「誰?」
彼の言葉が私の全ての終わりを告げた。
担当の医者がやってきて、彼を診断する。
無事でいて欲しい、その儚い願いはまるでガラスのように砕け散る。
医者が彼にいくつか質問する。そして言いにくそうに医者は話をする。
「彼は記憶喪失でしょう…事故の衝撃と痛みやストレスも要因でしょう。ですがある程度の事は覚えているのできっかけがあれば過去の記憶も思い出せる状態ではありますが…途方もない時間が掛かるでしょう。」
彼の親は彼に自分達が親であることを伝える。しかし彼は自分のことぐらいしか覚えてないようだった。
「えへへ…はじめまして」
話し方も前と違っていて、大人びていた雰囲気も今は無邪気な少年のような口調になっている。
その姿が新鮮で、でも私の知ってる彼がいなくなった。ゆずのような甘酸っぱい香りが漂う。
「よろしく…私は吹雪菘です…」
「その髪飾り綺麗!」
私は髪飾りを外して彼に渡す。
「ありがとう。気に入ったの?」
「うん!凄くこれ好き!」
この髪飾りはあの日お出かけで付けていた物であった。
「でも…僕には似合わないよね…」
私は彼にそっか髪飾りを付ける。彼の髪からは優しいラベンダーの匂いがする。
「似合ってるよ」
私は微笑みながら彼に言葉を掛ける。私は彼に手鏡を渡す。
「確かに!似合ってるかも」
彼が無邪気に喜ぶ姿に心が癒される。この無邪気な姿がありのままの彼なのかもしれない。
私は毎日欠かさず彼に会いに行った。彼は私の事を友達のように優しく接してくれた。やっぱり誠実で慈愛のある所は変わってない。
ある夏の日。彼は心地良さそうに寝ていた。そっと彼の側に近づく。暖かい日差しが彼を照らす。
愛おしそうな目で彼を見つめていると後ろのドアがゆっくりと開く。振り向くと見知らぬ少女が二人と彼の親が来ていた。
「え…誰?」
彼女達は目を見開いて驚いている。
「あら…吹雪ちゃんも来てたんだね…」
彼の母親か私の名前を呼ぶと彼女達は目をキラキラさせて私に話かけてくる。
「楠琥珀です。吹雪さんに会えて嬉しいよ。」
「私は椛晶華です。彼から話は聞いてるよ。友達なんだってね。凄く嬉しそうに貴方のこと話してたよ」
「もしかして…彼の幼馴染ですか?」
「私はそうですね。琥珀さんは私の友達です」
その時彼が目を覚める
「うん?……みんな来たの?」
彼は眠そうに目を擦りながら起き上がる。
「おはよう。大丈夫?痛む所とかある?」
椛さんが彼に近づいて手を握る。やっぱり幼馴染だしかつて両想いだったから。彼が記憶喪失になったら一番悲しいのは彼女だろう。
「大丈夫…です。今日は3人、椛さんと…琥珀さんに…吹雪さんが来たんだね…嬉しい。寂しくない」
彼の母親が花の水換えをし終わって彼に聞こえないぐらいの声量で話す
「美智也ね凄く寂しがり屋でね構ってちゃんだからこれから迷惑かけちゃうかもだから、無理しなくていいからね。特に晶華ちゃんが帰った後とか寂しいとかずっと言って泣いてたから」
彼のお見舞いが終わって私は二人と話がしたかったから近くの公園に行ってベンチに座る。
「貴方が彼の幼馴染ですか…」
「はい!椛晶華です!隣にいる彼女は楠琥珀です。人見知りだけど凄く面白くて明るい人なんだ!」
椛さんは彼が記憶喪失になって過去の記憶も忘れてるのに健気に笑えている。私よりも辛いはずなのに。
それに結婚の約束まで交わした相手が引っ越して離れ離れになるだけで悲しいはずなのに、その約束すら忘れられてるのに。
「美智也くんの友達だよね……中学生の時とか私が見てない時の彼の様子とか知りたいな…」
私は全ての出来事を話す。彼の最初の印象や日々の様子、お出かけの事など。言葉にすれば長くなる思い出を沢山彼女に伝えた。
「そっか…中学生でも元気でいて良かった…早くケガも記憶喪失も良くなってほしいな…」
「松井くん……話した事ある…凄くいい人だった」
楠さんがボソッと呟く。あの人はやっぱり私には勿体ない程に優しくて誠実だ。
「あの…もし良かったら連絡先を交換したいです」
私の提案に二人は軽く了承してくれた。彼の大切な人達と繋がれて胸が暖まる。
それから椛さんと琥珀さんと交流する日々が続くうちに彼の恋心もだんだん収まっていった。
そして夏の暑さが和らぐ頃に彼は退院した。私は学校で彼のお世話係になった。純粋な友達でいられる事の喜びと彼のお世話の大変さが心の中で交差する。
彼女達と連絡先を交換して彼の毎日の様子を伝える事にした
「それでね、今日の美智也はひなたぼっこして寝てたんだ」
「え!可愛い…想像したら愛おしくて…もう…」
あ、椛さんきっと顔赤らめてるな
「そう…風邪ひくかもしれない…」
楠さんは純粋に心配してるな。
こんな感じで毎日の様子を伝えると椛さんは恥ずかしがって楠さんは彼の事を心配する。
そんな日々を過ごしていた。そして頑張って彼に勉強を教えて一緒に高校に入学することができた。
元々彼は成績上位だったので私が基礎を教えるとスラスラ解けていたので心配はしてなかった。でもあの二人はものすごく彼を心配していた。
そして高校に入学すると彼と離れることが多くなった。一つ目は私がいなくても大丈夫になったこと。でも移動教室の時迷子になってる姿を何度も見たことはある。
二つ目は中学生から仲の良かった白鷺君が彼の側にいてくれるようになったから。
三つ目は勉強や新しい友達との関係を優先してしまった。それに私がいなくても彼は気にしないだろう。そう思っていた。だから話しかけなくなってしまった。
一人で溜め込んで棘を自分で勝手に生やす。そんなくだらなくて惨めな姿の私を彼に到底見せれるわけなかった。
まだ忘れられないなんて嫌だから。
でも時々彼から話しかけられた。でも少し素っ気なく返事をしてしまった。今でも後悔してしまっている。
「話しかけないで」
それが一番の失敗だった。彼の表情を見れなかった事、何よりも大切な人を傷つけて突き放した事。
その日から彼女達にも連絡しなくなった。増えていくだけのスマホの通知。
彼ともう一度友達になりたかった。
壊れた時計がまた動き始めた。
