拳よりも、強いもの〜俺たちはいつも『曇天』の中に光を掴んだ

我を捨てた日、楽になった

その言葉は、
後から付いた。

あの頃は、
ただ「名前」だった。



きっかけは、
くだらない喧嘩だった。

仲間の一人が、
意地を張った。

引けばいい場面で、
引かなかった。

相手も引かない。

空気が、
嫌な方向へ転がる。



悠矢は、
前に出かけた。

いつものように。

だが、
愁也が腕を掴む。

強くはない。
でも、離れない。



「今日は、
 それじゃない」

低い声。

悠矢は、
苛立った。

「俺が出れば――」

「違う」



愁也は、
ゆっくり言う。

「勝つために、
 やるんじゃない」

「守るためだ」



その言葉が、
胸に引っかかった。

勝つ。
目立つ。
名を上げる。

それが、
強さだと思っていた。



悠矢は、
一歩下がった。

たった一歩。

それだけで、
空気が変わる。



仲間が、
戸惑った顔をする。

相手も、
拍子抜けする。



愁也が、
前に出る。

「今日は、
 終わりにしよう」

誰も、
異を唱えなかった。



帰り道。
悠矢は、
ずっと黙っていた。

やっと口を開いたのは、
駅の前だった。

「……楽だな」



愁也は、
少しだけ笑った。

「だろ」



その時、
誰かが言った。

「我捨楽ってさ」

「こういうことじゃね?」



我、捨てて、
楽しむ。

勝ち負けより、
守ること。

意地より、
生きて帰ること。



悠矢は、
初めて理解した。

前に出るのは、
自分のためじゃない。

背中を守るためだ。



我を捨てた日、
肩の力が抜けた。

楽になった。



我捨楽は、
その日から、
少しだけ静かになった。

でも、
折れなくなった。



この話を、
未来の彼女は、
何度も読み返す。

「強さって、
 こういうことなんだね」

そう、
心の中で呟きながら。