確実にあたしに届いた声。

それだけで、足が止まった。

――答えなんて、もう出てる。

逃げられない。

名取さんの音からも、
あの世界からも。

そして何より、
この気持ちからも。

「……好き」

はっきり言葉にした瞬間、
好きが溢れ出した。

苦しいのに、
逃げなくていい気がした。

告白は、しない。
今は、その勇気は、まだない。

でも。
逃げない。

惚れるなと言われたままでも。

好きでいることだけは、
絶対にやめない。

月嶺寮へ向かう足取りは、
昨日より、少しだけ軽かった。

会えるかどうかは、わからない。

でも、会えなかったとしても。

――それでも、名取さんが好き。

そう正直でいることが、
あたしにとって、大きな一歩だった。